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ネット上にはオタク系趣味を持つ人を嫌悪するだけでなく、オタクに対してマイルール・マイマナー等を押し付けたりオタクに対して侮辱的な発言や罵詈雑言を浴びせる人が結構いますが…

こういった人達は「自分の考え方や言動は間違っていた」と非を認めて改める事はしないのでしょうか? いたとしてもそんなに多くないものでしょうか?

A 回答 (6件)

>非を認めて改める事はしないのでしょうか?


ないでしょう。
相手を挑発し、言論バトルが目的ですから。

>いたとしてもそんなに多くないものでしょうか?
ネットも含め、物凄く少ないでしょう。
大半の人は畑違いの他人の趣味や言動に興味がないです。
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実態を把握できないので何とも言えません。


現実の付き合いの中では滅多に(そういう人と)出会いませんか
ら、ネットで人と接するときだけ態度が変わるという人がいるん
でしょうかね。

良い方に変わってくれるなら嬉しい話ですけど。
そうでないとなるとガッカリしますよね。
質問者さんの気持ちが収まるか分かりませんが、少し道理という
ものについて解説します。

長いのでお暇なときにでもお読みください。

昔、知り合いに、

「悪い事をしないのは、
 悪い事をすると捕まるからなの?
 それとも違うのかな?」

と聞いたとき「捕まるからでしょ?」と驚いて聞き返されました。
可笑しなことを聞くと思われたみたいです。私も驚きましたよ。

また別の人に、

「仕事でお金がもらえるのは、
 嫌な事を我慢する慰謝料だと思う?
 それとも違うのかな?」

と聞いたら「そうでしょ?」と驚いて聞き返されました。
可笑しなことを聞くと思われたみたいです。私も驚きましたよ。

つまり私たちの近くには自分と同じ行動をとっていても、その理由
が自分と違うという人が多数いるという事です。

そしてもう一つ聞きました。

「ズルって得をする事なの?
 それとも違うの?
 勿論、ズルがばれないとしての話だけど。」

「え? 得をするものでしょ?」

と驚いて聞き返されました。私も驚きました。

どうしてこういう質問をしたのか?

これら三つの答えはどれも同じです。

・”悪い事”とは自分が損をする(=危険)ことを指します。
・お金がもらえるのは相手の方が得をした(=感謝)からです。
・ズルと言うのは後々損をするものについて警告(=禁止)した
 内容です。

そしてこの考え方に拒絶反応を持つ人が居たとしたら?
人が見ていない場所では逆の行動を取るはずですよね。
そしてどちらかが正しい。

そしてどちらかが消滅しなければいけないんです。
そうでなければ、

「どちらを選んでも危険ではない…とか。
 問題が全く無い物…とか。
 そんなものを頑張って主張しても仕方ない。
 どうせなら、どちらかが消滅するような、
 深刻な話じゃないとね?
 どうでも良い話なら世界中で同じような内容を子孫へ伝えるべ
 きではないよな。教育コストもかかるし、チェックする人も必
 要になるし。なによりも煩わしい。
 それに付き合うロスがどれだけ人類に損をさせるか?
 皆で辞めてしまったほうが人類全体の為だろ?」

と思いませんか。
逆に言えば、全ての人類の智慧者が反対してこなかった以上、か
なり高い確度でヤバい話なのではないでしょうか?
つまり、どちらかが必ず消滅するという危険な話なのでは?

ではどうして危険であるのか?
例えばなしをしつつ解説をいたします。

ある天命があり、それなりの能力・知力を得た二人の人物がいた
とします。どちらも生の力は同じとします。これをAとBと仮に
おきましょう。

このとき、

Aは悪い事をすると捕まるという点に何となく怒りを感じました。
また、自分ではない誰かに何かを強制されることを嫌いました。
確かに我慢をするとご褒美が貰えます。それはそれで不満は無い
のですが、自分の我慢や自分の潜在能力に対して報酬が正当であ
るのか否か。常々疑っていました。そうしたとき、たまたま誰に
も捕まらないでルール(またはマナー)を破り、わずかに得をす
るものを見つけました。自分の知力を褒め、自分が強くなったよ
うに感じたんです。

