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この宇宙には存在しか在りません。

あえて言うなら存在と無しかないのです

ハイデッカーでしたか そういう名前の著作がありましたが

無は無いから無ですから 本当はこの宇宙には存在しか無いのです

あるものは全て存在なのです。実存も何も 先ずは存在が在るのです

唯物論でも唯心論でも存在しか在りません。

だから存在するものが価値であり意味であり

存在することが意義であり目的なのです。

我々も存在しているのです 神も人間もイエスも悪魔も概念として存在しています

人間は現実にも存在します。

存在する為に生まれ 存在する為に育てられ 存在する為に生きる

これがこの世の真実なのです。

彼の世の話はお話です。

分からない人いるでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • うれしい

    エイドスとヒュレーはどっちがどっちか間違えやすいのですが

    エイドスが形相 ヒュレーが質料で

    昔は科学が無かったので アリストテレスが使っていた言葉かと思います。

    今の言葉で言えば エイドスが心 ヒュレーが体でしょうか

    それを僕の論で言うと エイドス・心が性質 ヒュレー・体がエネルギー

    で出来ている。 と言う二元論になります。

    アートマンは我で アン・アートマンは無我ですか?

    ブラフマンとか高校で習いましたねえ 結構好きで参考書を読みました。

    ちょっと纏まりませんが ブラゲロンニュさんの話は分かり易くて良いです

    僕の論は分かりにくいそうで残念です。

    No.9の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2021/12/11 12:12
  • うれしい

    この世の(この宇宙の)モノは全てエネルギーを持ち性質を持っているのです

    出来ればそういう目でご自分の周りを見て下さい 様々な性質に囲まれて

    暖を取り 食べ飲みして PCと言う性質拡大機に文字を打つ

    これみな性質の成す業であって 力にも性質があります。

    様々な性質に慣れて我々は生きている訳です。

    心臓も安定した性質で打ってくれないと死んでしまいます。

    上手く説明できませんが 最後の


    >☆ こちらの物言いとしては 性質というのなら 心の持つやさしさやレジリエンスと・・・・・

    と言うのもその通りだと思います。性質の複雑な反応で人間は生きているのです

    そして人間はAIの性質も使ってこの世界をコントロールするようになるでしょう。

    分かって貰えたかどうか疑問ですが・・・

      補足日時:2021/12/11 15:07

A 回答 (17件中1~10件)

№9です。

コメントをいただきました。

★ (補足コメント1) ~~~~~~~~~~
今の言葉で言えば エイドスが心 ヒュレーが体でしょうか

それを僕の論で言うと エイドス・心が性質 ヒュレー・体がエネルギー

で出来ている。 と言う二元論になります。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ 仮説ですが わたしの見方をぶつけます。その心は 《二元論》をきらうという意味合いにあります。



(あ) 《こころ》は 生命(=神の次元なる場ないしチカラ またはエネルギ)によって出来たモノなる身(からだ;生命体)が 元の生命とさらになお火花の散るような物理化学的な反応を起こしてそこに成ったクオリア(質感)だ。



☆ 次の仮説の[5]の説明になります。

【Q:飛びっきりのトンデモ哲学:いのち・こころ・《われあり》】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/12693338.html
〇 趣旨説明  ~~~~~~~~~~~~~
1. 生命体があらわれる前の《場》は 生命か無生命か。

2. 生物はおろか無生物がそれとして出現する前の場ないしチカラは 《〔おそらくすでにコトを起こしている〕地》であり その地から切り離されたモノは 《図》と成った。

3. 地図として全体を成す大きな場ないしチカラは 生命か無生命か。



4. 生命体は 図を成すモノから成っている。モノの結合としてやはりウゴキのあるコトでもある。

5. 中で ヒトにかんしては 身体すなわち〔コトを起こす〕モノが あたかも初めの生命によって放たれた稲妻を受け取ってのように 精神を発芽させた。(稲光が コメの成長を促すという俗説のごとく)。


・・・・
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~




☆ あなたの説を この私のしつらえで説明すると こうです。:

(い) 神の次元なる生命(≒ 究極の《物質》)が 自己運動を起こして やがて生命体・殊にヒトが出来た。
そのとき 人間の――エネルギとしての――身(その細胞組織)が なおも究極の物質なる生命とあたかもスパークを起こして成り立ったのが 《性質》だ。

☆ ということになるんでしょうか?


