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国際連合は実際全く機能していないのでしょうか?これからもしないのでしょうか?意味はないんでしょうか?
僕はすごく国際連合に理想を求めてしまいます。国連が中心になってさまざまな世界の問題を解決していくのが理想だなって思うんです。
でも、国連は意味がないとか、戦勝国、というよりアメリカの道具だとか、世間では言われます。実際のところ、国連の持つ意味はなんなのでしょうか?国連はなくてもいい、もしくはないほうがいいのでしょうか?みなさんの意見を聞かせてください。

A 回答 (6件)

大学で政治学を学ぶ学生です。

あくまで私見です。

国連のUnited Nationsとは、先の方がお答えのとおり、第二次世界大戦における連合国という意味です。たしかに、国連成立当初はこの意味あいが強かったし、安保理などにも当事の影響を見ることができます。しかし、1960年代のアジア・アフリカ諸国の独立による第三世界の影響力の増大や貧困と開発や環境のような国境をある意味越えた問題にまで微力ながらも取り組んできたことは事実です。

では、なぜ国連の機能に不全が生じてくるのか。根本的な問題だと思うのですが、現在の国際法上の主権の絶対性に起因する、権限の弱さです。まさしく、”学級会”という比喩は事の本質をえぐったものだと思います。国家主権とは簡単にいって、ある領土上のいかなるものに対して処分することができる権限です。現在の国際法では、一般にこの主権を上まわる権限は存在しません。では、国連はどうかというと、学説にもよりますが、基本的に安保理決議以外は、法律として機能しません。つまり、安保理以外の決議は、主権の壁に阻まれて効力を国内に及ぼすことができないのです。(安保理決議違反に対しては、国連加盟国への経済制裁または武力制裁という強力なものに限られています)

20世紀半ばまで、列強といわれる国々は、この”主権”という概念を用いて、植民地を拡大・維持していました。ですから、中国をはじめとする旧植民地・半植民地だった国々では、この主権という概念を用いて強国からの軍事的・経済的支配から防衛しようという意識があるようです。国連に強い権限を与えるということは、この主権の一部を(”世界政府”なら全部を)国連に移譲するということであり、強国はこの低くなった主権の壁を乗り越えて”侵略”してくるのではないかと考える人もいるようです。

国連には以上述べたような、主権の壁という限界が存在します。しかしながら、たとえ”学級会”であっても、主権単位である各々の国々が基本的に対等に発言する場を与えられているということに意味があるのではないでしょうか。国連への主権の委譲は、まさしくそれを地域的に成し遂げようという理念をもって進むEUの苦闘を思わせます。まずは、相互の信頼醸成の場として、国連を評価し、期待すべきではないでしょうか。
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この回答へのお礼

とてもとてもわかりやすかったです。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/04/09 15:48

結局、いくら国連が世界平和の為に働きかけても、一般の方々や国連外の人々が平和への自覚や行動を起こさなければ意味がありません。


世界平和は人間一人一人が作っていくものだと思っているので、いくら国連だけがアクションを起こしても無駄なのではないでしょうか。
個人的な意見ですが、国連には一般の人々に平和への自覚を持たせる何らかをしていただきたい。
日本の国会にも内閣にも。
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この回答へのお礼

そうですね、一人一人が作っていくものですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/04/09 15:43

国連は United Nationsの日本語訳ですが、United Nationsの本来の意味は連合国です。

日独伊と戦った連合国が終戦後発展的に解消してできたものを、日本は勝手に国際連合という訳を付けていますが、本当は連合国と訳すべきものです。日本政府は、戦前も戦後も国民をだまし続けています。敵国条項がある理由はこれで理解できます。国連軍の軍隊が連合国の軍隊だと理解すれば、説明が容易でしょ。
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この回答へのお礼

連合国ですよね、やはり。中国語ではそう訳すと聞きました。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/04/09 15:38

