性格いい人が優勝

例 人を殺さない事、傷つけない事、嘘をついて人を陥れない事

A 回答 (6件)

何が正義で何が悪かというのは、時代や地域によって変わります。

それを定めたのが法律や、村の掟のようなものです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2022/09/11 08:03

質問者さんの挙げている例は反対なのでは?

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2022/09/11 08:01

この社会においては正しい事をしなければならない。

正しくないことをやれば責任を取らされ罰を受けなければならない。罰とは仲間外れにされることだ。つまり悪い事をやれば仲間外れにされるのが悪だ。万引きをやればみんなから白い目で見られて仲間外れ状態になる。このように仲間外れにされることが悪だ。悪は必ず罰を受ける。人を殺しても罰を受けないならば(正当防衛など)それは悪とは言わない。悪とは常に罰を受け仲間外れにされることである。まあ、簡単に言えば「みんなの安心幸せの為」に反することが悪と言い「みんなの安心幸せの為」になることを善と言う。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2022/09/11 08:02

基本は それぞれの主観による判断です。





何かを思ったりその実行をしようとするときに ヤマシサ反応が起きます。

胸が高鳴り顔が赤くなったり青くなったり舌がしどろもどろになったり。

この反応は 身(感性)に起きるものですが 良心のハタラキだと考えられます。同じものが 心(理性)としては そのまま恥ぢの意識になります。



このヤマシサ反応にさからって事を為すなら そのことは よしあしの判断として よくないことだと判定されます。

これが ふつう一般に悪だとよばれる思いでありおこないだと考えられます。



主観による判断ですが 人間のだれしもに共通のことであるとしたら 一定の基準となります。実際そういうふうに共同主観(コモンセンス)と見なされているはずです。


具体的には ひとの――自分のであれ他人のであれ――意志ないし心を踏みにじること。これが 善――ふつうに自然に 主観的によく生きること――を損傷させる行為で 悪とよばれるものだと思われます。

存在の抹殺も 心を踏みにじる行為です。
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人間は、自分にとって都合の悪いことを


悪だと決めるんです
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善・悪と言っても、なにかの行動の結果としてしかない。



その『行動を起こすもの』の根本原因は、人の心である。

この『人の心』を理解せずして、善・悪は語れないのではないでしょうか。


参考:【十界】

・地獄界・・・苦しみの境涯
・餓鬼界・・・欲深い境涯、どのような状況でも常に満たされない状態。
・畜生界・・・本能のおもむくままに生きる境涯。⇒以上、三悪道
・修羅界・・・憎しみが強く、争いを好む境涯。⇒以上、四悪種
・人 界・・・一般的な『人間』の境涯。
・天 界・・・喜びの境涯。⇒以上、六道。六道輪廻の六道です。
・声聞界・・・悟りを求める、求道の境涯。
・縁楽界・・・自然現象などから、物事の真理を悟る境涯。⇒声聞、縁楽二つの境涯を併せて『二乗』といいます。
・菩薩界・・・悟りの道を開いて、人々を救おうとする境涯。
・仏 界・・・究極の真理を悟った覚者の境涯。

この十種の境涯が、一つも欠けることなく人(衆生)の生命に具わっている事を『十界具足』と言います。
そして、何かの縁に触れる事によって、瞬間瞬間にその境涯が変化していくのです。
その生命の奥底にある十種の境涯が、意識や言葉、表情や態度や動作にそのまま表れてくるのです。
そしてそうした事が関係して、自身の生活環境や地域社会を形成しているのです。
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