電子書籍の厳選無料作品が豊富!

昔は土木に携わる職業の者は凄まじい差別や迫害を受けたと書いてあったのですが、これって何故だと考えられますか?
時代を遡れば律令制時代からその様な職は身分が低かったそうです。
肉体労働を下に見る中国や朝鮮の思想の影響なのでしょうか?

A 回答 (4件)

> 昔は土木に携わる職業の者は凄まじい差別や迫害を受けたと書いてあった



その記載が妥当なのか、それをチェック、検証することが大事でしょう。
① 「昔」というのはいつ頃のことなのか、
② 「凄まじい差別や迫害を受けた」というのは、だれから、どのような行為があったというのか。 また、たまたまではなく、広汎にあったことなのか、その論拠となっているのは、何を見た、調べた結果であるのか、
③ 「凄まじい差別や迫害を受けた」のは、「土木に携わる」ことが原因なのか、別に原因があって「凄まじい差別や迫害を受けた」ものが、「土木に携わることになった」のか、そのあたりを、どう認識しているのか、

> 時代を遡れば律令制時代からその様な職は身分が低かったそうです。

7世紀後期(飛鳥時代後期)から桓武天皇の頃まで、あるいは10世紀に延喜式が出るまでだとすると、荘園制が本格化する前まででしょうか。
律令制の時代だと、「職業・生業」ではなくて、命令で徴発されてある期間従事するもの(課役・雑徭)だったようです。 貴族や貴族の使用人・奴隷ではない普通の男子(正丁・21歳~60歳)だと、年に何十日間は、土木工事などに徴発されていて、身分が低いということではないようです。
雑徭【ぞうよう】
律令制度での徭役(ようえき)労働の一つ。地方で道路・堤防・官舎の建設や修理など,肉体労働を必要とするとき,成年男子に課した無償労働の義務。唐では年間50日以内,日本では60日以内。唐では資課(しか)といって銭による代納が許され,やがてこれが一般化し,日本では奈良後期から平安初期にかけて期間が30日に短縮された時期もある。
日本の雑徭(ざつよう・ぞうよう)は、中国の制度を元としているが、日本の国情に合わせて導入されている。
地方において国司が徴発・編成し、治水灌漑工事をはじめとする各種インフラ整備や国衙等の修築などをさせた。その初見が692年(持統天皇6年)のため『飛鳥浄御原令』で制定されたとされている。当初は正丁(21歳~60歳の男性)年間60日以下、次丁(正丁の障害者と老丁(61歳以上の男性))年間30日以下、中男(17~20歳の男性)年間15日以下を限度としたが、757年(天平宝字元年)に雑徭を半減する格が出された。藤原仲麻呂の死後いったんは元に戻ったが、796年(延暦14年)に再度半減された。
原則として食糧は支給されず、公民はこの負担に苦しんだ。雑徭の賦課は国司の権限であり、なかには私用で雑徭を課す国司もおり、班田農民の没落・逃散を促したとする見解が通説である。
雑徭の実例としては、推古天皇26年(618年)に安芸国に造船の使者が派遣され、遣唐使船などの外洋を航海する大型船を建造した件が挙げられる。農閑期に農民などを徴発して、船材の伐採・搬出などの作業をさせた。船の大きさは、全長20m、幅7m前後と推定され、半年余で完成させるという超労働過重であったと推測される。

穢多、非人などの差別が出てくる時期があって、そういう差別があるときには、河原者や土木の従事者(土地の耕作者として年貢などを納める義務者ではないもの、芸人、乞食、大工、庭師、土木工事、染色、神事や祈祷などをするものなど)は、身分としては下級の扱いです。 でも、有名な僧や舞の名人など、厚遇を得るものもいるのです。

> 肉体労働を下に見る中国や朝鮮の思想の影響なのでしょうか?

