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技術立国なのに昔から科学者と技術者を人事面でも給与面でも徹底的に冷遇するのはなんでですか?
100年も前から大企業や官庁の幹部はほとんど事務屋ですし、近年新設されたデジタル庁の幹部職員も全員デジタルを知らない文系でした。
これらの強固な慣習は一世紀程度の間で敷設されたものではなく、「文系エリートこそ至高で工業者は下賤とみなす」儒教の影響が一つの理由なのかなと自分は思ってます。
韓国とか清朝までの中国も、医者や理工系は凄い見下されてたみたいですね。

どんな理由であれ、ノーベル自然科学賞数世界5位、特許数世界3位の我が国の理系人材が他のどの国より冷遇されてる現状には誠に残念です。

A 回答 (4件)

外向き・上向きの『能書き』と『口先が立つこと』を評価のポイントとしてきたからです。



正当に評価できる人もシステムも、作り育ててこなかった。

技術は発想が大事で、発想は日々の取り組みと興味から生まれます。
それが実るには、思考を助ける知識や理論がものを言います。
それを見習う者、育て励ます者や環境も大事です。

今の日本の進んだ技術は、そのすべてを優れた技術者の『犠牲』の上に出来上がっていると思います。



この種の話題は一般論として議論しても『ただの愚痴の言い合い』『傷のなめあい』になるだけで、何のアクションにもつながる気がしないのが普通ではないでしょうか。

それより、私的には、『こうしたらこうだった』的な話題の交換の方が建設的と言うか、得るものがあるように思いますがいかがでしょう。



私はプロファイルの様な在米の年寄りです。

小学校の頃から覚えた電子工作の趣味で、オーディオアンプやアマチュア無線の通信機なんかを自作してきた自称『マニア』でした。
約 50 年前、大学に入って出会ったアメリカの先端技術の教科書の素晴らしさに驚き、そんなのの勉強や仕事がしたくてアメリカにあこがれました。

しかし、為替が変動相場制に変わったばかりで、海外旅行などを個人で考えられる時代じゃありませんでした。
なので、いつか来るかもしれない行ける日を夢見て技術は独学しました。

その後、仕事でアメリカに派遣されるチャンスを得、独学の成果を使える機会を得ました。
あるとき現地の仲間がどうにも解決できない壁にぶち当たり、実施経験はないが解決できる可能性がある方法として私が提案したところ、快諾してやらせてもらえたのです。

見込みよりお金と時間はかかってしまいましたが、その成果は思った以上で、現地の組織の偉い方が高く評価してくださり、『日本の会社の顔色を気にすることなく、アメリカに好きなだけ居られるようにしてあげる』というご褒美をいただきました。

今の私はそれであります。

日本に居たら、こんなご褒美はいただけたでしょうか?
アメリカに来てよかったとつくづく思っています。

こういうこともあったという例です。
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この回答へのお礼

自分よりも数世代年上の理系の先輩方からのご意見、ありがとうございます。
仰る通りここでこの様な愚痴を垂らしたところで、文系支配の世の中が変わるわけでもなく、何の意味もないのは承知です。寧ろこの現実を否定したがる様な回答者も沸いてきます。

「能書き」と「口先が立つ事」が出世の条件というのはまさにその通りで、民主主義の政治家がほぼ全員これに該当する事がそれを示しています。
理系は元来その特性が社会のインフラや産業の根幹を支える「縁の下の力持ち」という側面が強いために、全体を統合・調整・指揮するのに向いていないの確かかもしれません。
ですが、その技術系の活動領域すらも技術を持たざる「口だけ」の事務屋が入り込み、彼らの人事権や財政権、生殺与奪権を握るのは理解出来ませんね。
東芝のフラッシュメモリや青色発光ダイオードの開発者に対する仕打ちが正にこれです。

ではどうすれば良いのかというと、現状としてはアメリカや、正当な評価を受けれる研究機関に自らが移転するしかないのでしょうね…
個人で見れば、確かにそれで大往生でしょう。

ですが、それは優秀な日本の理系人材の流出と世間からは揶揄され、その非難の的は組織の上部では無く皮肉にも「科学技術者自身」に向けられる事が多々ありました。
つまり、どこに身を置こうが日本の科学技術者は祖国から正当の評価を受ける事ができないという事実に直面してしまうのです…

なんとも難しい問題ですね、、、

お礼日時:2022/02/01 16:08

国立大工学部の元教員です。

冷遇されているんですか?運営とか経営とか人事とか事務仕事が好きな技術者や科学者がいるとは思えないし,やらせても得意じゃないですよ。工学部等での大学運営を観れば火を見るより明らか。教授にそういう仕事をさせますが,大半はちゃんとできません。いかに研究業績が優秀でも,事務仕事ができる教授は少ない。米国大学では,そういうアドミニストレーション業務は特定の教授と理事に任せてある。つまり,そういうのはそれが得意な事務屋に任せておけばいいだけのことです。一握りの事務屋が上司にいるからといって,大多数の技術者が冷遇されているわけではありません。技術者を適切に評価して給与を与えないと仕事しませんし技術営業もしないし,ろくな入札書類は書かなくなりますから,役所の公告に対して受注はできず,いかに優秀な経営者であっても企業は傾きますね。技術営業は事務屋にはできないんですから。役人さんは勉強してますよ。論文も読んでますし。事務屋が営業に来ても話にならないわけ。
 例えば誰もが応募してもらえる可能性のある科研費で,理系科学者が冷遇されているという資料があるんですね。僕は見たことありませんが,学内の科研費の獲得状況を観れば,当然,大型予算S等が当たる医学部・理学部・工学部の獲得額が確実に文系科学者のそれよりも多い。どのような冷遇措置がなされているのか,大学教員(理系でも文系でも)はわからないですね。社会科学も科学です。人文科学も科学です。科学者といったら文系の先生達も入りますよ。そのあたりの認識からして,ご質問者のご主張にそのまま同意することは,なかなか難しいことになります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
仰る通り、経営や管理が好きでは無い人が大多数なのかもしれませんが、それ故に彼ら経済的、社会的待遇の決定権は事務屋に委ねられてる現状なのです。
幾ら研究や仕事に満足していても、その金を分配、裁量するのが事務屋では、彼らは真に自由に研究活動に励めないのでは無いかという話をしております。

お礼日時:2022/02/02 20:10

やらせる側は文系で、やるほうは技師技術屋でしょうね。


総務や総務省は、何もしらない、
技術、開発、研究、現場大変で徹夜でも、定時帰宅ですからね。
事務屋がメシくえるのは技術や営業のおかげなのに
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で、韓国も中国も技術立国で、儒教の影響はもっと強く、これらの強固な慣習は一世紀程度の間で敷設されたものではないのだけれど。


そこじゃないんだと思う。
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この回答へのお礼

そうですね、
共産主義革命や朝鮮が分断される事で国体が変更された故に、彼らは全く新しい価値観のもとに急速に科学力を進展できたのだと思います。

日本の技術力の高さは敗戦前からも割と特定の産業に於いては強いものがありましたし、その前ですら教養ある旧支配階層の士族のかなり多くが理工系の兵学校や帝国大学に進学した形跡があるので、なんか自分の言ってることが全く違う気がしました。
ますます謎ですね。

お礼日時:2022/02/01 00:58

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