アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

私が読んだ話では、紅茶は 高級品だった説と、ミルクが飲めない貧乏人が ミルクの代用品のミルクティーにして飲んだ説の2つがあるのですが?

質問者からの補足コメント

  • ありがとうございます。
    しかし Youtubeで、イギリスは水が悪いので 労働者はそれまで ビールやワインなどの酒を飲んでいたのが、産業革命の機械労働では酒を飲むにはいかなくなって 紅茶を飲むようになった。と言っていたのですが?
    水割りでも お腹を壊したのかも?

    No.4の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2023/12/16 19:14

A 回答 (6件)

16世紀にお茶がヨーロッパに初めて入ってきたのはポルトガルを通じてでした。

「苦くて赤い色の薬用飲み物」は万病に効果を発揮する東洋の神秘薬という触れ込みで上流社会に広まったのです。ですから、ヨーロッパに持ち込まれたお茶は非常に高値で取引され、主に貴族によって消費されました。それは社会における富と地位を示す飲み物になりました。イギリス以外にもお茶は広まったのですが、根付いたのはイギリスだけでした。

英国王室へ初めて紅茶を持ち込んだのは1662年にチャールズ2世の元にポルトガルから嫁いだキャサリン妃です。イギリスは東アジア交易でライバルだったオランダに対抗するため、ポルトガルと結んだのです。ポルトガルは当時、南米ブラジルでサトウキビを栽培して砂糖を入手していました。この砂糖も当時は非常に高価でした。キャサリン妃は英国王室に嫁いだときに中国や日本の茶道具と陶磁器を紹介し、更に紅茶に砂糖を入れて飲むという非常に贅沢な飲み方を始めました。砂糖を入れる飲み方によって、他のヨーロッパ諸国と違って紅茶はイギリスに根付いたのです。

「ミルクが飲めない貧乏人が ミルクの代用品のミルクティーにして飲んだ」という話は、そもそも矛盾しています。貧乏人は高価な紅茶を買うことなどできません。ですからミルクすら飲めないような貧乏人が紅茶を飲めるわけがないのです。ミルクティーはインドからイギリスにレシピが伝わりましたが、イギリス人はスパイスの味に慣れることができなかったので、スパイスを取り除いて様々な種類のお茶を混ぜたり、砂糖を入れるようになります。
やがて渋みの成分であるタンニンが強い紅茶を嗜好品として飲むようになると、その渋みを和らげるために蛋白質が豊富なミルクを入れるようになったのです。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

皆さん 詳しくありがとうございました。
勉強になりました。

お礼日時:2023/12/19 21:53

お茶って、日本でも飲まれていますが、元々は中国だったかな?その辺りです。

で東西交易で当然のごとく西洋にも伝わっています。
なのでイメージ的には、イスラム圏に広がり西洋圏に広がり終には島国イギリスにも広まった、という感じです。西洋は水が硬水の関係で、緑茶が流行らなかったらしいです。
烏龍茶などもそうですが、緑茶ではなく茶色(この語源もそうですねw)なお茶が元々のお茶で、紅茶と呼ばれるものもこの系統と言えるものだったと思います。それが硬水の関係で、茶色のお茶が西洋に広まっていたようです。
それが西洋のへき地の英国にまで広がった後に、英国が世界を支配するようになり、この英国のお茶、つまり紅茶が世界に広まり、紅茶と言えば英国というようになっているようです。

お茶なんてのは日本でも庶民が普段から飲んで楽しんでいるようなものなので、中には高級品もあるのでしょうが、そういうようなものですよ♪
    • good
    • 1

わざわざインドから継続的に輸入していたのですから、上流階級向けの高級品に決まっています。


ただ、欧州の水は硬水で、そのまま飲用は出来ない。英国も硬水なので水で薄めたワインやビールなど酒を子供の頃から水代わりで飲んでいた。

初期は中国から緑茶を輸入していた。緑茶も硬水を煎じることで水を飲みやすくするためだったが、紅茶の方が硬水を飲むには合っていたことから、紅茶が大人気になった。

最初は少量ずつの高級品なので富裕層中心だったが、茶葉にはグレードがあり、紅茶人気が高まると富裕層が飲まないような比較的低価格の紅茶もインドやスリランカ(セイロン)で大量に栽培して大量に輸入することになった。だから、時間的には庶民まで紅茶が浸透するまで数十年の程度のことでしかない。

それからミルクが飲めない貧乏人云々という話はどうだろう。少し怪しい説に思える。

英国は欧州の一角で牧畜業は古代から盛んだ。
牛乳など乳製品の生産量は多く、紅茶よりも牛乳のほうが安い。農家なら乳牛を飼育していた時代だ。
紅茶や牛乳が飲めない環境に居るのなら、昔通りに水で薄めたワインやビールなど低アルコール飲料を飲めば済む話だ。
この回答への補足あり
    • good
    • 1

ヨーロッパ人が当初紅茶と称していたものは中国のウーロン茶。



ヨーロッパでは茶が育たない。
手に入れたければ育つところから輸入しなければならない。
(もしくは武力で奪い取るか)

当時茶葉の一大生産地は中国だった。
なので交易を求めたが、中国は「ヨーロッパには俺たちが欲しいものはない」とのことで安い茶葉しか渡さなかった。
つまりウーロン茶である。

そのウーロン茶がヨーロッパでは紅茶として高く売れた。
まず中国でしか手に入れられないこと。
それと長い船旅にカネがかかること。
それらが希少価値に拍車をかけた。
ヨーロッパ域内では、藁や牛のフンでかさ増しして売る悪徳の輩もいたらしい。

その後セイロンで茶が自生しているのが発見され、そちらが産地になった。
もちろん交易でなく武力(東インド会社)で奪い取ったのである。
    • good
    • 3

アジアから船便でわざわざ輸入してきたものだから、高級品です


なのでヨーロッパでは元々は貴族の飲み物、紅茶に入れた砂糖も当時は高級品ですしね
    • good
    • 1

金持ちというか、上流階級しか口にできなかったと思うよ。


どえらい階級社会だからね。
    • good
    • 1

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A