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よく幼稚園や小学校でママさんたちが「○○ちゃんのママ」と呼び合ってますが、
これは平安時代の藤原道綱母などの用法と同じように思います。
平安時代からずっとこの用法が存続してたんでしょうか?

A 回答 (3件)

 ちょっと質が違うと思います。

幼稚園や小学校が共通する場合、特にクラスが同じ場合は、母親の名よりそちらの方が覚えやすいし、区別しやすいからでしょう。
 右大将道綱は藤原兼家の子ですが、異腹の兄弟姉妹に道隆・道長ら有名人がいました。兼家の妻では複数ありますから、「道綱の母」とした方が特定できるわけです。「成尋阿闍梨母集」などもその例です。しかし、何時もうまく特定できるわけにもいかず、「菅原孝標女」のように父の名を使っているのは、やはりNo.2の方がおっしゃる原則があったのでしょう。結局、その女性のことが広く知られるようになった著書などが、当時どんな呼び方で定着したかによるのでしょう。
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この回答へのお礼

なるほどよくわかりました。

お礼日時:2007/04/03 17:58

古代から女性の名前は両親、夫くらいが知っているだけです。


他人はその女性が子供の頃は誰々の娘であり、結婚すると誰々の妻であり、子供が成人すると誰々の母であります。
女性の名前が後世に残るのは、戸籍とか願文とか官位を貰ったとか珍しい事例です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

お礼日時:2007/04/03 17:57

女性の場合、家族など余程親しい人間以外には本名を明かさない習慣があります。


紫式部とか清少納言とか、通称は有名でも同時代の人間でも殆ど本名を知らないと思います。
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この回答へのお礼

平安時代はそんな感じだったみたいですね

お礼日時:2007/04/03 17:56

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