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ノモンハン事件においては日本軍側の戦車の喪失は29輌だったのに対して、ソ連は255輌を失っており、装甲車を合わせると損失は397輌にもなり、日本軍側の損失を大きく上回っている。

ソ連は弱かったのですか?

A 回答 (5件)

インターネット記事によれば「日本は関東軍1万5000名を動員したが,8月ソ連空軍・機械化部隊の反撃によって壊滅的打撃を受け,独ソ不可侵条約も締結されたため停戦」とあります。

大学入試用の参考書にもそのように書かれているように、常識的には日本の戦績は大敗北とされています。

ただしその後の研究でロシアの戦績も芳しいものではなかったという資料も発見されているようです。両軍とも(秘)情報を隠しますから実情は専門家に聞かねばわからない部分があるようですね。
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>ソ連は弱かったのですか?



純粋に戦闘のみで考えれば、機械化されている割にはソ連は弱かった。ソ連としては日本軍の影響力を排除しておかなければならなかったのだけど、人員や兵器の損耗を考えれば、無駄の多い戦闘と言ってもおかしくない。
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ノモンハン事件の勝敗は、互角か6対4で日本優勢で終了しています。


ただし、戦争目的に対してはソ連完勝で、日本完敗です。
停戦交渉終了後の1週間後にソ連はポーランドへ侵攻しており、ノモンハン事件とは、ソ連が背後から日本軍に襲撃される事を阻止するために、敢えてソ連側から起こした紛争と思われます。結果、ソ連は安心してポーランドへ攻め込みます。
一方日本側は、ハルハ河国境線交渉でのソ連側の理不尽な要求に激怒した、辻正信参謀が戦争を惹起させたましたが、そもそも何の利益も無い平原の国境線で、戦争をする必然性はありません。その場に留まり、威圧するだけで十分なのに、愚かにもソ連の策略に乗せられて開戦。結果、何の得も無く損失を被りましたので完敗です。
>ソ連は弱かったのですか?
弱くはないですが、余りの日本軍の攻勢に驚いたと言うのが、実態と思います。将軍ジェーコフは、ノモンハンが最も大変だったと回想しています。
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この回答へのお礼

戦術で勝って戦略に負けたって事ですかねぇ…

お礼日時:2022/05/09 10:26

装備や兵站面においては全く二流だったが


中国大陸で何かしら戦闘行為を継続してきているという経験値はあった

一方で、独ソ戦は1941年、フィンランドとの戦争はノモンハン後で
ソ連軍(しかも極東のソ連軍)自体には戦闘経験はずっと絶えてだろうから経験値が無かった

やっぱり実戦経験の有無は大事だろうね
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この回答へのお礼

実戦経験はやはり大切なんですね

お礼日時:2022/05/09 10:26

独ソ戦初期のソ連軍の一方的な敗退でも分かるように


ソ連軍の戦力は激落ちだった

理由として挙げられているのは、スターリンによる徹底的な粛正が軍の幹部に対して行われた結果
有能な将校があらかた粛正の対象として軍から追われたり処刑されてしまい兵隊や兵器があっても活用が出来なかったという点では無いだろうか?

同じ事は、ノモンハン事件当時にも当てはまるのでは無いだろうか?
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この回答へのお礼

日本軍が強かったのですか?

お礼日時:2022/05/09 09:57

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