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平安時代の女性が男性を待つ苦しみを知りたいのですが、なにかいいサイトや資料はないでしょうか?
百人一首などで夜が明けるまでまっているなどとありますが、実際一晩中待っていたのでしょうか?そうであった場合どのように感じていたのか、何をして待っていたのか気になったのです。

それと平安時代の人々のちょっと笑える、びっくりする恋のお話などもあったら教えてください。よろしくお願いします。

A 回答 (5件)

個人的にはやはり「源氏物語」でしょうか…。


「あさきゆめみし」というマンガにもなりましたよね。
平安時代のへの字も知らなかった小学生になったばかりのころにあさきゆめみしを読んで歴史が好きになり、本好きの父にねだったところ、おもしろがって買い与えてくれた源氏物語を黙々と読んだ覚えがあります(笑)。
恋の話だと、個人的には縁結びと水の神様で知られる貴船神社に詣でた和泉式部の話なんかは有名ですね。
夫の心変わりになやんで貴船に歌を収めてお参りしたところ、貴船の神様から慰めの返歌がきて、その後願いが叶い、夫婦仲がもとのように円満に戻ったというお話です。
実際に貴船に行った時に、こんな山の奥深くに詣でたのかとビックリしました。
あと、恋のお話ではないですが、女性がよく持っているあの扇には、当時の化粧は時間がたつとひび割れが起こるのでそれを隠すためだったという説もあるそうですよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
私も源氏物語にあさきゆめみしから興味をもち、今谷崎潤一郎訳の源氏を読んでいます。でもながくって漫画になれたこの体がすぐ疲れてしまうのですよね。
貴船神社の神様から慰めの返歌??どうやってきたのでしょうか?夢か何かで?貴船神社のお話これからネットで調べてみたいと思います。図書館に通うのが良いとは分かっているのですが、どうも時間がなくて・・・
扇のお話などのようにこういう何気ない話っていいですね。あの化粧はいつ落として、いつするのでしょうか?匂の宮様が朝になって女房が水を持っ来たところ「先にあなたが顔を洗いなさい」と言うシーンがあったような気がしますが、そこで本当に洗っていたら化粧落ちてしまいますよね?

お礼日時:2003/03/24 11:09

 再び失礼します。


貴族の女性は基本的に親、あるいは兄や祖父母といった家族と同居していました。そういった、後ろ盾がなくなると夫の援助がない場合以外、落ちぶれていきます。(源氏物語の末摘花がこれに近いです。)
また、通い婚の当初は夫の面倒は妻の実家がみるものでした。そのため、娘ばかりの家庭は、大変な物入りだったようです。なぜなら、用意した衣装が気に入らないといったことだけでも、来なくなる可能性があるからです。同居を始めれば夫が面倒を見てくれるのですが。

 この辺の知識については、田辺聖子の「舞え舞え蝸牛・新落窪物語」か、「おちくぼ姫」(どちらも同じ作品です。)が詳しいです。
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この回答へのお礼

大変ですね!平安時代って1日だけ体験してみたいと思っていたのですが、あまりにも大変そうだ・・・やめておこう(出来るわけではないけれども)。
ありがとうございました。

お礼日時:2003/03/25 02:57

大和和紀の「あさきゆめみし」(講談社)


を読んでみては。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。読みました。紫の上は子供の頃、自分は自由だったことを思い出して、女はいつこうなってしまうんだろうと嘆いている場面など衝撃的でした。

お礼日時:2003/03/24 11:03

下記のサイトが面白いと思いました。


貴族の女性は、つまりは夫はパトロンであるわけで、のんびり待っているなんて悠長なことはなかったと思いますよ。死活問題ですもの。
だから、生霊とか、物の怪とか、けっこう怖いほど相手を思ってしまうのではないでしょうか。
自由といっても、経済的なことがからむと、悔しさも百倍のような気がします。
1対1の今の結婚制度のほうが、楽なんじゃないかな・・・。

参考URL:http://www.toshima.ne.jp/~yosh8091/bungaku1.html
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
六条の御息所が花弁を食いちぎる(なんといえばいいでしょうか?)場面などぞくりとしてしまいました。そのようなお話をもっと聞かせてもらえると嬉しいです。悠長に構えていなかったとしたら、どのように対応していたのでしょうか?御息所のように怨念とばすとか?
ちなみに、待っている女性と言うのは「今日いらっしゃらないの?」とか手紙で問い合わせないものなのでしょうか?「今日はいけないよ」という手紙すら男は出さないものなのでしょうか・・・酷いなあ

お礼日時:2003/03/24 11:27

 オーソドックスですが「蜻蛉日記」はどうですか?


これは、藤原道綱母が、第一夫人になれずに、夫の訪れを待ちわびて、息子の成長のみを楽しみにしているといった内容になります。
 ちなみに、通い婚だったのは、この人の夫が最後の世代になるらしいです。
(これ以後は、最初はともかく、ある程度たつと同居したそうです。)

 面白いかどうかはともかく、平安時代は結構、恋の話、伝説が多いですよね。
伝説をひとつ書いておきます。(女性が待つお話ではないのですが・・・)
 小野小町の百夜通いの伝説
これは小町が深草の少将に「百夜通ってこれたら、思いを遂げさせましょう、」と、いったのですが結局百夜の前に、少将が亡くなって、それを小町が供養したと言う伝説です。

 また、古典の時間等に勉強されたと思いますが、平安時代は和歌で求婚しました。そして、返事も和歌だったのですが、これは必ずしも本人が書いているわけではなかったそうです。男性としては、一夜を共にするまで、女性の顔を見ることはなく、判断材料は女性に関して流れてくるうわさと、垣間見(隙間からのぞくこと)、そして和歌の文字や内容だけで判断して求婚していました。そのため、「どこそこの姫は美人だ」のうわさで、一夜をともにして、朝明るくなってから顔を見たら不細工だった、なんてことは日常茶飯事だったらしいです。

 
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この回答へのお礼

「蜻蛉日記」
かなり痛々しい日記のようですね。ネットや昔の国語便覧だけで調べようとしているのも無理なのですが、蜻蛉日記、興味があります。

小野小町のその伝説聞いたことがあります。小町は晩年、その少将の霊にとりつかれたという小話を古典の授業中に読んだ記憶があります。忘れていました。ああ、あの時もっと読んでいれば・・・

通い婚で同居をしていないとき、女性は親の住んでいる屋敷に居候していたわけでしょうか?それとも自ら居を構えていた?女が主となると華やかな宴とか蹴鞠とかしにくいように思えるのですがそんなことはないのでしょうか?またあさきゆめみしなどで見る限り、垣根にもいろいろとあるようですが、どんな垣根というか塀、(高さとか隙間とか)が使用されていたのでしょうか?

お礼日時:2003/03/24 11:15

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