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東大寺の大仏は、創建の際は鍍金され金ピカだったのですね。
寺の建物も、柱は赤塗だったようですね。
今は、素材の色に治まっております。

創建当時の金や赤が、なぜ、今は素材の色に治まったのでしょうか?
(奈良仏教の成立に関連しているのでしょうか?)

A 回答 (5件)

当時の面影を残すのは、明治時代創建の平安神宮だけだそうですね。



奈良の大仏は二度、焼け落ちています。1180年に平重衡による何と焼き討ち、二度目1567年に松永・三好の乱で延焼。

一度目は5年で復興しましたが、二度目は100年以上かかって規模を小さくして復元しました。もともと、聖武天皇の悲願で、国家の威信をかけたプロジェクトでしたが、時代が下がるにつれ、草の根運動の募金で再建された。予算がない。そして、金ぴかの大仏を見た人も誰もいなかった。

アテネのパルテノンも、最初は極彩色だったそうですが、風化して大理石の白一色になっていたのを、彩色しようという案が出たが、当時の美意識では、白のままが美しいとして、あえてそのままにしたそうです。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
1.金ぴかまでの募金が集まらなった。
2.創建当時の外国からのハイカラさは、次第に日本人には違和感を感じられてきた、のでしょうか。
<美意識>が、古代のナチュラル(生地のまま)に戻った、のでしょうか。
(<アテネのパルテノン>の白い大理石のように)

お礼日時:2021/10/07 15:20

此処で聞いても?



あなたが どの回答を選ぶのかに依って 正解が変わるだけ・・

あなたの選んだ回答が嘘であっても・・

なのに 現在の人が 分からない事を質問し  あなたが 嫌な回答はブロック
・・

ブロックは 人と人との繋がりを切る・・

人と人とは 繋がっていないと いけないのです

運営の作った くだらない機能を使うのは 辞めましょう・
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この回答へのお礼

御尤も

お礼日時:2021/10/06 13:08

1.現在までに戦乱や落雷などで数回大仏殿ごと丸焼けになってる。


2.大量の線香を長期間たきあげることで、煙に含まれる煤や油脂がこびりつた、
3.御身拭いと称する拭き掃除で表面の塗装などが剥げた。
「奈良の大仏・建物は、創建当時の金や赤が、」の回答画像3
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
宗教的な視点(教義)からではなく、たんに成り行き任せ、だったのですね。

お礼日時:2021/10/06 13:10

>ところで、肝心なのは、なぜ<それが良しという文化になった>のでしょうか?



その時代の人に聞いてみてはどうですか?
私には解りませんけど、少なくとも私は色が付いていない方が良いと思います
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この回答へのお礼

御尤も

お礼日時:2021/10/06 12:49

日本の至る所で見られる仏像は本来は殆どが色が付いていたのですよ


風化によりそれが取れてなくなってしまったのですが日本ではそれが良しという文化になったのでしょう

海外の仏像は赤や青や金色のものが多いですが日本人からしたらなんだか不自然に見えます
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<風化により>と<それが良しという文化になった>のですね。
ところで、肝心なのは、なぜ<それが良しという文化になった>のでしょうか?

お礼日時:2021/10/06 12:34

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