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ONの後に巨人の監督を引き受けて日本一を果たした巨人元監督の藤田元司は、落合などの名将に匹敵する監督でしたか?
長嶋茂雄の後は凄まじい批判を受けながら日本一を奪還し、王貞治の後は戦力ダウンがありながらも再び日本一を奪還しました。

質問者からの補足コメント

  • 落合よりも上ですか?
    藤田元司の巨人監督としての評価が低いと思われる理由は、ONの繋ぎ役で観客を呼べなかった、第二期は先発完投野球を貫いたため、それが90年代後半の巨人の抑え不在につながった、最大の理由は、90年にはリーグ連覇したものの、西武との日本シリーズでストレート負けを喫したからなのではと思いました。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2022/05/23 17:59

A 回答 (3件)

いや、成績だけで見たら落合より上ではないですか。



藤田元司は監督通算7年(第1期3年・第2期4年)でリーグ優勝4回、2位2回。
日本一には就任1年目の81年と復帰した89年の2度輝いています。
特に2度目は近鉄相手に3連敗後の4連勝と言う離れ業をやってのけました。

落合は8年間でリーグ優勝こそ4度ですが、日本一は1度なので、成績的には藤田の方が勝っていると言えます。

ただ、就任後にはイバラの道が付いて回りましたね。
80年は長嶋解任後、88年は王退任後とくしくもONの穴埋め的役割で、特に絶大なる長嶋ファンからは相当なバッシングを受けていました。
彼が初仕事に原辰徳をドラフト4球団競合からクジで引き当てたことが最大の幸運だったと思います。
原が長嶋なき後の巨人の救世主のように思われました。

それでも優勝は「長嶋遺産」のおかげだとやはり陰口を叩かれたものです。
しかし、3塁の中畑が開幕早々怪我で離脱、そこで2塁の原を3塁に据え、5月末に戻った中畑は1塁へコンバート、空いた2塁に篠塚を大抜擢し、あの打撃を引出しました。これは怪我の功名でもあり、藤田の実績でもあります。

外見は紳士然としていた藤田ですが、中身は瞬間湯沸かし器と言われるほど短気で怒りっぽい性格だったようです。
その象徴的なのが西本聖が先発で1回も持たずにも降板した時に怒って、何と翌日の先発にさせたと言うこともあったほどです。

2期目は斎藤雅樹を[ミスター完投]と称されるほどの大エースに育て上げています。この時代の斎藤・槇原・桑田は揺るぎない3本柱として、93年からの長嶋第2期政権でも大活躍したのですから、「持ちつ持たれつ」だったと言えますよね。
この回答への補足あり
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>落合よりも上ですか?


あくまでも「数字や成績だけの単純比較」です。
こればかりは実際に二人が監督として相まみえた訳でなく、時代も選手も戦法も自チームや他チームの状況もまるで違うので、どうにも評価の仕様がありません。

>第二期は先発完投野球を貫いたため~巨人の抑え不在に
>西武との日本シリーズでストレート負けを喫したからなのでは
自分が投手出身で分業制以前の完投当たり前の時代だったこともあるでしょう。
先にも書いたように、特に西本の無駄使いが結構裏目に出たことはあります。
広岡西武との日本シリーズはその最たるものだったと思います。

90年に西武にストレート負けをした時は岡崎が泣きながら敢闘賞を受けたことが強烈に記憶に残りましたね。
それに引き換え、2年連続SBにストレート負けをしても何かサッパリな感じはどうだろう。
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名将と言えるでしょう。

彼ほどの監督を知りません。
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