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信教の自由について質問です。

わたしは、ある宗教を婚姻前に夫と夫の家族に反対されて
夫を愛しているから宗教を脱会して、一緒になることに
しました。

その後、姑の勧めで彼の実家の宗教(といっても姑だけ入信)のお世話になり、結婚式を挙げました。

彼も結婚式まではとのことでそこの宗教のお世話になり
ました。

その後夫は、おまえは以前宗教をやってたと攻めて
きたりしています。
それだけでも耐え難いのに
姑から、宗教に参加するように言われて
ほんとうに苦痛です。

私としては、正直今後宗教関係とは縁を切って
いきたいとかんじています。

また姑の宗教には違和感がありやりたくありません。

なのに、お前がまだやってるかも知れないし
脱会した証拠は、ないのだから姑の宗教のほうに
参加して脱会したという承認の第三者機関だと思え!
といいます。

わたしは人格を否定されてるようで嫌だし。
脱会したのだから、他宗教に行く必要もないと感じて
います。
どうしたらいいと思いますか?

A 回答 (5件)

こんばんは



実際的な問題解決策は、これまでの回答にあるとおりだと思います。話し合いが大切かと。

ただ、せっかく法律論を知りたいと言って質問されており、回答も締め切られていないことから、蛇足ですが法律論を書いてみたいと存じます。


たしかに、憲法20条2項「何人も、宗教上の行為・・・を強制されない。」を読むと、質問者さんは姑さんの宗教行為を強制されているから、人権侵害だと言いたくなりますね。

でも、じつは違うのです。そもそも人権とは国と市民(私人)との間の問題であって、市民どうしの間では直接には「人権」は保障されていないというのが最高裁判所の判例です。(法律の本には「間接適用説」と書いてあります)


例をあげて説明すると、警察官があなたに特定の宗教行為をするように強制してきた場合は、憲法が適用されます。
しかし、姑さんが強制してきたら、「直接には」憲法は適用されないのです。

では、姑さんには「やられ放題か」と言うとそうではありません。さきほど間接適用説といったように、憲法は民法を通して間接的に適用されます。

このとき、「間接」ですから、憲法の力は弱くなります。つまり、なかなか信教の自由が侵害されたと認定されなくなるのです。

なぜ、国が侵害してきたときと、他人が侵害してきたときと違うのでしょうか。
それは、市民どうしのときは相手にも信教の自由があるからです。つまり、相手も自分の信じている宗教を実践する自由を持っているからです。

以上をもとに、あなたが損害賠償請求できるかを考えますと、姑の強制が暴力や、脅迫によるものでないかぎり、請求は困難だと考えます。

あなたに信教の自由が保障されているのと同じように、姑にも自由がある。「他人の宗教に寛容であれ」法律から言えるのはそれくらいです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
法律的によくわかりました。

憲法でいうものと民法では、だいぶ違うようですね。

参考になりました。
ありがとうございます。

お礼日時:2005/03/07 21:25

追加させてくださいね。



 お姑さんや多分ご主人さんも、結婚式を宗派の方法でしたことは、あなたのためにしたと思っています。あなたにいやいやながら引き受けてもらおうと思ってしたことではありません。すでにそこから人間関係のこじれが生じています。
 人間関係は表面で処理できるものとできないものがあり、あなたがそこまで嫌悪しているのであれば、さらに、相手にもそれがわかり、相手の思いつく限りの良心的な救済の方法として、それならば心でなく形でもいい、姑の宗教のほうに参加して、となるのです。
 客観的に、一般的にこのようなケースは、もっと悪化すれば、激しい非難や説教、糾弾、といった事態もありえます。
 人間関係のこじれの修復する上で相手が悪いという態度は禁物です。がんばってください。

 相手方にその後の宗教活動への参加などが、これまでの事情から精神的に耐えられない状態であるということをわかってもらいそっとしておいてもらうことはゴールの大切なひとつですが、そこのところが、いまいち相手には理解されていないのですね。では、今は、それを、一生懸命アピールするのはいかがでしょうか。多分、宗派の上層部の方になると、その辺はよくわかってくれる人もいますから、当事者にアピールして効果なければ、そういった人にお願いするお手紙を出すのもひとつです。
 また、アピールして手紙を書いて文書で渡しても、なおかつ執拗に、言ってくる場合には、プライバシーや信教の自由の侵害として、警察に相談できますし、告発できますという文書を内容証明で送付するのも効果的ですが、最初からとる手段ではないですね。それでもやまなかったら、実行できますけど。
 
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
おしゃるとおり、だと思いました。
アドバイス頂いたことを考え家族が円満に
過ごせるよう努力します。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/03/07 21:23