国連というのは、一つの道具です。

特に正当性や合法性を演出するためには便利でしょう。

ただし、その権威を支えているのは、加盟国の軍事力です。国連そのものは張子のトラですから、その権威だけにたよるのは危険です。

有るほうがよいのか、無いほうがよいのかは、その時の状況によります。敵対国が有利に利用している状況では無い方が良いでしょうし、その逆なら、ある方が良いでしょう。つまり国連を如何に牛耳るかが大切なのです。
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この回答へのお礼

道具ですかぁ、でもわかる気がします。ありがとうございました。

お礼日時:2005/04/09 15:32

国連に理想を求めるのは、残念ながらやや非現実です。


国連とはUnited Nations=諸国間の連合体に過ぎません。
つまり、それぞれの国が国益を調整する場が国連であって、現実の国際社会を超越して第三者的な立場から裁定を下すものではありません。
だからと言って、国連はいらないと言うのも乱暴な意見です。
現状において、ほとんど全ての国や地域が参加している唯一の機関ですからね。
つまり、国連で多数派工作に失敗すると言うことは、国際社会の了承を得ていないと見なすことができるわけです。
要するに国連とは、話し合いをする学級会のようなものあって、面倒を見てくれる先生ではないということです。
事務総長が先生にあたるのではないかって?
いえいえ、例に沿って言えば事務総長は学校の管理人、あるいは事務のおじさんです。
国連そのものをスムーズに動かす上では必要という程度の人です。
結論を言えば、「国連の持つ意味とは利害の調整であり、その場を不要と決め付けるのは、話し合いではなく暴力で解決しようと言っているようなもの」と言うのが私の意見です。
ただし、利害の調整の場としての国連に改善の余地はまだまだあります。
それはNO.1の方と同意見です。
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この回答へのお礼

学級会というのはとてもわかりやすいたとえでした。
とても参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2005/03/31 08:55

当たり前ですが、以下はあくまで私個人の意見です。



確かに国連はイラク戦争を止めることができませんでしたが、
何も戦争だけが国連の議題に上るわけではありません。
人権や貧困、内戦などの様々な問題が国連で話し合われていますし、
ただちに国連不要論に結びつくわけではないでしょう。

ただ、国連の存在をあまりに大きく捉えるのもまた、
現実的ではないと思います。
国連はあくまで各国が話し合いを持つ場であり、
各国の行動を制御するわけではありません。
国連で話し合い、そこで出た結論を基に各国が行動して、
初めて国連が存在意義を持つのだと思います。
つまり、結局は最終的な各国の判断に委ねられるのです。

国連の構造自体にも欠陥があります。
5つの常任理事国には拒否権があり、
参加国が全て平等なわけではありません。
この常任理事国は第二次世界大戦の勝利国であり、
勝利国の集まりという基本的な構造は今も変わっていません。
また、日本が常任理事国に入ることができたとしても、
現状では満足に海外に自分の軍隊を派遣できない国が、
世界各国の紛争や内戦にどう関わっていくことができるのか疑問です。
さらに、アメリカは自国の行動が制限されることを嫌います。
それは、国際司法裁判所や京都議定書への対応を見ても明らかです。
今後も、アメリカが国連を見捨てることはないでしょうが、国連重視に傾くこともないでしょう。

それぞれの国は経済力や軍事力、文化や考え方に大きな差がありますし、
何よりもそれぞれの国の利害が衝突することが多々あります。
そんな状況下で、国連で話し合いをするだけでは解決できない問題が出てくるのは、必然といえるでしょう。
国連は国連ができる範囲で活動すればよいのであって、
それを超える問題は二国間や多国間で解決すればいいのではないでしょうか。

つまり、私の考えは、「国連は必要だがその力は限定的」、ということですね。
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この回答へのお礼

とてもとてもわかりやすかったです。国連の役割はアメリカのせいでやはり大きくなっていくことはないのでしょうか…。
参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2005/03/31 08:52

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