☆ こちらの物言いとしては 性質というのなら 心の持つやさしさやレジリエンスと呼ばれる強さ そしてあるいは 意志をつらぬくにあたっての弱さ脆さ その他さまざまな喜怒哀楽のさまを言うと思われることですが どうでしょう。
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この回答へのお礼

Thank you

すみません 遅くなりました。

>心の持つやさしさやレジリエンスと呼ばれる強さ そしてあるいは 意志をつらぬくにあたっての弱さ脆さ その他さまざまな喜怒哀楽のさま

は確かに性質ですねえ

素粒子 原子 分子 タンパク質などの生命分子 器官(心臓とか腸とか)

そして脳。それが感じるこの世の様々。心(性質)が感じ考え意志し

生きて行こうと 永遠を目指そうとする上での喜怒哀楽。

脳も生物学や医学で明らかにされつつある働きの場所によって

嬉しいと思うと幸せホルモンが出て人間の感情や最近になって理性が

働く様になったり 悲しいと脳が停滞したり色々ですが

その嬉しさを感じる為の伝達物質やホルモン(脳内モルヒネ?等)が

脳に嬉しさを届ける 人間が嬉しいと感じる脳の働き。

それが心です。私は向精神薬を飲んでいるので

この薬を飲んだらこんな働きをする あの薬を飲んだらあんな働きをする

と言う事が分かります。

だから悪い事をしても笑っている人も居れば 自分を責め落ち込んだりする人も居ます

ちなみに宇宙飛行士は 宇宙から見ると地球は一つの生命に見えるそうで

その感覚から行けば 地球や台風も一つの生命じみたものかもしれません

生命じみたものですが 循環とフィードバックによる点で生命の様に見えるのでしょう。

身体としてことを成すにも 体(物質)が無ければなりません

初恋の人を長らく思っていても感覚器が無いとことは成せません。

性質と言うならば 真理の法則に則って反応する性質が無ければ

事も何も起こりません。

性質は土にもあり植物にもありそれを食べる動物にもあり 人間にも在る訳です。

スパークを起こさなくても 固い性質と柔らかい性質、厳しい人と優しい人

何にでもこの世に有る存在には性質が在る訳です。

貴方自身も性質で出来ているのです。言葉を書けば反応するでしょう?

何だか説明しにくいですが

お礼日時:2021/12/11 15:03

№16です。



もう一点だけ確認させてください。

★★ エネルギーと性質は別物で 二元を成す!!

☆ ここから:

〇 人にかんして 身と心とは別物で 二元を成す

☆ と言ってよいのかどうかです。
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☆☆ (№15) ~~~~~~~~~~~~


ただし はるさんは 人間の人間たる所以を 性質(エネルギ)と呼ぶんですよね?

★ (同・お礼欄) ~~~~~~~~~~~
エネルギーと性質は二元をなす別物です これは人間ばかりでなく物質全てです

人間には体や脳などのような質量(エネルギーと等価)と

精神、心、感情などの様な性質があります

ハッキリ書かないと分かってもらえないので

エネルギーと性質は別物で 二元を成す!!

と書いて置きましょうか。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ とすると――二元だとすると―― そもそもの初めから 形相と質料とがあったということでしょうか?

イデアにかかわる・ゆえに心にかかわる形相と 運動を起こすエネルギにかかわる質料と ふたつの元――根源でしょうか?――が あったと。


すなわち 人としては 身と心とが 別々に元を成してはじめからあったと?
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この回答へのお礼

ありがとう

科学と宗教と昔の哲学(理気二元論・エイドスとヒュレー等)と僕の

エネルギーと性質 そしてプラトンの言うイデアと どれも同じじゃないですねえ

しかしイデアと言うのをどう理解してあるかも分かりませんが

現実とイデアと言う風に成って来るでしょうねえ

僕の論には特にイデアという様なものが在る訳じゃないですねえ

敢えて言うなら人間の精神の理性が理想としてイデアを想起してる

みたいな感じになるんですかねえ。でもイデアと僕の論は特に関係はないです

僕の論は飽くまで現実の中に真実・真理が在るとしてますので。

憲法にしても 理想は憲法ですがそれをみんなが支持して初めて護憲となると思います

その点自民党は危険ですねえ。理想を書き換えて現実に妥協しようとしています。

岸田首相に期待です。

エネルギーはビッグバンの前からあったのではと思います

点から始まった訳ではないと思います。

一つの塊が何らかの限界か刺激か意図的な爆発で大爆発したのでしょう

インフレーション宇宙と言う感じでしょうけど

点と言ったら体積0ですからねえ。

お礼日時:2021/12/12 22:21

★ (№14お礼欄) 


人事を尽くし天命を待つ

☆ そういった帰結になるとわたしも思います。


もうひとつの見方として:

〇 よかれと思っておこなったことが 人びともそれぞれにあって同じくそうしていて じつは中身は違っている。すると その社会総合的な結果は どうなるか?

