性格悪い人が優勝

台湾と日本の歴史について

台湾で生まれて戦後日本に引き上げてきたという年配の方がいますが(例・川平朝清)、どういった歴史があるのですか。もともと台湾人で、台湾が日本の統治下時代に日本国籍を得たとかそういったことなのでしょうか。学校の歴史で中国と日本の歴史はある程度勉強しましたが、台湾と日本の歴史についてあまり勉強しませんでしたので、台湾から引き上げたという日本人について、どういった歴史があるのか教えて下さい。

A 回答 (3件)

No.2つづきです


私が会った某台湾人(現80歳位)の言:「台湾は日本のお陰でここまで近代化できた、当時日本が台湾人に教えてくれた最大のものは、“公”の精神。市民としての権利と義務です」「終戦後国民党(蒋介石)が逃げて来たが、略奪と殺戮、正義の心のかけらも感じられなかった」「日本統治を経験していなかったら、今頃は中国の田舎の島か軍事基地になっていただろう」。

■Wikipedia"台湾の歴史"...既読でしたらskip下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B0%E6%B9%BE% …
「日本統治時代(1895年 - 1945年)」の項30行ほどですが要点は分かります。
■「日本人が変えた未開の島―台湾」1904/9/24NewyorkTimes
http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-8 …
統治開始10年後、ロンドンタイムズの記事を改めて紹介したもの。日本の台湾統治・経営の見事さをほぼ絶賛。
同趣旨簡略解説はこちら、
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-570.html
■米国から見た日本の台湾統治~「知られざる台湾・台南市」

2008年米国のディスカバリー・チャンネルで放映
■簡精華による日本軍への抵抗
http://okwave.jp/qa/q5582026.html
台湾での抗日戦において、村人と一族を守るために奮戦した抗日戦の英雄。

*重要なご参考事項
■NHKの台湾支配報道は「捏造」
http://www.47news.jp/CN/200906/CN200906250100052 …
2009年4月5日、日本の台湾統治史を台湾人弾圧史として描いた「NHKスペシャル/シリーズJAPANデビュー」(第一回 アジアの“一等国”)。
「この番組は当時の日本がいかに現地の住民を虐待、差別、利用したかを延々と述べている」として、日本人及び台湾人から告訴された番組。
原告側は多くの事実を以って告訴している一方で、正面から対峙しないNHKに問題が感じられる.....との声が高い。関連記事は沢山あります。

*NHK問題について私見:
同じ時期の類似のテーマを扱ってアメリカとNHKとなぜこうも異なるのか、NHKは何ゆえに日本をわざわざ貶める内容にしたのか。客観的事実による説明を逃げている限り、HKに勝ち目は無いようです。
事実関係の質問状を突きつけられても、公開討論を求められても「自分は正しいから応じない」では、公正さのかけらも無いのがNHK。
常識的日本人が見て納得できない事実歪曲の放置の延長線上にありそうなのは、会長の責任のもとでの組織としての偏向か、濱崎憲一ディレクターの個人的売名か?他には考えようもありません。組織としての偏向には別の圧力もあり得るでしょう。個人的売名とまで思うのは歪曲のやり口が余りにも稚拙で不誠実だからです。
*直接的なご質問「引揚者と国籍」にお答えするにしても、多くの日本人が台湾に居た背景を理解することが本質と考え長文になりました。
参考に挙げた、NweyorkTimesやNHKの記事など併せて咀嚼の上、ご自身の評価をされることを願います。
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この回答へのお礼

たいへん詳しい説明をありがとうございます。
日本と台湾の関係がよくわかりました。
そういう背景があったために、台湾人には親日派も多いのですね。
たいへん興味深いです。ウェブリンクも参考にさせていただきます。

