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「松浦佐よ姫」について教えて下さい。

A 回答 (3件)

松浦佐用姫(まつらさよひめ、佐与姫、佐用媛とも)は「肥前風土記」などに載る、いにしえの悲恋物語のヒロインです。


現在の佐賀県唐津市(江戸時代までは肥前国松浦郡)を舞台とします。
土地の長者の娘で美女として知られた佐用姫は、戦いのために朝鮮半島に渡る大伴狭手彦(おおとものさてひこ)と恋に落ち、別れを悲しんで、鏡山(現在の唐津市鏡山)から衣の領布(ひれ)を振って見送りました。このため鏡山の別称として領布振山(ひれふりやま)があります。領布を羽衣と見立てて、「日本三大羽衣伝説」のひとつとの称もあります。
また、佐用姫は山を下って呼子の浦の加部島(現在の東松浦半島の呼子町)に渡り、恋人が渡った海を見続けて石になったという伝説があります。
出身地は佐賀県厳木町という説や、佐賀県七山村という説があります。
万葉集(巻五でしたか)や源氏物語(玉蔓の西海落ち)、藤原定家の「松浦宮物語」にも言及があり、王朝の文人たちによく知られたエピソードとなりました。歌や物語で「鏡山(松浦地方の)」や「松浦」が出てくるときには、しばしば「松浦佐用姫伝説」が連想されています。

(ここまでのオーソドックスな佐用姫伝説についての簡にして要をえた紹介としては、下記のURLを参照してください。)

ただ、面白いことに、この佐用姫の伝説は、東北地方にも多く残っているらしいのですね。こちらの伝説によると、佐用姫は別れを悲しんで九州を離れ、京を経て、歌舞音曲を身のたすきとしながら、東北にまで至ったというのです。
この点に関しては、民俗学者・柳田國男の著作『妹の力』が、八幡信仰や神宮皇后伝説、「遊行女婦」の系譜と結びつけながら、日本文化・社会の伝統における女性の位置づけ(姉妹の主題、母系制、さらには娼婦差別や近親相姦を連想させる問題)をめぐるスケールの大きい論考のなかで論じています。
それによると、松浦佐用姫は、たんに男を待ち続ける悲劇のヒロインではなくて、どこにも定住せずに諸国をさすらい、みずからの歌や芸に思いをゆだねて人を励まし、「女歌」を歌い続ける、切なくも力強い「永遠の妹」(柳田はそこに日本の芸術の発生を暗示する)の系譜の最初のひとりだったのかもしれないのです。

また、あまり指摘されませんが、作家の大西巨人が、名著『神聖喜劇』で佐用姫についてページを割いて言及しています。

参考URL:http://www.yoyokaku.com/mannyou.htm
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この回答へのお礼

大変貴重なご意見ありがとうございます。
柳田國男氏、大西巨人氏もこの女性について書いているとは知りませんでした。勉強させていただきます。

お礼日時:2005/03/19 23:28

この回答への補足

ありがとうございました。

補足日時:2005/03/21 18:49
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確か平家物語に松浦佐用姫でてきますよね


ここにいろいろ書いてありましたよ
http://www.geocities.jp/kakitutei_pickup/matsura …

参考URL:http://www.geocities.jp/kakitutei_pickup/matsura …
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この回答へのお礼

いろいろとありがとうございました

お礼日時:2005/03/21 18:53

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