そういう面もあるのかもしれませんが、古代ギリシャのポリスの住民は肉体労働は市民のすることではないと見ていました。 
日本でも、律令制に変わる前には、部民といって、職業別集団が、海部(あまべ)・錦織部(にしごりべ)・土師部(はじべ)・須恵部(すえべ)・弓削部(ゆげべ)・麻績部(おみべ)・渡部(わたりべ)・犬養部(いぬかいべ)・馬飼部・鳥飼部・解部(ときべ)、大神部(おおみわべ、おおがべ)、物部(もののべ)などがありました。 どの職が身分が低いというのではないです。 律令制に変わって、新しい制度が出来ます。 身分に上下は出てくるのですが、凄まじい差別や迫害とは違うでしょう。
  ~~~ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%A8%E6%B0%91 … ~~~
新たに諸司に品部・雑戸制として編成された。武器・奢侈品生産、特殊技芸奉仕など、特殊技能を確保するため、それらに携わった旧部民を各種の品部・雑戸として諸官司に隷属させ、課役の免除・軽減と引替に世襲的に工房への上番、生産物の貢納や技芸伝習にあたらせた。畿内近国に置かれ、その数4000戸以上。中核は主として軍事関係の生産に従事した雑戸にある。雑戸は品部とともに良民とされながらも雑戸籍につけられ、一般公民よりも賤視された。
品部の種類と戸数はつぎのとおり。図書寮の紙戸五十戸、雅楽寮の楽戸、造兵司の雑工戸、鼓吹司の鼓吹戸、主船司の船戸、主鷹司の鷹戸、大蔵省の狛戸、漆部司の漆部、織部司の染戸、大膳職の雑供戸、大炊寮の大炊戸、典薬寮の薬戸・乳戸、造酒司の酒戸、園池司の園戸、土工司の泥戸、主水司の氷戸。
これらの品部は恒常的な常品部と臨時に一般公民を差発した借品部の二系統に分けられ、前者は雑戸のごとき特殊技能者集団的性格を有したが、後者は徭役労働的性格が強い。これらの品部は畿内とその周辺に居住し、狛戸・染戸の一部が毎年料物を貢進した以外は、すべて諸司の工房や官園などに上番して労役に服した。上番には番をなして一定期間服役するものと、臨時に召役されるものとがあり、いずれもその服役状態に応じて課役・雑徭の全部または一部が免除され、兵役もゆるされた。

昭和40年代? 日本が高度経済成長期を経て、多くの人が繁栄というか、暮らしがとても改善されたときに、その所得上昇の大きな流れに残され、クズのように扱われてしまった日雇い肉体労働者が、やむなく集住したドヤ街が、数カ所日本で目立ってしまう状況が生まれました。 この頃が、肉体労働や日雇、土木作業への差別や蔑視がひどい時期だったのではないかと思います。 昭和20年代だと、多くの人が似たような生活水準で、差別意識は強くなかったように思います。
https://policy-practice.com/db/1_37.pdf
    • good
    • 0

工学部土木系の元教員です。

それはどういう事実を踏まえたものなのでしょうか。少なくとも日本では,その地方を治める者がまずやらなければならないのは,そこの住民を災害から守ること。そうしないと年貢が入らない。だから,いわば大名格の人間が基本的にやることは土木事業です。今の地方自治体と同じです。その最も重要な人間たちが迫害を受けていたというのはどういう状況を指すのでしょう。治水や道路を作る橋を架ける・・・これは外国でも為政者のやるべき最重要な事業で,実施しているのは土木技術者と技能者です。工学には昔は土木技術と軍事技術しかありませんでした。平和になってから,軍事技術は機械・電気・金属・応用化学などなどに分化しましたが,土木工学だけは昔から連綿と続いている工学技術・技能です。迫害を受けたなら消滅していてもおかしくないですよね。さて? どういうことでしょうね?
    • good
    • 0

低学歴でも出来たり実際ガラ悪い人がいて事件とかよく起こすからじゃないかな。

    • good
    • 0

色々あるけど、先ずこの歌を歌詞に注意して聴いてくれや。




 シャンソン喫茶「銀巴里(パリ)」の美少年歌手美輪明宏のヨイトマケの歌でし。
 終戦直後に失業者救済のために東京都が始めた土木工事。建設機械もほとんど存在しないから、道路を突き固めたりする時に人夫同士で力を合わせる時の掛け声が「ヨイトマケ」なんでし。
 当時東京都が支払った日給が240円。100円札2枚と10円玉4枚から日雇人夫はニコヨンと呼ばれて最下層の労働者として蔑まれてた。

 で上の歌詞にもあるように、父ちゃんの仕事がニコヨンだと蔑みの対象。でも父ちゃんが生きていたら、学校へ怒鳴り込んでくる可能性があるのでせいぜい陰口。
 戦争で父ちゃんが死んで母ちゃんがニコヨンだったら、ほぼ間違いなくイジメの対象。

 その頃は生活保護に回せる金が無かったから、どんなに恥ずかしい思いをしても皆働いていたし、こどもはイジメに負けずに我慢して学校へ行ってたでし。
 高度成長が軌道に乗り人手不足から建設労働者の待遇が上がって土方と理由だけで蔑まれることはなくなったでし。

 最後にひと言。
 何でもかんでも悪いことは「中韓朝鮮由来」って結びつけるのは良くないでし。
 差別迫害は大和政権が誕生した古来より、日本に存在していました。
「昔は土木に携わる職業の者は凄まじい差別や」の回答画像1
    • good
    • 1

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!