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塾で貰ったプリントで、蔵屋敷の説明で「諸藩が大阪などにつくった米の特産物の保管や販売のための施設」となっています。
これは、大阪に送るために作ったという意味ですか?
だとしたら、なぜ送るのは大阪だけなのですか?江戸や京都には送られないのですか?

A 回答 (3件)

大坂は「天下の台所」と呼ばれ、多くの物産が一度は大坂に集められたのです。


販売するのも買うのも、大坂で行うことが多く、多くの藩は大坂の商人に借金をしている状態でした。ですので、大坂を無視して、独自に京都や江戸で販売を行う藩は少なかったのかも。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。理解しました

お礼日時:2021/11/30 19:39

江戸というのは比較的新しい町で、家康以前は城下町とか漁村程度のものだった。


城下町といっても地方の城の城下町と同等の規模。
そのころ大阪や堺はもう大都市だった。
堺は戦国以前から続く都市だし大阪は秀吉の振興策で大いに発展した町。
その振興策のおかげで商人も多く集まった。

一方、家康が江戸に引き連れていったのは武士と技術者。
技術者は町や城、屋敷を建設するためのもの。
彼らを相手に商いをもくろむ商人が行くことは行ったが、商業の町とは到底言えなかった。
その後江戸時代を通して江戸の商人も力を付けていったが、伝統の大阪には到底及ばなかった。
大阪が本店で江戸は出先という商店がほとんどんだった。

だから、問屋とか卸とかの大本は大阪になる。

経済の面で江戸が大坂を抜くことはなかった。
東京に名を改めても100年ほどは大阪に及ばなかった。
東京が経済面で大阪を抜くのは戦後、昭和30年代も終わりになってからである。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。なるほどです

お礼日時:2021/11/30 19:39

このプリントの出典元は、何なん?

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この回答へのお礼

塾で独自に作っているプリントです。

お礼日時:2021/11/30 19:38

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