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現代美術はなぜ哲学的になったのでしょうか??
現代美術の主題の多くが哲学論、社会論、芸術論、
その他いろいろな分野からの批判的提示という形をとっているようです。

そういう流れがどういう必然性から起こったのでしょうか?

A 回答 (7件)

「差別化」「特別感」ですね。



いくら美しいものでも大半がそれになると「飽きる」のが人間です。
そこから考えると、「美」というのはいつも流動していて一定ではありません。

「商売」「芸能」でも同じです。
AKBタイプがウケれば「2匹目のどじょう」が出てきます。
しかし、増えすぎると飽きてきて廃れていきます。

このようにある程度のセオリーはあるものの、一定(固定)した「美」というものは「人間」ではありえないので、そこに「理由」を求めたがります。

私も写真をかじりましたが、こうも写真というジャンルが確定してしまうと、他と差別化するために必ず「これが美しいと思う理由」は必須とされます。
例えば、、同じ花の写真を撮ったとしても、その背景にストーリーを感じさせるものの方が評価されるのは当たり前と言えます。
一億総批評家とした周囲がそれを求めたがります。

その理由、ストーリーも突き詰めれば「哲学」に陥りやすいという話です。


ただ、芸術家としてそれを展示時に説明している方がいますが、それは最低の芸術家と言えます。

言葉ではなく絵や写真で訴えるべきができていないことを自ら認めていることになる…

それと同じで、「理由(背景、ストーリー)」をこね繰り回し、見た人間に「哲学的だ」と思われるのも、ある意味「その人に正確に理解させられていない」という意味では同じとなります。

これは、作品(作者)に「訴える力」がないことを意味します。

本来、芸術とは、受け手(見る人)に対し「哲学」を感じさせるのではなく、『感動』を感じさせるものです。

ゆえに、才能のない人間が、その背景にとらわれすぎてもね繰り回しすぎたものが「哲学的な芸術(作品)」と言えます

面白い例が「ハゲワシと少女」です。
https://kyuno.web.fc2.com/Site-qt/11-hagewasi.html
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現代美術はなぜ哲学的になったのでしょうか??


 ↑
異化論が、中心的になったから
だと思います。

包丁のように、言葉も感覚も使っているうちに鈍くなってくる。
最初は新鮮な経験も、玩具に遊び飽きた子供と同じで、
日常の中で繰り返されることにより当たり前になり、
また、言葉は使い古されて、経験や現実を指示せずに、
辞書に載っているような
死んだ意味を直接連想させるようになる。

芸術はこのような日常化に対する戦いである。

芸術作品は現実を新しい奇異な形式で
われわれの前に提示するが、われわれは形式を
その新奇性のゆえに意味に結びつけることができず、
理解するために現実を見直すのである。

こうして、日常性の中で麻痺したわれわれの感性は覚醒され、
現実とのみずみずしい関係が再建される。
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ところで質問者は造形芸術について、どのような学習をされて来たのでしょうか?


別にいい大学に行ってたとか、そんな話を聞きたい訳ではありません。
現代美術が哲学的、批判的提示という、古い解釈を今更持ち出す背景を知りたいし、それによって回答も変わってきます。
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デュシャンは、クールベ以降の「網膜的になった」と批判しています。

目の快楽だけで描かれた絵画を批判したのです。
彼にとっての絵画は思考を楽しむ手段なのです。
製作する上での技術的な熟練度よりも作品に込められたコンセプト(観念、思想など)を重視するコンセプチュアル・アート。
一見よく分からない、背後にある意味を読み解かないと理解が出来ないものが多いが、それを楽しむ。

一方で、コンセプチュアル・アートを否定する運動もあります。スタッキズムと言われるアンチ・アートの否定、すなわちアートの肯定を提唱する一派です。彼らはコンセプチュアル・アートを薄っぺらい新規性、ニヒリズムとして否定します。

更に一方ではアンチ・スタッキズムを提唱する者も現れ、混沌としています。

視覚芸術、造形芸術を巡り様々な難しい議論が展開されていますが、一般の鑑賞者、愛好家としては、それらを含めて興味を持って楽しむのがよいと思います。
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音楽でも現代音楽、バレエでもコンテンポラリーなどはそうではないですか?



写実的な絵の技術的な確率がなされ
写真もあり
具象的な表現の絵はある程度多くの人がやり尽くした中では
精神性や哲学、表現、唯一であることを抽出し模索する方向に行くというか
また、それ自体のジャンルが確立し
ある程度まとまったスタイルに名前がつけば○○派となるのでしょうけど

音楽も美しいハーモニーや構成の研究や完成が一通りなされたら
その先はまたそれを壊して行く方向が生まれますし
すべてのポーズや動きに厳格でストーリーのあったバレエもコンテンポラリーではもっと
人間の本質に迫るようなものや精神性を強く反映し
古典ではタブーであった動きやポーズが生まれますし
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両者とも抽象化され得るものを扱うという点では似ているから。

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現実をちゃんと把握できない人が哲学に逃げるのと同じでしょう。


「論」ばかりが先立って肝心の表現技術ができていない人が
「現代美術」という柵の中で自分を慰めているんです。
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