お礼日時:2010/08/13 14:45

1945年日本の敗戦により日本が台湾の所有権を放棄したことから、大勢の日本人が内地へ引き上げました。

では終戦当時どのような日本人が台湾に居たのでしょうか。
1895~1945年まで50年間の統治時代は台湾も日本国です。軍人・官公庁役人・大学教授・教職員・医者・大企業の台湾支社/工場の経営者と社員・農林漁業の指導者・工業技術者・建築土木技術者・個人事業者などなど、ありとあらゆる分野・職種の日本人が居住し働いていました。これらの日本人の家族も居り、子供も生まれますからかなりの数の日本人社会が想定されます。
敗戦時の在台湾日本人人口は正確には分かりませんが、あるデータに準拠し計算すると、陸海軍兵約19万、民間人10.5万、琉球系(=日本人)1.5万、他僅少、総計31万です。
日本統治以前に台湾に移住した日本人が皆無とは言いませんが、余程特殊な事例としてここでは考慮外としましょう。ただ沖縄に限れば、琉球処分(Wikiで分かります)以前から大陸・台湾との往来が多く、とりわけ石垣島などは台湾が直ぐそこです。与那国島は買い物は舟で台湾へ行っていたほどですから、台湾で琉球系日本人は自然だったのかもしれません。

話を戻すと、敗戦と共に昨日までの敵国が乗り込んで来るのですから、上記の人々は内地へ引き上げざるを得ませんでした。国籍は元々日本人、台湾で日本人の両親から生まれた人々も国籍は日本人です。
川平朝清氏については、ネット記事も多くご存知と思いますが、氏の両親が台湾に行った経緯は分かりません。両親が沖縄出身のようなので、渡台が少なくとも台湾統治開始以降ならば国籍は日本人、台湾で出生した川平朝清氏も日本国籍となります。

ご質問の本質に答えるには、台湾に何故これほどの日本人が居たかという背景の理解が必要です。
1894年日清戦争に勝利した結果日本は台湾を得ましたが、それまでの台湾は少数民族集落割拠の地、言語もそれぞれ、病多く文明とは無縁の化外の地といわれ、施政に成功した国はなく、清国も惜しむことなく台湾を割譲したものと言われます。世界に植民地を持つ先進各国も「日本は、あんなお荷物を背負い込んで...」といった具合に様子見だったとか。

統治開始当初は現地人の抵抗のため武力衝突や殺戮がありましたが、短期に安定し、世界が目を見張る植民地経営へと進みます。
主として西欧諸国による植民地経営は、伝統的に収奪を目的とするものでしたが、日本の台湾経営は、現地の近代化による皇民化、即ち台湾の人々を日本人の一員とすることでした。この考えの是非はここでは措いて、そのために日本の取った具体策を見ましょう。
・法の施行(現地人には実情を勘案して徐々に、日本人は全面的に)
・衛生環境徹底改善(上水道、山間村落に及ぶ診療所設置)
・都市環境整備(上下水道、街区、行政施設、交通網、住・医療環境)
  近代建築の導入/これら分野での台湾人の育成活用.
・教育(現地人の義務教育制度、専門学校、大学、医学校、師範学校)
  台湾人就学率71%/1943年.
  条件付ではあったが日本人学校への入学も認められていた.
  日本への留学.
・農業振興策(農業技術の普及、水利灌漑施設、品種改良)
・膨大な資金と人材の投入

従って、"法治""衛生""教育"に加え"産業振興""公的サービス"が整い、日本人と現地人による近代的経済活動が行われていたのです。
終戦後、これらの財産が社会基盤の底支えとなり、台湾の発展に寄与しています。
(文字数パンクの気配、後はつづき)
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http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b …
これを読んだ。

台湾統治の上層部は、本土の人間。そして中間管理層は沖縄の人間。
満州統治の上層部は、本土の人間。そして中間管理層は朝鮮の人間。。。になりそうになって、満州帝国は崩壊した。

琉球処分等によって、日本本土の統治方式に適応した沖縄の人間が台湾に派遣されたわけです。
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この回答へのお礼

分かりやすい説明をありがとうございます。
日本本土の人間ではなく、沖縄人だったのですか。

図書館で上記の本を探して読んでみます。

お礼日時:2010/08/10 00:24

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