【お題】引っかけ問題(締め切り10月27日(日)23時)

昔の婚姻は日本も欧米も割と近親間で行われることが多かったと思います。
(同腹の兄弟姉妹以外)いとこはもちろん、姪や甥、腹違いの兄弟まであったと思います。

そこで疑問なんですが、有名なハプスブルク家のように近親婚を繰り返していると
障害を持って生まれたり、生後すぐに亡くなったりとかなりの弊害が顕著に表れていますが
昔の人はそういったことは認識していなかったのでしょうか?

統計的に近しい者同士で結婚し生まれる子供に障害が多いという感覚はあったはずで、遺伝的なことはわからないにしても、それを呪いだ、縁起が悪いなどの方向に行かなかったのでしょうか?
あくまで稀なケースとして意識していなかったのでしょうか?

近親相姦に近い結婚に至る家の事情はさておき、それによる弊害を知っていたのか、という点を知りたいです。詳しい方教えてください。

A 回答 (8件)

#6です。

お礼ありがとうございます。

>一般庶民的には認識していたので極力近親婚(余程近い関係)は避けるけれども権力者になるとそうもいっていられない家の事情などで仕方なく、というケースがあったというところでしょうか。

近親相姦するかどうかは、結局「財産をどうやって維持するか」の方法にすぎません。
 牧畜で近親相姦を好まないのは、結局繁殖力が落ちるから、です。牧畜の繁殖とは病気やケガに強い1匹の強いオスが病気やけがに強い何匹ものメスと交配して、どんどん子孫が増えることで豊かになるからです。

しかし人間の場合、よほど近親相姦を繰り返さない限り、そこまで重大なことにはなりません。ハプスブルグ家も1世代に一人生き残ればよいわけです。

ところで全開書き忘れましたが日本の場合、牧畜を知らなかった可能性は高いです。日本は宦官を受け入れませんでしたし、馬の去勢も知りませんでした。なのでアジアの「牧畜」で当たり前の文化や知識がほとんどかけていたし、その結果、馬車も利用しませんでした(去勢しないと牡馬は気性が荒すぎて馬車などの制御できない)

逆に「知っていたけど、子孫を残す行為は動物であっても尊重する」という考え方があったのかもしれませんが、日本の特に平安貴族までは近親相姦ばかりです。

武家の時代になると近親相姦は比較的減ります。それは男子が家督を継承することを基本としたからで、その代わり長兄が他界して、次男などが家督を継ぐと、長兄の嫁はそのまま次男の嫁になったりします。

これ、現代的な感覚だと「ひどい」と思うでしょうが、日本の嫁は財産管理ができる奥様でしたから、嫁の側としても自分の地位の保全になっていた、という利点があります。(西洋では女性に財産権・相続権がないので、奥様の地位なんてほとんどなかったです)

イスラムなんかは放牧文化なので妻を何人も持てたりします。つまり「強いオスが多くのメスに子供をたくさん産ませる」という牧畜の基準そのままなわけです。

なので近親相姦による障害の認識は、文化や時代背景、そしてなにより「財産をどうやって維持するか」によって、各民族で選択肢が違ったのです。
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江戸時代以前はもっとフリーセックスです。

誰の子かわからないのがたくさん居ました。世の中が寛容でした。大家族のため、若い嫁さんは舅や義弟ともセックスしていました。実父や実兄実弟とセックスすることもありました。女の子は妊娠するから管理が大変でした。
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知っていましたね。



特に放牧する民族は近親で交配すると生まれてくる仔に障害が増えることをよく知っていました。だから、時々、隣の家の家畜と「同じ数だけメスを入れ替える」なんてことをしていたのです。メスでもオスでも入れ替えれば、近親交配を避けられるからです。

しかし、人間は土地や財産をもっていて、それを維持するのが家系になります。現代は土地に依存していないで生活が成り立ちますが、昔は土地が無ければ生きていくことができませんでしたので、相続はものすごく重要で、それを一族で保持するために近親相姦がくりかえされたわけです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
知っていたという意見が多くなってきましたが、一般庶民的には認識していたので極力近親婚(余程近い関係)は避けるけれども権力者になるとそうもいっていられない家の事情などで仕方なく、というケースがあったというところでしょうか。

お礼日時:2022/01/26 10:41

昔の人はそういったことは認識


していなかったのでしょうか?
 ↑
経験則として、知っていたと
思われます。

なぜなら、古今東西、女性は
あちこちに嫁に行く、という
風習がありましたから。

構造主義を採っている
レビ・ストロースはこれを
指摘しています。

知っていたけど、貴族は血統を
守る為に近親婚を繰り返して
いたのです。

貴族のアイデンティティーは
血のミトスにあるからです。

天皇にしても、大正天皇の例が
あったので、皇族ではない美智子さんを
嫁さんにしたのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
意見が分かれていますね。確かに朝鮮の同じ苗字と婚姻しないとか、
アフリカの隣の村から嫁をもらうなどの習慣は、経験値として近しい血縁同士の結婚はよくないと思うところがあったからと言えますね。
うーん、難しい…

お礼日時:2022/01/26 10:40

詳しい方ではありません。

 ただ、次のように思います。

> 有名なハプスブルク家のように近親婚を繰り返していると障害を持って生まれたり、生後すぐに亡くなったりとかなりの弊害が顕著に表れていますが昔の人はそういったことは認識していなかったのでしょうか?