「間抜けが悪い。世の中は生存競争。馬鹿な奴が負けて当然」

こんな風に自信を得たんです。

BはAと変わりませんでした。この人も良くない成功体験で自分に
自信を持っていました。Aがやった事を知り、何となく怒りを感じ
ました。それを思いつくのはお前だけではないと言いたくなった
んです。そして、我慢できず告発をしたんです。

すると、

「え? そうなの? すげえ良く気が付いたなあ。
 あんた凄いな。俺たちはどうすればいいの?」

驚きました。自分がAと変わらないくらい悪い奴だと思っていたか
らです。単に先を越されただけです。そうであっても何か気分が良
いのです。せっかくの評判を失わない様に丁寧に接し、その後も心
配を続けました。もう一度褒めて欲しいからです。それは自分でも
分かっていましたが、自分を止めれません。自分の承認欲求はAと
同じくらい強いのです。

「俺に任せてほしい。俺は奴の考えが分かる。
 君らは少し手伝うだけでいい。」

こんな風にいつも以上に気前が良くなります。

「悪いなあ。それじゃあ俺たちで君の分の仕事をするよ。
 それで見合うか分からないけど」

「え? いいの? 俺好きでやってるだけだよ?」

「そう言ってくれると俺たちも気が楽だよ。でも貰う物は貰ってほ
 しい。俺たちの感謝の印だ」

これは美味しいとBは思いました。Aと全く同じくらい悪い奴。そん
な自分が皆に信用されて楽が出来る。自分を活かせる。何か罠があ
るのではないかと疑ったくらいです。

結局、Bは気が付いたんです。

「ああ、そうか。同じ智慧や能力を使うなら、他人を助けるという
 方向で使うとこんなに違うんだ。その逆をすると俺みたいな奴に
 邪魔をされて、最初に狙った目標すら手に入らんのだなあ。
 これっていつもそうなのか? もしそうだとすると大発見だぞ。
 …ああ、子供の頃に大人たちにズルはだめだと教えられているわ。
 俺って馬鹿だな。Aはそれ以上に間抜けだが」

こうしてBは同じ能力や同じ労力を費やすならば、誰かに感謝され、
誰かに(正義面されて)邪魔されない方が”お得”だと気が付いてし
まったんです。

「うん。しかし、レッドオーシャンだな。競争者多いわ。
 とはいえ反対の方向に走れば全くの間抜けだしな。
 そういえばAはどうなったんだろう?
 最近聞かなくなったなあ」

Bが承認欲求を満たし僅かながらのお礼を喜んでいた時、Aは別のB
に狩られている最中でした。そしてAはそれでも「力さえあれば、
こいつらの泣きっ面が拝めるんだ。圧倒するんだ。頑張るんだ」と
やっておりました。

「やべえなあ。コイツ意外と…」

「お、辞める? じゃあ、俺が変わろうか」

「ん~というか一緒にやらん? 消耗したくないぜ」

こういう話が続けられ、Aが夢を思い描いている間に、後から後か
ら正義面の面々が集まり始めました。

「お前たちは正義の名を騙る偽物だ。
 お前たちの様な卑怯な奴らには負けない。」

Aは必死に叫びます。
ところがB達は驚きました。

「あいつ…今更何言ってるんだ。まだ俺たちが正義だとか思って
 るのか…。ちょっと悲しいぜ。だから間抜けは面倒臭い。
 まあ…俺もあっちをやってたかもしれんけど」

世の中には漫画に出てくる様な正義はありません。
しかし、正義の味方はいます。

自分に疑問を持ち、自分の偽善を疑い、悩み、善行をして感謝さ
れても、本心から出た自己犠牲と思えない。

それに苦しんでいても、

「悪をなすというマゾいのだけはやりたくない。
 また、本当の善があるとか信じて無防備を晒す間抜けにはなれ
 ない。それが美しいとも思えない。」

と思っている人たちです。

そうやって生きて来たBたちはある時にきがつきます。

「あれ? 大分長生きしたが、俺たちBより立派だって人には滅
 多に出会わなかったぞ。いやいや実は一人も居なかったぞ。
 ほんとうに漫画に出てくる様な聖人っていたのか?」

