A 回答 (5件)
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No.5
- 回答日時:
>仏教ではなくても神様のような存在は信じていて、お祈りなどはしていましたか?
信じていました。
日本の集落・村落には「里(リ)」というものがあります。これは日本に限らず中国や朝鮮半島の古い集落にもみられるものです。
この里とは、後に神社の形になるのですが、最初は「なにもない、でも神聖なので誰も入ってはいけない場所」と言う形をとっていました。ここに神様がいる、または神が降りてくる、と信じられていたのです。
このような信仰形態は豪族出現以前にあり、豪族とは「数々の里の中から有力な集落ができ、その中の一族が周辺の里にも指導的な役割をになうようになったもの」です。
ここで「豪族の里は他の里よりも偉い=豪族の神は地域の神々よりも偉い」と言うことになっていきます。
このような形は鎌倉仏教以後もつづいていて、やがて神仏習合に至ります。
だから、日本人はたぶん縄文時代には「里」と言う形で神への信仰を開始していたはずで、2世紀ぐらいには卑弥呼などはっきりした神道形式が生まれています。
当然庶民もそれは知っていて、敬ったり祈ったりしたはずですが、これが「神」なのか「神とされる人間」なのかは、時代やその地域によって違いが有ったでしょう。
No.4
- 回答日時:
平安時代の人々が身分に関わらず、疫病退散を祈願したのは牛頭天王です。
牛頭天王は疫病神の首魁であると共に祇園精舎の守り神でもあります。
そのため、牛頭天王を祀った宗教施設は祇園社と呼ばれ、典型的な神仏混淆のスタイルでした。
牛頭天王が疫病退散の神となったのは、蘇民将来伝説と結びついたからです。
後に素戔嗚とも同一視されるようになりました。
明治政府の伝統宗教弾圧と新興カルト宗教の押し付けにより、祇園社は八阪神社と改名され、主祭神であった牛頭天王は徹底的に排除されて無くなりました。
京都の祇園祭は、もともと祇園社のお祭りだったので祇園祭なんです。
No.3
- 回答日時:
日本には古くから八百万の神々がいて、それらを祀っていました。
平安時代も今もですね。仏教伝来で蘇我氏が~物部氏が~ってのが平安時代の前にあって、日本に仏教が伝わったと習ったと思いますが、その仏教というのは今のような葬式仏教ではなく、『この世の仕組みはどうなのか』『この世を治めるにはどうすべきなのか』といったことなどを考える、知の一大体系のようなものです。それと共に背の高い塔やら本殿やらを作る建設技術や、仏像(大仏)などを作る技術が一緒にやってきて、まさにこの世の最先端技術だったわけですね。
なので、平安時代の仏教というのは庶民とは縁のないもので、八百万の神々を信じていたものです。まぁ陰陽術などの”まじない”は流行っていたのかもしれませんが。
ちなみに、平安時代の終わりごろになると、他の方が鎌倉仏教と書いているような仏教が庶民に広がってきました。最初は「南無妙法蓮華経」ですね、南無は帰依するという意味、妙は優れたみたいな意味、「優れた法蓮華経に帰依します」と唱えれば極楽浄土に行けると説いて庶民に広まりました。これを真似たのが何枚だー?の南無阿弥陀仏ですね。ちなみに南無阿弥陀仏の浄土真宗は”まじない”の類は一切否定してたりします、面白いものですね。
そんな訳で庶民の人々にも仏教が広まると、もとの神々はどうなったかというと普通に居て、日本にもとからいた神様は仏さまが化けて具現した姿なのだと、一緒のものと考えるようになります。なので神社も寺もなく、同じ神様仏様を祀る施設があるという感じですね。
これが江戸時代中期ころになると国学というのが盛んになって、日本に古来からあるものと外国(中国)からやってきたものを分けようといった考えが広まってきて、大きな神社などは仏教的な要素を排除しようというようなことも起こります。ただし、「人がくぐれるほど大きな鳥居」「本殿などの建物」「常駐する神主さん」などはすべて仏教要素(仏教の真似事)だったりするので仏教的要素が排除されてたりは全くしないのですが、これらが仏教由来のものということはすでに忘れられてたりしますw
明治になると、西洋諸国がキリスト教を国教とし王様を中心とした帝国を作っているのを真似て、日本でも神道を国教とし天皇を中心とした帝国を作ろうということになり、今まで「神様仏様」だった宗教施設に対して、お前のところは寺か神社か?と二択をせまり、このために今のように寺と神社が別のものになっています。
なので歴史のある寺や神社に行くと、一緒だったころの名残を見つけることもできたりして、面白いですよ♪
No.2
- 回答日時:
仏教が庶民のものになったのは鎌倉仏教からだよ。
それ以前は貴族とかの特権階級のものだった。
庶民はカネがないから出家とかできないしお経も買えないし、勉強する時間もなかった。
しかし鎌倉仏教が現れて「南無阿弥陀仏を唱えさえすれば救ってくださる」となった。
これならカネがなくても時間がなくても学がなくてもできる。
「南無阿弥陀仏」と唱えながら自分の行いを反省すればよい。
というわけでそれ以前の庶民は仏教には無縁で、民間信仰とか占星術とか、そういうものに頼っていた。
あと陰陽術のおこぼれにも預かっていた。
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