 私は法律家ではないですが、人の心に接することの多い仕事をしています。

宗教家でもないです。

 あなたのケースはよくあるケースです。回答者#1さんのとおり、法律的な束縛はありません。自由です。
 姑さんが信者で、その宗教のお世話になり結婚式を挙げたのですから、世俗的な義理はあるわけで、
その意味では、今後宗教関係(者)とは縁を切ってやっていくことはできないでしょう。拒否反応は十分理解できます。
 ご安心ください。普通なら、入信しなくても、なんらかの感謝をあらわし続ければ、許してくれるものです。
 あなたは疑われていますね。その理由は、結婚するための道具に、純真な信仰者を利用しただけのような、ふうに思われているからかもしれません。でも、姑さんはあなたの善意を信じています。だれもそういうふうには悪い風には信じたくありません。相手も辛いのです。わかってあげるやさしさはありますか?
 あなたが、幸せな夫婦でいられることに、そしてそれを一生懸命支えてくれた信者の人たちに、ただの人として、深く感謝していることを、正直に吐露すれば、すべてうまく行くと思います。ころっと改宗するのは心理的に負担がつよすぎて、しばらくそっとしておいてほしいことも、そこで一生懸命に訴えてみればいかがですか。そうすれば(みんなが大すきなあなたへの)(逆にあなたを傷付けてしまう)入信の無理強いもなくなると思います。
 無理強いは、気持ちを示してほしいが、伝わってこないので、形でいいから示してほしいという、人の気持ちの素直な表れです。それがわかったら、赦しててあげてください。その、熱い気持ちへ、お礼をいってもいいくらいでしょ。
 あなたの態度で状況を一変できます。
 だんなさんも喜ぶでしょうね。 
 以上推測ばかりでしたが、お役に立てたらうれしいです。
 あなたが、その人たちと、うまくいくように、ただ、あたしの心だけで、仏様もいませんが、そう、お祈りしています。
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この回答へのお礼

私は、そこでの宗教の結婚式には反対しておりました。
しかし、彼の両親がどうしても
人前式に反対されて、もめてもしょうがないと
思って受け入れました。

そのことに対して夫も納得し結婚式までな!
ってことでいやいやながら引き受けました。

嫌だったけれど、関わってくださった方へは
感謝しています。

でも、その後の宗教活動への参加は
私自身精神的に耐えられないのです。

できれば、今後一切関わりたくないのが本音です。

私にも落ち着いて宗教のことについて
考えたいのです。

人間関係については、ご回答くださったとおり
だと思いますので、妥協点がだせるか自身で考えて
みたいと思います。

お礼日時:2005/03/06 10:57

信教の自由については憲法上下記のとおり定められています。


簡単に言えば、宗教を信じること/信じないことについて誰からも強制されない自由を持っているということです。

法律分野の回答としてはこのようになりますが、こんな回答を欲しいわけではないでしょう。

「ライフ」-「恋の悩み・人間関係」などの分野で質問し直される方がいいのではないですか。


第20条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
質問違いじゃないかとのことですが、
私としては、法律で定められている
信教の自由について、それを侵害されている
現状を踏まえ、対抗策をいただきたいなと思って
おりました。
しかし、質問の仕方が悪かったと思っています。
誤解されるような質問の書き方をして
申し訳ございませんでした。

お礼日時:2005/03/06 10:51

ちなみに私はノンポリですが、何を信じるのもその人の自由ですね。


誰もがその部分は尊重しなければなりませんので、夫君や姑様の要求は間違っていると思います。

さて、結論として愛する人との結婚と信仰を天秤にかけて、自分の信仰を捨てられたのは、
失礼ながら、それは本物ではなかったということだと思いすし、
今、全ての宗教を拒否し、捨て去りたいと思うならなら、なおさらの事だと思いました。

本物の信仰家であるなら、周囲の反対や批判を受けても自分の中からは絶対に捨て去れないのが、
信仰を持つと言うことだと、私は思っているからです。

それに今更ですが信仰を持っていたときに、選ぶパートナーは、
それを理解して受け入れてくれる人がベストだったので?は思いました。

であれば、こんな問題は起きなかったと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
自分の信仰を捨てるまでには、1年悩みました。

でも、信仰で解決しなかったこと、
夫やその家族に思いっきり反対されて
「いつやめるんだ」と毎回激しく問いただされ
ました。

そうなると、なんのために信仰してきたのかわからなく
なりました。

信仰を理解してくれるパートナーを選べれば
良かったのでしょうが、私は、夫といるときが
一番安心できるので
逆に宗教のことさえなければいいと思って
しまったくらいです。

また、ゆっくり考えてみますね・・・。

お礼日時:2005/03/06 10:47

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