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現在日本は「ゆとり教育」の名の下に教育改革らしきことを行っている。その中で一律一クラス四十人制が緩和され、少人数授業を実際に行う学校が出てきた。しかし私は一体全体、少人数制授業というのは実際に何人位からこう呼ばれるのかといつも疑問に思っている。例えば、40人学級であったのを30人学級にしても言葉の上では少人数化しているわけであるが、私の経験上30人学級でも40人学級でもたいして違いがないと思える。私が通った小学校、中学校は県庁所在地のとある都市にあったが中心部のためドーナツ化現象の餌食となり生徒数が減少しかろうじて三クラスをギリギリ維持し、転校生もいたため各クラスとも30名ぐらいであった。一方、高校は一律40人クラスであった。しかし、どちらの状況でもクラスの中には成績が良い人もいるし、落ちこぼれになってしまった人もいた。つまり何を言いたいかというと、少人数制だけ行ってもほぼムダだということだ。
 ということで、私は少人数制を行う時は習熟度別制度と組み合わせてやった方が良いと思う。
 少人数制の人数の線引きに関することと、少人数制を単独でなく習熟度別と組み合わせて使うという事について意見をお願いしたい。

A 回答 (4件)

まとまって おらず スンマヘン。



制度だけを変えても、教員が対応できる能力を持っていないと無理があると思う。
(習熟度をどの程度で線引きするのかの 考え方がしっかりできている教員はいるのか?など)

現在の教員数で実施できない(と思う)ので、歳出のどの部分を廻すのか?はたまた 国債を増やすのか?

個人的には、義務教育には その目的すら 明確で教員が多いような気がするので あまり 期待していない。
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この回答へのお礼

この問題には教師の能力と国家予算までが絡んでいるとは… この先日本の教育はどこへ向かうのだろう…
御意見ありがとうございました。

お礼日時:2005/03/19 22:53

かつては60人で1学級という時代もあったようですから、それに比べればすでに少人数化していると言えます。


少人数化することは、当然教えやすいということはありますが、一方で教師が楽できると言うことでもあります。大人数を惹きつけ、信頼を得るリーダーシップがさほど必要でもなくなります。「子どもの質が変わった」「一人一人に対応しやすい」などは当然のことであり、これを言い訳として、教師が自らを磨くことをおろそかにする傾向を生んで教師の質の低下を助長するものともなりえます。私は、恐らくそういう方向の変化が生じてしまうと思っています。これが進めば、「ほぼムダ」となるでしょう。

教師が一クラス当たりの人数を減らしてくれと言うのは、当然の言いたくなる欲求です。しかし、それは比較の問題でもあります。教室とはどういうものかという認識によって変わると言えます。
将来、例えば30人学級が一般化したとき、30人が大人数と認識されている可能性もありますね。

習熟度別に関しては、問題がいろいろあります。さきほどの、「教師が楽できてしまう」問題もありますし、成績に良い結果をもたらすとは言い難いという調査結果もあります。関連書籍がいくつか出ていますが、私は以下の本が議論の的を射ていると考えます。(しかも安い!)

佐藤学著
習熟度別指導の何が問題か
岩波書店
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この回答へのお礼

少人数、習熟度別にすると教師が比較的楽になるという視点には気づきませんでした。
御意見ありがとうございました。

お礼日時:2005/03/19 22:49

 こんばんは。

こういう質問にはさまざまな考え方があるので自信は「なし」としておきます。ご参考になれば幸いです。

 私は大学受験講師の経験があるのですが、4~5人の補講レベルから60人程度の中規模クラス(予備校としては、です。小さな私のところではそれで十分大教室でしたが)までいろいろとやりました。その中で感じたことを。

1~10人:生徒一人一人の考えていることが手に取るようにわかり、テキストのポイントだけでなく、判らないところも押さえた授業ができる。
10~20人:不満を持っている・または参加していない生徒の存在を感じることがある。
20~30人:回を重ねると、食いついてくる生徒とそうでない生徒との違いがはっきりしてくる。脱落者もちらほら出る。
30人以上:年間通してやると、3分の1~半分近くが出てこなくなる。

