
1. 《〈わたし〉とは みづからをわたしと呼ぶ存在である。》――この命題の当否を問います。
2. 《われ思う ゆえに われあり。》なる命題は ただ《わたしは思っている。とか 考えるわたしがある》としか語っていない。
3. 《考えないときも わたしだ》だ。ボウッとしているときにこそ 結ぼれをほどくヒラメキが得られることが多い。
4. 《あやまつなら われあり。または あざむかれるなら われあり。》という捉え方がよい。
5. あやまちに気づいたら われはわれに還る。自然本性なる自己に還帰する。
6. もし《われありと言える存在》でないなら 人は人によってあざむかれることはない。能天気のぼんくらにでも 同じ存在であると思っているから 悪さをしてくる。
A 回答 (23件中21~23件)
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No.3
- 回答日時:
認識と意識の違いが。
下等生物でも、自身以外の“物”を認識する。
しかし、そうした自身を意識する能力はない。(と、思う)
と云う解釈で考えれば、
意識できる状態で“わたし”は生じる。
と、云う事になる。
と、なれば無我夢中の時には“わたし”は居ない。
ご回答をありがとうございます。
★ 認識と意識の違いが。
☆ ふむ。
基本として 意識は 一般に認識したものごとをあらためて思いに載せて確認する場合の心のウゴキではないかと思います。
その意識をさらに意識する場合もあります。
または 何か認識の対象となるものごとに対して その認識の露払いのようにして 注意をおこたらない心のウゴキを わざわざ意識と言う場合もあります。
意識は 一般に現実の意識です。そして 自己の意識と成り得ます。つまりそれは 《わたし》のことにかかわります。
ただこの場合 《自己》とは何かを規定しておかないと はっきりしません。
★ 下等生物でも、自身以外の“物”を認識する。
しかし、そうした自身を意識する能力はない。(と、思う)
☆ 動物のことにかんして くわしくないので そうであろうと思いますまでなんですが。
★ と云う解釈で考えれば、
意識できる状態で“わたし”は生じる。
と、云う事になる。
☆ そうかなぁ。私見では やはり自己を意識したとき 意識する自分がいるのだし 意識する対象としての自分もいる。けれども その自分が 《わたしはわたしである》というその自己還帰になっているかは まださだまらないとは思うのですが。
★ と、なれば無我夢中の時には“わたし”は居ない。
☆ ですから それは意識をはたらかせていないという状態を言っていて そのように意識がはたらいておらず 意識の捉える自己もないわけですが われはわれなりとすでに自己に到来したわたしは そこに存在しています。
意識を問題にするということは いまの場合 意識されていないわたしが 眠っていたり 無我夢中でことをおこなっていたりするのだと思います。
言ってみれば まわりの人からは 認知されています。そこに わたしはいます。
☆ わたしは 自己のことを意識していなくても わたしとして生活しているし 相手とマジハリを持っている。とは思うんですけれどねぇ。
☆ 意識とは何か? をあらためてやらねばならないかも。
片や 《心霊体(ナゾの存在・その本)》と 片や 《心霊体を心に思いそれを――じつはその思いをであって 本体をではないと思っているんですけれど とにかく心霊体を――意識したもの》とは 別ですよね?
No.2
- 回答日時:
「《理想的な未来のために》というふうにその方針に何の躊躇もなく:
▲ 何も疑問を持たない状態に陥〔る〕」
何て一言も言ってませんがね。
「不確かな知識や情報にもとづきつつも そのつど一回性の原則で行為するものであるからには 人間のその意志行為は それとして確信をもっておこなうのが よいはずではあります。」
こんなことも一言も言ってませんがね。
「ですから たまには《ボウッとするとき》も いいのでは? というふうな一面を 《わたし》論では 打ち出しているわけです。」
ここでボッーとるとは書いていませんし、どこに私論と書いてあります?