早い話は 成るように成るでしょうし 一般に大いなる自然史過程において決められて行くと考えられます。

そして この自然史過程と もし天命とが異なっていると捉えた場合 また人間の考えとして思索してゆくんでしょうね。





☆ このようにしつこく人間や社会のあり方についてこだわるのは 人間の人間たる所以であるか それともそういった中核では必ずしもなく性質なのか?

ただし はるさんは 人間の人間たる所以を 性質(エネルギ)と呼ぶんですよね?
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この回答へのお礼

エネルギーと性質は二元をなす別物です これは人間ばかりでなく物質全てです

人間には体や脳などのような質量(エネルギーと等価)と

精神、心、感情などの様な性質があります

ハッキリ書かないと分かってもらえないので

エネルギーと性質は別物で 二元を成す!!

と書いて置きましょうか。

僕にもまだハッキリと分かりませんが

まだまだ悲劇も起こると思いますが

人類は最終的には永遠に向かって飛び立ちリサイクルしながら

エネルギーを吸収しながら宇宙に出ていく存在と成るでしょう

それまでは宇宙船地球号です。

その時には自由自在の存在に進化してるでしょう

これが天国でも在り神です。沢山の神々が宇宙に飛び立っていくでしょう。

ちょっと書き過ぎかなあ?

エネルギーのない性質もなければ、性質のないエネルギーもありません。

お礼日時:2021/12/12 18:09

★ (№13お礼欄) ~~~~~~~~~


⑨については

>初めの世界たる場ないしその生命――これが 神である――についても・・・

何でそれが神かが分かりません。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ ちょっと舌足らずでした。

・ 非経験の場ないしチカラ:これが 神です。《生命》とも――飛躍して――よびます。

・ 経験事象:初めの世界たる場。そこにやがて生命体が現われる。その内のヒトは この世界について知ろうとする。


☆ じんるいは 《かみ》という言葉を持ったという現状が一般的です。

この言葉について――哲学としては―― 世界にかんして位置づけておくといったかたちです。

いやいや それは――《かみ》は――死語だという見方もあります。





☆ 《性質》についてですが。

・ 神の固有の内容:絶対性・無限 
    (説明として 超自然・超経験)
    ――これは 誰が考えてもそう帰結されるはずです。

・ その属性(性質?):真理・善・美;愛;摂理・全知全能
    ――これらは 人がその主観において神について
     言わば忖度して得た答えです。

・ 神を擬人化すると 絶対者 となります。

・ これを 世界をめぐる物語の中に登場させると 創造主 となります。
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この回答へのお礼

ありがとう

お話は分かります。

そういう事なのでしょう。

ただ私は生まれた時から父が神を信じておらず 無宗教の家で育ちましたので

神のことは青年期に勉強して「成る程この様なものか」と思いました

擬人化して 高村光太郎が

僕の前に道はない
僕の後ろに道はできる
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちにさせた廣大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の氣魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため

と書いたのが校長室に貼ってあって

先生か誰かが「この父というのは誰の事だと思う」と言うので

その後「これは神のことだろう」と思いました

しかし神を持ち出すと人によって解釈が違うから(神の認識が違う)