 物理的に全員の生徒の頭の中まで見通して、それぞれの生徒のケアをすることができたのは20人くらいまででした。これは、当時の私の未熟さもありますが、教室という限られた空間の場合、全員とコミュニケートするには120分という時間はあまりに短く、結果としてこれくらいの数字が限界と感じました。学校教育の場合、与えられた時間はもっと長く、生徒同士のコミュニケーションも活発でしょうから、こちらからの働きかけ以外で得られる情報も多いでしょう。その分もう少し(10人くらい)生徒数が多くても何とかなるのかな、とは感じます。
 ただ、今は生徒個々の育った環境が多様化しているので、それを理解するのにも半世紀前と比べると大変な負荷が教師にかかっているため、40は厳しい数字だと思います(ここは小学校教師の母の情報を参考にしています)。私の個人的限界値は30としておきます。理想値は20。
 で、習熟度別、という点についてですが私は反対派です。なぜなら一人一人の習熟度管理は教師(または講師)の役割と考えるからです。教師がわかっていればいいだけのことです。逆に習熟度が一緒でも、一人一人思考のプロセスも特徴も違いますから、それを理解せずに教師が1レベルに対し1通りの(極端な話)教え方をしていったら必ず脱落者が出るでしょう。習熟度の違いをどう授業に生かすかも、教師の腕の見せ所ではないでしょうか。「理解していない=頭が悪い」ということとは限らないのですから。その点ちょっと工夫のなさすぎる教師が多いか、または教師の仕事量・制約が多くて思ったことができないのかいぶかしく感じる今日この頃です。
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この回答へのお礼

予備校という教育の第一線で働いていらっしゃる方の生の意見を聞くことができて非常にありがたかったです。具体的な線引きの基準とその結果については非常に貴重なデータだと思いました。
御意見ありがとうございました。

お礼日時:2005/03/19 22:46

そういえば…そうですね!?


少人数制授業という何人位から呼ばれるのかというのは、たしかに疑問です。

<少人数制の人数の線引きに関することと>
私の意見ですが…
いくつかの小学校の授業見学をしてみましたが、少人数制で算数の授業を行っている生徒の人数は、各学校によって違いがあります。
ですから、どこまでが少人数授業になる人数なのか、その明確なボーダーラインが無いと思います。
授業を教える担当の先生方の意見、学習の指導方法・指導目標・指導評価、学校の教育方針に基づいてクラス編成とその人数が決められるものであると考えられます。

学習内容や活動によって、人数を2分の一に分けたり、3分の一に分けたり、2クラスを合同で行ったりと学習形態は様々ありますから、児童の実態や教師による指導の工夫によって変わってきます。


<少人数制を単独でなく習熟度別と組み合わせ>
私もこれに賛成ですね。たしかに、少人数だけでなく習熟度別にクラスを分けて、勉強を進めていけば学習効果は上げられると思います。

しかし、問題があります。
成績優秀な生徒が集まったクラスにおいては、比較的に指導が楽かもしれませんが…落ちこぼれクラスとなると、教師にとっては非常に大変です。周りの生徒から「分からない」「つまらない」を連発して、授業にならないかもしれません。落ちこぼれクラスの場合は、数人の教師がつくことが必要ですね。さらに、学習障害を抱えている生徒もいますから、多面的に支援ができる環境を整えることが重要になってきます。

また、成績優秀な生徒と落ちこぼれの生徒が混合したクラスでも利点があります。成績優秀な生徒は落ちこぼれ生徒に「ちゃんと勉強をやりなさい」と注意をしたり、「これは、こういう計算になるんだよ」って教えてあげたりします。私は授業見学をした際に、こうした様子を見ることができましたので、仲間と共に学ぶという観点で考えると、習熟度別に分けない方が良いという解釈ができるかと思います。

参考になれば、嬉しいです。
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この回答へのお礼

m0o0mさんがおっしゃっている、成績優秀者と落ちこぼれ生徒の混合による相互作用は見逃していました。これは習熟度別では起こりえないことですね。落ちこぼれ生徒が優秀者に触発されて勉強を始めたりするのは良いと思います。しかし、落ちこぼれ生徒が「俺は所詮秀才ではないからやっても仕方がない。」とやけになる危険も少なからずあると思います。
御回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/03/19 22:40

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