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Bragellone 様が御高説のなかで、「重ね合わせ」という術語を使われていらっしゃます。

科学においては、この重ね合わせは次のように使っています。
ア. 現象A(数値1)と現象B(数値2)とを重ね合わせると、両者の和の数値3になる。
イ. ある現象が重ね合わせの状態では、詳細な内容はわからない。観測されて初めて、Aなのか、Bなのかが確定する(それまでは、分からない)
(正確な詳細の説明は、御賢人がフォローして下さると期待しています)

哲学における「重ねあわせ」を、例を挙げて説明してください。

A 回答 (14件中11~14件)

次の説明は ほぼ定義内容そのものになりますので №2で省略したのはよくなかったと思い かかげます。




☆☆ 【Q:神は 有ると無いとの重ね合わせ状態で 人間にあらわれる】 ~~~~~~~~~~~~~~
・・・
5. 《有る神》派と《無い神》派とは 互いに対等・同等であり 自由に同時に成り立っている。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ すなわち 両派はそれぞれ自由に成り立つのですが そのときいづれの派も もう一方の派が自己の派と同時に同等に成立することをみとめていなければなりません。

世界には 普遍神のもとに具体的に二つの神論――有神論および無神論――が 互いに同時に同等に・ゆえに対等に成り立っている・・・ことになります。
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この回答へのお礼

再度の御回答ありがとうございます。
神論では、<有神論および無神論――が 互いに同時に同等に・ゆえに対等に成り立っている・・・こと>なのですね。

お礼日時:2022/04/09 18:35

イは量子物理学における「重ね合わせ」についての説明の様ですが正しくないので改めて説明いたします


原子核の周りに存在している一個の電子は観測するまでは存在しうるすべての領域に存在しうる状態をとっています。(この状態を電子雲と言います)
これを言い換えると一つの電子が存在しいうるすべての位置が重ね合わさせっているとなります。観測によってその位置を確定した瞬間その他の重ね合わさせっているすべてがそれに収束する。
但しその位置は観測によって確定するのではなくています観測することでその位置を確認することで確定するのです。
以上ですがそれでは理解し難いでしょうから簡単に
重ね合わせを簡単に説明すると「対象が取りうるすべての状態が取れる状態」で端的に言えば対象の選択肢がすべて選択しうる状態と言う事です。
これをb氏の「神は有ると無いとの重ね合わさせ状態」にあてはめると
選択肢は「神が有る」と「神が無い」となります。
つまり「神がある状態」を選択した場合何らかの神がある=いる状態=世界を選択したということです
「神が無い状態」を選択した場合
、普遍神を含めいかなる神が無い=いない状態=世界を選択したということです
要するにb氏は普遍神を含めいかなる神が存在しない世界があること認めたと言う事です
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
<b氏は普遍神を含めいかなる神が存在しない世界があること認めた>のですね。

お礼日時:2022/04/09 18:33

わたしの質問を取り上げてくださってありがとうございます。



№1の回答がすでに 上手に説明してくれています。と同時にそれは 信仰を持った状態が どういう中身として成り立っているかをよく伝えるものだと思いました。


わたしが質問において思っていたことは 微妙に別だと思われたので ひとこと述べます。


☆☆ 【Q:神は 有ると無いとの重ね合わせ状態で 人間にあらわれる】 ~~~~~~~~~~~~~~

1. 神は 有ると無いとの重ね合わせ状態で 人間にあらわれる。

2. すなわち 普遍神は 《有る神》と《無い神》とのふたつの姿が重ね合わさった状態で個々の人の前にあらわれる。

3. われなる人は いづれか一方の形式で神とカカハリを持つ。

4. どちらをえらんでも自由だ。良心・信教の自由。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ わたしたちはよく苦しい時の神頼みと言います。つまりそこで ふつう人は神に頼るのですが 中には 人間の自力以外のそういった神頼みはいっさい要らないと言う人もいるかと思います。


つまり この事例によく現われているように 人間は 《有る神》派かまたは《無い神》派に分かれる・・・のではないでしょうか?


少々理屈っぽいのですが それでも《有る神》の否定は 《無い神〔という神〕》なんです。

なぜなら その神にいっさいお世話にはならないし なってはいないとは言うものの その《神は無い》という命題は 証明しようのないことだからです。

むろん 《神は有る》も 証明し得ませんが。




だから 神の親方を普遍神とよぶとしますと その普遍神は 人の前に《有る神》か《無い神》かいづれかの姿で現われるものと思われます。

いづれか一つをえらびそれを分けるのは 人間の選択ですから その選択をする前の状態は 普遍神が 《有る》と《無い》とのふたつの姿が重ね合わせになっているようなことではないか。と考えました。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
<その選択をする前の状態は 普遍神が 《有る》と《無い》とのふたつの姿が重ね合わせになっている>ですね。
「シュレディンガーの猫」と同一の使用方法ですね。
疑問点は、まさか普遍神の場合のみに使えるのではなく、他の場合にも使える
のですよね。

お礼日時:2022/04/09 18:26

人間が大地に立っていられるのは、地球という大地の引力が有るから。


大地と人間の、物理的関係は、反発力。

同様に、この精神世界も、無と有の“関係”に有り。
無への反発力に依って“有”が生じる。

宗教的には、此処での無は、宇宙の本体である霊体、ブラジュロンヌさん曰く非知の世界、の事。

意識できる、この現実の世界と、出来ない世界との関係を“重ね合わせ”と云っている。


・・・・と、思います。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
「意識できる、この現実の世界」と「出来ない世界」との関係を「重ね合わせ」と言っているのですね。
したがって、くどいようですが、この二者のみの関係に使え、この二者以外の関係には使えないのですね。

お礼日時:2022/04/09 18:17

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