ややこしく また宗教の違う人同士でもややこしく

神なんて紙に書いてあるだけで 見たことも聞いたこともないから

私の考えには 神を信じる人だけに幾らか書いた部分があるだけで

殆どが無宗教で書きました。

敢えて言えば宗教の代わりになるような哲学を と思って書きました

神を信じる人は世界には多いですが日本には少なくなっています

仏の方に感心のある人の方が多いのではないでしょうか。

葬式仏教と言う人もありますが。

神について哲学を含めて持論を展開してることも意義があると思います

神について日本人は先祖崇拝が有るようです。

人間の始まりが神だからです。ブロゲロンニュさんの神の定義も

生命の始まりを神と(神が創った?)考えておられるようで

先祖崇拝の局地だと思います。

僕は戦争や東日本震災をそのままにした神を信じる気にはなりません

神の力は働いていても 我々は自分自身を救わんければなりません

絶対他力 という人もいますが 人事を尽くし天命を待つ でないと

救われません

天は自らを助けるものを救うとあります。

出来ることなら自らを救いたい いや自らだけでなく苦しむ世界の人の

助けになる事を願います。

神頼みでは生きていけません 現金も必要だし哲学も必要だし

手助けも必要です。

神を信じてる人を否定はしませんが、イスラム国の台頭とアメリカとの戦い

等を見ると 宗教に助けを求めるのも裏目に出ると憎しみ合いかと思います。

真理・善・美;愛;摂理・全知全能 があれば助かることが多いと思いますがねえ 人間にはまだまだです。

お礼日時:2021/12/12 14:07

★ (№12お礼欄)


だから「存在は性質を持ったエネルギー」であるとしか言いようがなくて


① はじめに 《場》があった。と見ます。

② ゆらぎ・うごきを持ちます。場のそこここ全体で 動いています。

③ 場は チカラでありエネルギであり世界全体です。やや飛躍して 生命です。

④ この場から――勢いあまって?――ウゴキの部分部分が単独分立した。

⑤ 単一体となった部分は モノと呼ばれる。その中から 生命体が出来た。モノとして出来ているが 最初の場におけるウゴキを有している。つまり コトでもある。

⑥ 生命体のうちヒトは 最初の場である生命と呼応して 自己運動する身体に精神という現象を芽生えさせた。

⑦ 精神は たとえば知解という行為能力を有する。

⓼ 知解能力は 精神の固有のハタラキのひとつである。

⑨ 知解能力は うつろいゆかざるを得ない有限なものながら 初めの世界たる場ないしその生命――これが 神である――についても 何とか工夫して知り得るところまで知ろうとする。

・・・

☆ たとえばこういったふうに捉えた知解能力は ハタラキそのものだと見るわけです。ふつうは そうだと思うのです。

その性質と言えば あやまち得るとか 学習し得るとか 意図してか意図せずにか あやまちをまことだと言い切ることがある ことを自分に有利にはこぶためにウソをつくとか そういったクセがある。・・・
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この回答へのお礼

ありがとう

「ハタラキ」と言うのは生命にだけではなく森羅万象に在るものでしょうか?

知解能力と言うのは精神の働きの一つですよねえ。

なんかカシコミ カシコミ 申す みたいですねえ。

「ハタラキ」と言う言葉は「働き」と言う言葉とどうニュアンスが違うのでしょうか?

私の考えでは性質の働き、性質のハタラキと言う感じになるのでしょうか?

僕も性質には働きが在るんじゃないかと思うのですよ

それも真実・真理に違わないハタラキをする

人間の考えは間違えますが 性質は間違わない。鉄棒をライターで炙った位では燃えない。余程薄い鉄でない限り。

ガソリンを火で炙ったら燃えて爆発するかもしれない(容器に入っていたら)

性質通りになる。真理通りになります。現実は真理通りに変化して行きます

しかし知解能力は間違える事も多い。ニュースでガソリンが爆発したと報道されるかもしれません

嘘も吐きます 何事もなかったと報道されるかもしれません。

誤解もあります 大阪の工場で爆発があった・・・と言うとひょっとして

自分の息子が勤めてる工場かと思う人も居るかもしれません。

現実は嘘を吐かない。人間は嘘だらけです。最近特にそうです。

騙しが流行っています。誤解される表現が多いです。

AIが嘘を吐き始めたら大変でしょうねえ。

パソコンもPを押したのにqが出たり。「真心から・・・」と書いたのに

「二人で上手い事やりましょう」と出たり。

冬が暑くなって、夏が寒くなったりすると驚きますよねえ。

神と言うのが僕はよく分からない。神が多すぎるし時代遅れの神になったり

神に祈ってもなかなか実現しません。

「神も仏もあるものか」と言う思いをすることも多い。

大震災の時や戦争が起きたりするとそう思いますねえ。

昔の歌に在りましたが「100点なのは電子計算機」だとか

今はスマホにも嘘が横行してますねえ。ウッカリ買い物もできない

それも自己責任となります。

資本主義じゃなかったらこんな嘘吐かないのに。

でも共産国も嘘には嘘で対抗して来ます

日本ではまだまだ中国の良い事は言いません。アメリカの方が正しい様に言います。

①~⑧については特に気になりませんが 

⑨については

>初めの世界たる場ないしその生命――これが 神である――についても・・・

何でそれが神かが分かりません。

お礼日時:2021/12/11 22:31

№9&11でのやり取りについて みなさんにどう捉えるか 聞いてみては どうですか?