こんな疑問に、

「ば~れ~たか~」

と種明かしをした人が居ます。

道徳の祖であり、思いやりに欠けては人類一と言われた(言われ
たかどうか知りませんが)孔子です。

彼は、

「自分は若い時からしっかりしてて、学問でも若いうちに成果を
 残したし、中年になってからは色んな所で苦労をし、認められ
 てきた。そんな自分が心の思うままに行動して人の道をはずれ
 ないと自信が持てたのは70歳(73歳没)を過ぎてからだよ。
 お前ら若輩者ができるわけないだろ。
 イワンヤ。人類には無理」

こんな話を弟子にした(論語:子曰く)そうです。

AやBの力は孔子に程遠いでしょう。
しかし、人類最高のモラルの怪物ですら、思うままに行動したら
人の道に外れると警告しているんです。そこから言えるのはベテ
ランのBが世の中で最高水準の聖人というわけです。

さて一方でAはどうなったのでしょうか?
同じ知力、同じ能力であったのに?
同じ程度の幸せな人生を歩めたんでしょうか?

私たちは自分の幸福を才能や努力の量だけだと思っています。
しかし、方向がとても大事だという事です。
逆方向に使えば苦しくなり自滅する。
正方向に使えばどんどん楽に成り、思いもしなかった次元へ大成
する。人類の天井が想像以上にショボいからです。

そしてそれを知らずにB達の不正を暴こうと必死になって生涯を
費やしてしまう人たちもいたはずです。

「俺とアイツがそんなに変わる様に思えない。
 アイツにも欠点が沢山ある。
 どうしてみんなあいつを凄いって言うんだ。
 俺は認めない。分からせる!」

「いやいや、分かってないのはそっちだよ。
 誰もが知っている事を今更いってるだけなんだよ。
 そんなマイナスから0に戻るような話に一生を使うなよ。」

さてB達からはAがどう見えるのか?

これの回答は質問者さんが行った質問です。
道徳が開発されて2千年以上経つのに、この現代でAをやっちゃう
のは如何なものか?

以上、ご参考になれば。
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オタクに対してマイルール・マイマナー等を押し付けオタクに対して侮辱的な発言や罵詈雑言を浴びせ非を認めて改める事はしないのはオタクのほうだと思いますが…



PSのほうがすごいとかSwitchのほうがすごいとか、どっちでも好きなゲームで遊べばいいのになぜ言い争う必要があるのか意味が分かりません
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質問にあるようなことの被害者にならないとわからないのかもしれませんが、私としてはマイルール・マイマナーに厳しいのはむしろオタクのほうなのではないのかな?と思います。


電車や鳥の撮影している人たちが通りがかった人たちを怒鳴りつけるというのは昔からよく聞きますし、同人界隈では同担拒否とか逆カプ禁止とか外から見ると厳しいんだなーと思います。

マイルールかどうかは別にして、オタクであるなしにかかわらず自分の考えとずれている人に対して厳しい人が増えているなとは思いますけどね。
この質問も結局は相手を非難したい気持ちから来ているように見えますし。
不快に思ったことを気軽に発信しやすくなったということなんですかね。
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多くはないと思います。


その逆でオタクにもそーゆー人はいます。
分からない人や謝れない人はずっとそのままなんですよ。
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この回答へのお礼

私もネット上でオタクを否定する人と会話した事がありますが、彼らは物凄く頑固で会話もああ言えばこう言うといった形になる事がほとんどでした。いわゆる話が通じないというやつです。

過ちを認める人はほとんどいないのかもしれませんね。

お礼日時:2022/06/21 17:26

そういう人達は「オタクは全員必ずこういう人」とマイナス方向に決めつけ、例外はないと頑なに信じているので、それが実際にどうかを確かめるということをするか、信頼できる情報源等からそれを否定されない限り、改まることはないでしょう。


そしてえてしてそうした人達は自説が正しいか実際に確認し確証を得る努力を怠る傾向が強く、否定する意見に出会う機会にも恵まれにくいと考えられるため、改まる可能性は0に近いでしょう。
従ってそういう人達はそうだからと割り切って諦めた方が、精神衛生上非常に望ましいと思われます。
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この回答へのお礼

私もネット上でオタクを否定する人と会話した事がありますが、彼らは物凄く頑固で会話もああ言えばこう言うといった形になる事がほとんどでした。いわゆる話が通じないというやつです。

過ちを認める人はほとんどいないのかもしれませんね。

お礼日時:2022/06/21 17:26

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