《確信を持ちつつ その確信はあくまで相対的な性格のものである》と留意すること。
あなたは何の確信を得たのでしょうか?教えてください。
「これは 前項でわたしが述べたことと 指向性を同じくしているように思います。《確信と相対性の自覚と》」
私はあなたの前の質問は知りません。
「わたしに言わせれば 当たり前すぎます。」
本当かなあ~本当ならこのサイトを利用していないはずです。
別にわたしは何々なんですなんて書く必要性があるのでしょうか?
わたしと言っても書ききれないくらいあります。
☆☆「《理想的な未来のために》というふうにその方針に何の躊躇もなく:
▲ 何も疑問を持たない状態に陥〔る〕」
★ 何て一言も言ってませんがね。
☆ 《理想》を言うなら・そしてそのために:
★★ (№2) 成長していかなくてはならない私
☆ と決意しているなら なにがしか《疑問を持たなくなる》でしょう。
☆☆ 「不確かな知識や情報にもとづきつつも そのつど一回性の原則で行為するものであるからには 人間のその意志行為は それとして確信をもっておこなうのが よいはずではあります。」
★ こんなことも一言も言ってませんがね。
☆ これは わたしの考えとして言っています。
▲ (アインシュタイン) 何も疑問を持たない状態に陥らないことである
☆ とは言うものの 疑問を持ちつつも 意志行為はつねにそのときその情況における一回性のものであるからには そのつど確信をもって事にあたるのがよい。と言っています。
☆☆ 「ですから たまには《ボウッとするとき》も いいのでは? というふうな一面を 《わたし》論では 打ち出しているわけです。」
★ ここでボッーとるとは書いていませんし、どこに私論と書いてあります?
☆ これも わたしの見解です。
★★ 日々が勉強で
☆ とあったのを受けて たまには《ボウッとするとき》も いいのでは? と。
☆☆ 《確信を持ちつつ その確信はあくまで相対的な性格のものである》と留意すること。
★ あなたは何の確信を得たのでしょうか?教えてください。
☆ ここは そのつどの意志行為にその一回ごとに 《確信を持って行動する。ただし かたくなな思い込みではない》と言っています。
☆☆ 「これは 前項でわたしが述べたことと 指向性を同じくしているように思います。《確信と相対性の自覚と》」
★ 私はあなたの前の質問は知りません。
☆ そうではなく わたしが言ったのは:
スナフキンの考えは その前項でアインシュタインの言葉につけたわたしのコメント内容と似ている。と言っています。
☆☆ 「わたしに言わせれば 当たり前すぎます。」
★ 本当かなあ~本当ならこのサイトを利用していないはずです。
☆ ほんとうです。
★ 別にわたしは何々なんですなんて書く必要性があるのでしょうか?
・・・
☆ 情報交換としてです。
No.1
- 回答日時:
「過去から学び、今日のために生き、未来に対して希望をもつ。
大切なことは、何も疑問を持たない状態に陥らないことである」
アインシュタイン
失敗したら、反省し、その原因を追究し、理想的な未来のために今に活かす。 日々が勉強で成長していかなくてはならない私にとって、 この考え方が常に必要なものだと感じます。
「たいせつなのは、じぶんのしたいことをじぶんで知ってるってことだよ。」
スナフキン
自分には自分の「したいこと」がきっとあるはず。スナフキンと同じでなくてもいいし、他の人と違ってもいいのです。かけがえのない人生の中で自分は何に満足し、何をしたいのかを、折に触れて考えることも必要かもしれません。
「努力したも者が成功するとは限らない。しかし、成功した者は必ず努力している」
ベートーヴェン
「努力は必ず報われる」という言葉が本当であろうと、嘘であろうと、努力しなければ成功しないことに変わりはありません。 成功を願うのであれば、努力をするのは当たり前です。 失敗を恐れ、努力することをためらっている人の背中を押してくれる一言ではないでしょうか。
「生きるとは呼吸することではない。
行動することだ」
ルソー
スイスの哲学者、ルソーの言葉です。 毎日を何気なく過ごして生きることもできますが、 行動に制限の多いコロナ禍を言い訳に無為に過ごすのではなく、 今だからこそ挑戦できること、始められることを考えて日々動きたいと思わされる言葉だったので紹介しました。