たとえば不随意運動。

消化器が 意志には基づかず 作用する。このハタラキは 《性質》とよぶんですか?

自律神経の持つそれ自身の役割りですよね?

そして たとえば胃腸について つよいとか弱いとか そういうさま(状態)のことは――こちらのほうを―― 性質と呼ぶんではないですか?

心臓は じょうぶで長持ちだとか。鼓動が 持ち前のハタラキであり つよい弱いなどは 性質。といったふうに。

専門の知見では どうなんでしょう。
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この回答へのお礼

うーん・・・

「性質」と言う言葉以外に思い当たる言葉が無いんですよ

「質」だけじゃあ分かりにくいし 霊魂とか言っても

霊魂だけで存在してないと思われるのですよ

皆さんが意識しないか「自明」と思ってるのでしょうけど

「性質」の働きなしに精神や消化器や車でも摩擦(ブレーキ)でも

何でもかんでも 性質が在るんですよねえ。

存在と言って 悪魔とかユニコーンが本当に現実に存在してるとは思わないでしょう?

ユニコーンは想像上の存在だから、実際の性質はないんですよねえ

性質以外にクオリアと言ってみても 何で人間の脳だけに クオリア何てものが根拠もなしに出て来るか分からないですよ

存在する為に性質が働くことが非常に多いんです

進化論を見ても 動植物の性質は殆どが獲得性質です

そういう性質を獲得し続けて来たのです アメーバーからゾウリムシ、ミドリムシみたいな単細胞生物から。

それがDNAに数多に情報として遺伝してるんです。

エネルギーの方は物質でないエネルギーもあると思うのですが、ある人が口走ったには この世は物質しかない エネルギー何て古い と

しかしそうすると唯物論になって運動エネルギーやポテンシャルエネルギーは何と呼べばいいのか 分からなくなるんですよねえ。

だから「存在は性質を持ったエネルギー」であるとしか言いようがなくて

他にもっといい言葉が在れば教えてもらいたいです。

お礼日時:2021/12/11 17:59

存在がエネルギーなら!



エネルギーが全くないのが無かなぁ~?

物質はすべて分子や原子てな物で構成されてるらしくて

分子や原子って絶え間なく動いてるはずだから

人間の感じられないエネルギーってのはあるはずだもんね

絶対零度だと分子や原子の動きも止めてしまうとか?

( ̄~ ̄;)

専門家では無いからフワッとしか解らないけどね
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この回答へのお礼

ありがとう

僕もそう考えますが 相対性理論でも「質料はエネルギーと等価である」

という事になっています。

従って原子を構成する原子核の陽子・中性子を構成するクウォークや 電子の様な(レプトン)素粒子も 質料を持っており

速い話が原子を構成する構成物は質量を持っているので エネルギーと等価と考えられるのです

分かり易く言うと鉄でも酸素原子でも質量を持っているからエネルギーで出来ているのです。

分かり易い例は原水爆です あれだけのエネルギーが一発の爆弾から出て来るのは 如何に沢山のエネルギーで物質が出来ているかと言う事になります。


物質や電磁波などの存在に対して それが全くない「無」はエネルギーを持ちません

何も持たないから無なのです。だから無には性質もありません。

何もないから無なのです。在るのは「無」と言う概念だけです。

絶対零度でも物質は存在する場合が多いですねえ。バラバラに砕けることがあるのかなあ? それでも無くなる訳ではありません バラバラになるだけでしょう。

存在はエネルギーと性質を必ず持っています

ペガサスやユニコーンは概念だけ存在します概念はエネルギーが在るとすれば

記号 言葉ですね。言葉も声に出したり書かないと分かりませんねえ

概念は脳に数え切れないほどあります エネルギー部分は脳の様々な物質と電磁波です。

お礼日時:2021/12/11 13:26

★ (趣旨説明欄)