たぶん、ほとんど認識はしていなかったか、ただ家系の問題であると認識していたかであろうと思います。
「近親婚を繰り返すケースと、たまに近親婚のあるケース、ほとんど近親婚がないケースに、区分して認識する」というような思考あるいは認識法そのものが行われないでしょう。 仮に、そのような区分で「出生する子供の障害の発発生率の多少」に関わる情報を得ることそのものが難しいハズです。 そもそも、100年以上も昔ならば、5歳になる前に死亡する子は20%~50%にはなていたでしょう。 変動幅は大きいです。 死亡に関する情報の入手でも容易でないのに、少々の異常・障害などあったのかどうか情報を得ることが出来ません。 「世間のうわさ」のようなことで、天才の家系、憑きもの筋、若死の家系、長命の家系、色狂いの家系のようなことは言っても、それを婚姻の範囲に関連づける発想そのものがないでしょう。

珍しい調査だと思うのですが、広島・長崎で出生した20,716児のうち生後1年で死亡した869児について、その児の両親の血縁度で死亡率を調べた人がいるそうです。 下図参照
https://www.primate.or.jp/old/PF/yasuda/23.html
江戸時代の大名の子(流産や死産を除き、生年と死亡年が分かっている子)の死亡率をみると、生活環境はよいであろう大名の子でさえも、乳児期や幼児期に死ぬ子は多く、それも、生れた時期や江戸か地方かでも、死亡率が大きく違っています。 同じく下図参照
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jps/24/0/24 …
 
近親婚であったために、死亡率、障害児発生率が違っても、その違いに実際に気付くことは、まず無理でしょう。

> 遺伝的なことはわからないにしても、それを呪いだ、縁起が悪いなどの方向に行かなかったのでしょうか?

婚姻の近親の関係と結びつけるのは、まず無理な発想でしょう。
インセストタブーについてのwikiでも、好みや文化の差であって、遺伝問題の危惧が影響しているという説は出てないと思います。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3 …
「昔の近親婚姻による障害の認識について」の回答画像4
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
なるほど、ハプスブルク家のような極端な血縁結婚を繰り返すことは稀で
そうであるなら通常の結婚と近親結婚ではそれほど死亡や障害の発生率は違いがないので、世間的にも認識はなかったということですね。

お礼日時:2022/01/26 10:37

いや、認識はあったようです。


ただ、それよりも一族の力を維持する方が優先されていたってことでしょう。

昔、日本の天皇家にも同様の考え方があったようですが、藤原氏のおかげでそこまで血が濃くならずに済みました。
もちろん、藤原氏は権力目当てでそこまで考えてたわけじゃないでしょうけど。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
認識はあったけれどもそれ以上に必要性があったということですね。

お礼日時:2022/01/26 10:33

日本の天皇家が近親婚により障害児が多数生まれたことは周知の事実です。

従兄弟が恋心を抱くのは良くあります。実父が娘に肉体関係を求めることも時々あり、近親婚は障害児が生まれると言う認識があるため、近親婚は避けられる時代となりました。法律で結婚を整備しないと危険です。人間は動物です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
質問は天皇家の事実でも近代の認識でもなく、江戸時代以前の話です。

お礼日時:2022/01/26 10:32

昔は今の様に乳幼児医療が進んでませんし栄養状態もよく有りませんでした


ですから生まれてから無事に三歳を迎えられるまでは、神様の子というふうに言い伝えられていました

つまり今の姿は仮の姿でいつ神様に連れ戻されるか分からないという意味
それだけ乳幼児の死亡率が高かったんです
ですから近親婚の影響による乳児の死亡もその他の多数の乳幼児死亡の中に含まれてしまいますね

日本では、中国大陸や朝鮮半島のように同姓娶さずという習慣もありませんでしたし
意外に大らかだったんではないですかね
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
昔は多くの新生児が死んでいたのでそこまで意識されなかったということでしょうか?
しかし数百年もあれば、明らかに死亡率、障害率の違いなどは伝承されていく気がするのですが…

お礼日時:2022/01/26 10:31

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