
台湾は日本が第二次大戦で敗戦するまでは、約50年間日本領でしたよね。 公用語は日本語であったそうです。
日本人が台湾から引き上げる際にも、多くの台湾人たちが別れを悲しみながら港で涙のお別れや再会の約束をしてくれたそうですし。
ですが、しばらくして中国から国民党が台湾にやってきて、武力による支配政治を強行したとか。
そして、言語を中国語にするために、公共の場での日本語の使用を禁止してしまったとも?
そのために、現在の台湾では中国語が公用語になっていると。
どうなんでしょう、これってホントな話なんでしょうか?
国民党は台湾人の日本語使用を禁止してしまったんでしょうか。
それとも、そうでもなくて台湾人が日本語を使用しても良かったのか。
台湾に興味ある人など、皆さんからのいろんな回答を待っていますね。
No.2ベストアンサー
- 回答日時:
>公共の場での日本語の使用を禁止してしまったとも?
それには誤解があります。日本の台湾統治が50年に及び、当時の台湾人の多くの最も得意な言語は日本語となっていました。先の総統であった故李登輝氏も、最も得意な言葉は日本語であると公言しています。(なまりはかなり強かったですが)その日本語を禁止してしまうと、台湾人に必要なことが伝達できません。したがって日本語は禁止していません。
禁止したのは台湾各地に残る日本式町名、地名、道路名などで、それらを中国式に変えました。蒋介石は「偉大な中華民族」として、中国の偉人名、思想、国策などをそれらに取りいれています。また日本からの日本語書籍や台湾独立派の書籍なども輸入禁止しました。
蒋介石が統治するようになったので、公用語は中国語(台湾では国語と呼ばれます)となりました。したがって政府の発布する公式文書にはかなりの間日本語訳を付していました。日本語を禁止してしまうと台湾の漢人(本省人)や少数民族に必要事項が伝達できなかったからです。
1970年代から日本人観光客が沢山訪問するようになると、ガイドは決まって50代くらいの台湾人のおじさんでした。今は若い方が多いですが。
ふむふむ、日本語そのものは使用禁止されてなかったんですね。 でも、日本式町名や地名や道路名を、ことごとく中国史機変えていったんですね。
日本語書籍も禁じられてしまったと、辛いですね。
李登輝元総統は、日本語が最も得意であったようです、嬉しいですね。
ベストアンサー差し上げますね、それではまた機会あればぜひ。
No.3
- 回答日時:
228事件で国民党によって虐殺が行われ日本語を話すと連れて行かれて酷い目に遭ったので
お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!
おすすめ情報
デイリーランキングこのカテゴリの人気デイリーQ&Aランキング
マンスリーランキングこのカテゴリの人気マンスリーQ&Aランキング
おすすめ情報