唯物論でも唯心論でも存在しか在りません。


唯心論と唯物論とについて説明したいと思います。


1.
一般に日本人はその生活において――わざとうわべだけを見れば―― 功利主義という意味で現実主義ですね。だいたいの話です。

2.
その反動からなのでしょうか あるいは 反動でも何でもなく現実主義をきれいに装うためにでしょうか 他方では 精神論も 盛んです。つまり この場合 精神が大事だという訓戒を垂れるものです。その言い草としては その想像世界に入り込んでしまうような極端な精神主義に聞こえる場合があります。

3.
日本人は唯心論か唯物論かと問うてどう答えるかと言えば 唯心論だと返ってくるでしょうね。唯物論だという人は 上の現実主義のことを指して そういうのでしょう。

4.
ですが このような概念は 一般に 概念じたいを知らないはずです。唯物論といえば 物が大事だとする我利我利亡者のことぐらいにしか捉えていませんし いや 心が大事なんだと反論するくらいが 唯心論ということになっています。

 




5.
西欧の話ですが 唯物論は 無神論ですが 無神というのは 唯心論ないし精神ないし理性の――究極の――神と けっきょくは同じことです。唯物論も 信仰です。

6.
もともとの絶対者としての神の想定から派生して 出てきました。
想定したのなら その神は 人間が作ったのであると考え直したんでしょうね。神学の秘密は 人間学なりというわけです。ですから モノかココロかと問います。ただし究極ということでは ちょっと工夫がこらしてあります。

7.
《究極》というのは――この場合―― もはや人間の能力によってはそれを表象し得ないところという意味です。

8.
ところで かたちあるものは 形相(イデアまたはエイドス)と質料(ヒュレー;モノ) あるいは 精神(こころ)と質料(からだ)から成っています。

家の骨格が 形相(フォルム)で その材料が 質料(マテリア)です。

9.
そこで これらの双対を 一たん引き離して それぞれの究極を問い求めました。
 
10.
前者(形相ないし精神)の源である第一精神が 歴史の狡知をも演出する神であるとなります。つまり 世界精神ないし理性の神です。

11.
後者(質料)の源は モノの究極である第一質料であり 特にこれを《物質》と言うというわけです。

この物質も けっきょくは 神なのです。理性の究極なる神と同じなのです。
 
世界は 《物質》なる神――または 無い神――の自己運動として成り立ちそれとして推移するのだと。
 
12.
したがって 唯心論も唯物論も これら両者を 無理に別々のものだと見なして どちらかを唯一としただけです。

13.
ですから 唯物論は 無神論ですが――つまり物質は 神ではないと言い張るのですから 《無い神》であるようですが―― とは言っても 《質料》の究極を問い求めたというかたちにおいては けっきょく理性の〔究極の〕神であると考えるべきです。
 





14.
日本人は これらのどちらでもないと思いますよ。そういうふうには 分けて考えていないという意味です。

15.
強いて自慢をすれば 中道だということになります。唯心論にも唯物論にも片寄りません。

16.
その意味では 無理なく造作なくすでに唯心論と唯物論の統合が図れていると言えるかも知れません。

17.
茶化して言えば 神さんは 先祖の霊の中にまた大自然の中にひとつにおさまっています。現われ方が分身として やほよろづの神々となるだけです。



18.
ただし ゴータマ・ブッダの説くダルマが これはアン-アートマン(無我)という見方にもとづき 《無い神》であるはずなのですが これについてどうも あいまいです。あいまいにしたまま 平気でいます。

19.
先ほどわれわれ日本人は 中道を行くと言いましたが これが 決してそうではなく 中庸に落ちつくどころか けっきょくさらに堕ちて行って 両義性のどっちつかずの《あいまい教》におさまってしまっているようです。

20.
ゴータマ氏のアン-アートマン説は どちらかと言えば 唯物論です。

21.
唯仏(仏です)論は 後世に興ったアミターバ・ブッダ(阿弥陀仏)やマハーワイロ―チャナ・タターガタ(大日如来)のほうであり どちらかと言えば これらが 唯心論です。別様に 唯識論というかたちを立てるのもありますが。
 
22.
これらの多様性を――大いなるシントウは―― ひとつの神のもとにまとめていると言えば言えましょうし その中身にかんしては 整理はされておらずまた整理をしないほうがよいのだと考えられ けっきょく思想としては何でもありの様相を呈しています。最もわるく言えば 《のっぺらぼうの顔無し》です。

23. でもそこに生命の息吹きを吹き込めば 何とか成るどころか ひじょうに控えめなよい生きる思想が 成るのではないでしょうか。

24. 存在ないし実存って こういうふうな問題なのでしょう?
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

Thank you

どうも丁寧に解説ありがとうございます。

長いのは苦手でお腹が痛いのですが 非常に分かり易く解説してあるので

よく分かりました。と思います。

唯物論 唯心論ですが どちらかが正しければどちらかが間違ってる事になるのでしょうか?

