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欧米とアジアとの関係が変化する中、
なぜ江戸幕府は滅んだのでしょうか。

A 回答 (3件)

封建体制では、欧米列強に対抗出来なかった


からです。

封建体制では、国家は王侯貴族だけのモノでした。
戦争も、王侯貴族と傭兵がやりました。

それが民主化して、国民国家になります。

この国民国家、というのは、一般国民を
動員出来るので強力なのです。

だから、国民国家化に成功した欧米が
世界を席巻出来たのです。

それに気付いたのが、島津斉彬等
開明派達でした。
島津斉彬の弟子ともいうべき西郷も
当然気が付きました。

幕藩体制では、西洋の国民国家には
対抗出来ない。

このようにして、倒幕がなされたのだと
思います。


☆参考

日露戦争では、多くの国は日本の敗北を
予想していました。

しかし、米国大統領ルーズベルト
は日本が勝つと断言しました。

「ロシアはニコライの独裁だが、日本は 
 民主化が進んでいる。
 故に日本が勝つ」
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尊王と佐幕は、その根本においては対立した思想ではない。


討幕と佐幕は対立しても、両派ともに尊王であったことには違いない。

長州征伐に失敗した幕府は明らかに薩長に対して劣勢になった。
先進的な頭脳を持った人ならば、誰しも幕府の役割は終わったと想ったはずだ。
そして将軍慶喜も、その一人だった。だから徳川慶喜は大政奉還という江戸幕府解体の道を選び、慶喜と列候が中心となって新しく中央集権国家を樹立する道を選択した。

その後の戊辰戦争は、薩長の策謀が優り、慶喜を朝敵に仕立て上げることが成功したからだ。これで、歴代将軍の中で最も尊王意識が強かった慶喜の心が折れてしまった。

幕府の滅亡は、戊辰戦争以前の大政奉還で決まったことだ。その後は慶喜が主導するのか、薩長が主導するのかの、主導権争いに過ぎない。
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ペリー率いる黒船が4隻来ただけなのに、


その対応に慌てふためいて、幕府が弱体化して
いることが、他の藩にばれてしまったから。
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