ご回答をありがとうございます。
★
▲ アインシュタイン:「過去から学び、今日のために生き、未来に対して希望をもつ。
大切なことは、何も疑問を持たない状態に陥らないことである」
☆ ただし――というふうに わたしはつねに 部分的にしろツッコミたくなりますが―― ことは不確かな知識や情報にもとづきつつも そのつど一回性の原則で行為するものであるからには 人間のその意志行為は それとして確信をもっておこなうのが よいはずではあります。
★ 失敗したら、反省し、その原因を追究し、理想的な未来のために今に活かす。
☆ ツッコミとしては 《理想的な未来のために》というふうにその方針に何の躊躇もなく:
▲ 何も疑問を持たない状態に陥〔る〕
☆ ことは よくないのでは? 《確信を持ちつつ その確信はあくまで相対的な性格のものである》と留意すること。
★ 日々が勉強で成長していかなくてはならない私にとって、 この考え方が常に必要なものだと感じます。
☆ ですから たまには《ボウッとするとき》も いいのでは? というふうな一面を 《わたし》論では 打ち出しているわけです。
▲ スナフキン:「たいせつなのは、じぶんのしたいことをじぶんで知ってるってことだよ。」
☆ これは 前項でわたしが述べたことと 指向性を同じくしているように思います。《確信と相対性の自覚と》
★ 自分には自分の「したいこと」がきっとあるはず。スナフキンと同じでなくてもいいし、他の人と違ってもいいのです。かけがえのない人生の中で自分は何に満足し、何をしたいのかを、折に触れて考えることも必要かもしれません。
▲ ベートーヴェン:「努力したも者が成功するとは限らない。しかし、成功した者は必ず努力している」
★ 「努力は必ず報われる」という言葉が本当であろうと、嘘であろうと、・・・失敗を恐れ、努力することをためらっている人の背中を押してくれる一言ではないでしょうか。
☆ わたしに言わせれば 当たり前すぎます。
▲ ルソー:「生きるとは呼吸することではない。
行動することだ」
★ ・・・ 今だからこそ挑戦できること、始められることを考えて日々動きたいと思わされる言葉だったので紹介しました。
☆ やみくもに行動しても・・・といったツッコミは入れません。
《わたし》とは何か は?
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シルシについて説明します。
★: 相手すなわち回答者――ここでは あなた・cobra921212さんです――の文章からの引用をしめします。
★★: このように二つ並べると 過去の文章を指しています。
☆: 質問者すなわちわたし bragellone の書き込みです。
☆☆: わたしの過去の文章からの引用です。
▲: 第三者の参考資料からの引用です。
№4お礼欄をおぎないます。
《わたし》と《わたしを意識しているわたし》とは 別ですよね?
前者は わたしの全体。後者は わたしのまだ一部です。《意識をはたらかせていないわたし》も存在しますから。
№6お礼欄 つづき
★ 世麗美の本質は「雷鳴」で「落雷」というのが、私が体験した降臨現象の本質的な形質だ。
天啓とか、降臨現象とかと、感覚的に「落雷」は似ているねえ。
☆ ですから そういった――神にかんする――シルシが世界には見られる。ただし 現象はシルシである。補助線である。神本体ではない。
神にたどりつくみちびきの糸。
№13お礼欄つづき
★ 論考2
・・・
★ 誰の内心にも客体がある。
それは基本が自己の心中に宿った他者の感情や知性だ。
・・・
そこにはあなた自身は「他人にどうみられているか」という要素しかないだろう。
☆ =相互主観性・インタズブィエクティフィテート。
★ しかしだ、あなたの社会性が他者によって変化する仕組みには、・・・
これは、「絆」の論理でもある。
あなたが他者の心に直接宿り、その相互の理解が密接なほどに、お互いが親密な人間同士という認知を確立する。
・・・
☆ 絆のむすび・また むすぼれ・さらには やぶれ。そしてむすびなおし。