No.1ベストアンサー
- 回答日時:
真珠湾攻撃の2日後の12月9日に、ポートランドのオレゴニアン紙で、アラモの戦いでのスローガン「Remember the Alamo!(アラモを忘れるな)」を改題した「REMEMBER PEARL HARBOR!(真珠湾を忘れるな)」とのフレーズが登場した。
ルーズベルトが汚名演説で、日本の行為を「恥知らずな蛮行」や「背信行為」と激しく非難するなど、アメリカ政府が真珠湾攻撃を「だまし討ち」と喧伝することによってアメリカ国民の愛国心はさらに高まり、「REMEMBER PEARL HARBOR!」というフレーズはたちまちアメリカ全土を席巻する国民的スローガンとなった。このスローガンにより、アメリカの青年は次々と軍に入隊し、国民は国債を買い求めた。
「REMEMBER PEARL HARBOR」というスローガンを付した様々な記念品が作られている。記念品はポスターやグリーティングカードといった普遍的なものから、バッジ・漫画・宝飾品・ナンバープレート・切手・ペナント・枕カバー・男性用下着から女性用ブルマーに至るまで膨大な数に及び、それらを手にすることによって、さらにアメリカ国民の愛国心は高まっていった。
娯楽産業もその流れに飛びついて真珠湾攻撃に関する映画が速成され、サミー・ケイ作曲、ドン・リード作詞の行進曲「REMEMBER PEARL HARBOR」はヒットソングとなり、リリース後わずか数週間でアメリカ全土に広まった。
アラモの戦いとの関係については知りませんでした(以前になんとなくどこかで聞いたかもしれませんが)。
調べると、なるほど、ですね。
真珠湾の2日後の新聞紙なんですね。
ひょっとしたら戦後かな?とも思ったので確認したかったのでした。
それを軍隊の鼓舞に利用したことについては、想像通りでした。
ありがとうございました。
No.2
- 回答日時:
>それを軍隊の鼓舞に利用したことについては、想像通りでした。
これ、チョット違います、米国の国民を鼓舞したのです。
大恐慌から脱却する手立ては、戦争をする事と、ルーズベルト大統領は
考えていましたが、米国民はモンロー主義で戦争参加には否定的でした、
渡りに船の真珠湾攻撃だったのです。
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第二次大戦後、米国は建国以来の空前絶後の繁栄をしました、
それ以来、国際警察の番人と称して、戦争をし続ける国に、
なりました。
なるほど、ちょっと違いますね。
それにしても歴史とは、恐ろしくもありますね。
今の状況、歴史が大きく変わるのか、変わらないのか。
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