昔は「物」と捉えていた我々の環境に在る物も 実は 般若心経にある様に

「空」である 確かなものではなく花火のようなものだと

たまたま其処にエネルギーが集まってるだけのことであります。

何もない様に見える空気や宇宙空間にも何かがあると考えられています。

唯心論にしても自分の認識できるものは心だけですから 心が無くなれば

世界も消えると考える人も居ます。

しかしこれだけ何千年も哲学をして来た訳で 唯心論と唯物論

どちらが正しいとは言い切れないものがあります

そこで考えたのがこの私です^^

唯物論で言う物質の「性質」 その「性質」で精神や心は出来ているのだと

脳を考えても物質だらけで クオリアの発生は不可思議ですから

どう考えても精神や魂は ニューロンや伝達物質、脳内ホルモンや脳波

その様な物質や電磁波の持つ性質で出来ているとしか考えらえないのです。

つまり「性質」と言うキーワードで唯心論と唯物論はつながっていると

考えられます。性質と言うのは辞書を引くと載ってないのですが

進化論でいう遺伝形質 の「質」の事です。性質が遺伝するのです。

この「性質」と言う言葉が見逃されてるあまりに 物質文化と精神論が結び付かない

のではないかと考えられます。


唯心論で考えると無我どころか 我(われ)中心に世界が説明されますが

唯物論になると 我(われ)は何か物質世界の副産物の様な扱いになり

我が行き場をなくします。

≪無い神≫と言うのはよく分かりませんが 質料と形相と言うのは私にも

分かります。オーバーしたので補足に付けます。

お礼日時:2021/12/11 12:11

無があるというのは、矛盾ですね。

無はないので哲学も何も生まれない、と。

この宇宙は存在しかない、まあ、その通りでしょう。

そして、その様々な存在が、どういう性質で、どういう働きをして、どういう活動をしているのか?で、それらが要は人間にとってどうなのか?どういう価値があるのか?また、反価値があるのか?

そういうことを科学は形而下の範囲で解明しようとし、形而上の範囲で哲学が解明しようとしているということだと思う、大まかに言って。

>存在する為に生まれ 存在する為に育てられ 存在する為に生きる

うーん。

ハルさんの哲学は出会ったときから実は、肯定も否定もできないでいるんです。
言葉遣いは正しくないと思うのですが、何か超本質的なことを言おうとしているのかも知れないと、ね。

言葉遣いが適切でないから、ほとんど全員に否定されているのだろうと。
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この回答へのお礼

Thank you

無があると書きましたかね? 僕は無は無いから無だと思っています

従って在るものは存在だけです。

哲学界では存在の事を「存在者」と言います。で存在とは何かと言うと

訳の分からない事になります

郵便ポストが在ればそれが存在なのです 郵便ポストは存在しているのです

花火も存在しています いや一瞬存在します。

我々一人一人が存在なのです。人間と言う存在です。

哲学界に存在を取り戻さなければなりません

その点に於いては唯物論は自動車を「自動車」と言う存在だと言うでしょう

形而上とは精神の概念の世界だと思います 形而下と言うのは我々が見ている世界です。

見えなければ触ればわかるし音で分かる事もあります

形而上は意識で捉えるので、見えもしないし音もしません 触れません

僕も言葉遣いは、確かに独特なので分かりにくい事もあるでしょう

「性質」と言う言葉を使っています。他に言葉が見当たらないからです。

進化論で言えば「形質」の質のことを言っています

DNAで形や性質が遺伝します この「性質」と言う言葉も 辞書で調べて頂けると分かりますが

他のものとの区別をするための言葉 みたいな事が書かれています

私の語感とは一致しません 性質はもっと動的で、反応や精神や霊魂や心を成す言葉です

科学一辺倒の現代に忘れかけられてる「精神」と言うものを考えてみて下さい

精神は何で出来ているのでしょうか? 何に反応するのでしょうか?

恐らくここに書いたことは理解されないかもしれません

しかしこれは一つの哲学であり 私なりには納得しています。

ちょっと分かり辛いと思います。が私の一つの哲学の体系です。

お礼日時:2021/12/11 10:46

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