【大喜利】【投稿~11/1】 存在しそうで存在しないモノマネ芸人の名前を教えてください

次のごとく問い求めました。ご教授のほどをよろしく。

1. ▲ (統一原理を学ぶ会) ~~~~~~~~~~~~~~~
http://www.7roid.com/ucgenri/sozogenri_001

第一章 創造原理
第一節 神の二性性相と被造世界

(一) 神の二性性相

2. ▲ 無形にいます神の神性を、我々はいかにして知ることができるだろうか。

2-1. ☆ 《無形》だという規定について 説明せねばならない。

2-2. おそらく神は 経験事象としての形の有る無いを超えているからには 有ると無いとが重ね合わせになっている。

2-3. 人間は仮りに それは有形だともあるいは無形だともそれぞれ言い得る。

3. ▲ それは、被造世界を観察することによって、知ることができる。

3-1 ☆ 次にパウロの見解が引かれているが いづれにも論証はない。

4. ▲ そこで、パウロは、「神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである。したがって、彼らには弁解の余地がない」(ロマ一・20)と記録している。

4-1. ☆ 主観の内にあって われ神を見たりという言い分は それなりに――つまり その
人の主観内部のこととして――みとめられる。反証のしようもないのだから。それにとどまるものだ。

4-2. 《永遠のチカラ》ないし無限は 有限で経験相対的なものごとを超えており言わばそれらを覆い包むものであるからには そのような《被造物において知られる》ということが おのおの主観内部であり得る。証明はかなわない。

5. ▲ あたかもすべての作品は、その作者の見えない性稟の実体的展開であるように、被造世界の森羅万象は、それを創造し給うた神の見えない神性の、その実体対象として展開されたものなのである。

5-1. ☆ これについての例証は しばらくあとになっているようだ。

6. ▲ それゆえ、作品を見てその作者の性稟を知ることができるように、この被造万物を見ることによって神の神性を知ることができるのである。

6-1. ☆ きわめてえげつない反論をするなら 被造物の世界をみれば 神の神性と同時に或る種の悪魔性もが見えるという声もある。

6-2. つまり 神性は 生命性と捉えるなら 実際に被造物の生命体がいるのだから そこに神とのつながりを――主観内において――見ても さほど奇異ではない。

6-3. つまり 或る種の悪魔性を帯びると見なされる《作品》について ではそこに神性をも同時に見るのか? それともどこかで何かの間違いで作品に奇形が生じたとするのか? 説明をこのとき同時にしていなければならない。




7. ▲ 今我々は、神の神性を知るために、被造世界に普遍的に潜んでいる共通の事実を探ってみることにしよう。

7-1. ☆ これから 論証するらしい。

8. ▲ 存在しているものは、いかなるものであっても、それ自体の内においてばかりでなく、他の存在との間にも、陽性と陰性の二性性相の相対的関係を結ぶことによって、初めて存在するようになるのである。

8-1. ☆ もし経験世界における二性性相を捉えてこれを神性にも当てはめるとするのならば 愛憎・真偽・善悪・美醜といったニ性が 神に存在すると帰結される。

8-2. のちに 神は これら対立する二項を中和するという説明が見られるが 《中和》とはどういうことか?

8-3. あらかじめ言うとすれば 先ほどの二項対立を成すニ性性相については どうもその事実(現実)を前にして あくまで作用をおよぼすかたちで《中和》というハタラキが控えていると言っているようだ。

8-4. 生まれつきそなわった人間性としての自然本性には 二項対立の問題としてではなく まさに神性(生命性)のめぐみとして〔という仮説ですが〕 愛憎を超えるユヅリ愛のはたらく余地があると考えられる。


つづきます。

A 回答 (2件)

二性性相に第三の要素が加わって三位基台が出来る?



ヘーゲルの 正反合 の弁証法が起こると言う訳です

男女も子供が出来て三位基台ですが二人目が出来ると?

四位基台?

兎に角あの原理公論はかなりの思い込みで書いてあるので

二進も三進もいかないのです。私は四十年前に読み

その後読み返しましたが。
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この回答へのお礼

★ 二性性相に第三の要素が加わって三位基台が出来る?
☆ いえ。わたしはまだ 三位基台については 調べていませんので 第三のの要因としては 神による中和と理解してのことです。


★ ヘーゲルの 正反合 の弁証法が起こると言う訳です
☆ この場合は ちょっと違うと思います。

なぜなら 第三者のチカラは 相い対立するニ性性相と同じ次元のものではないからです。

(弁証法過程と同じように 互いに同じ次元の要素要因が アンチテーゼとして現われる場合も 《中和》過程にはあるのかも それは 分かりません)。


★ ~~~
男女も子供が出来て三位基台ですが二人目が出来ると?

四位基台?
~~~
☆ 知りません。もし 《中和》の問題とからんでいるとすれば そういった理論にまで広げて論じてみてください。

お礼日時:2022/07/19 08:52

二性性相ですが 確か、アダム(男)が居れば エバ(女)がいる



表が在れば裏がある、陰があれば陽がある 上があれば下があるみたいに

何でも二性で出来てるとか。

しかし 実は「三位基台?」と言うのもありまして 神と子と聖霊とか

父と子と母とか三角関係とか三脚とか

そして四位基台と言うのもあって6とか12とかそういう数字も大事だと言うのです

でも考えてみるとアダムとエバには蛇もいる訳で 男女でも三悪関係に成ったり

二性性相も裏と表も実は科学的にはけして対立せず 裏から厚みを通って表につながっている訳で

必ずしも二性性相が絶対と言う訳じゃないのです。例えば男と女でもおかまもお鍋もいる訳で

上には上があり 下には下がある訳です。

科学的と言うか、むしろ哲学的には裏も表もない訳です。男も女も平等なのです。

人間には個性が在るのです。

凹凸もつなげてみればチャックの様に何処までも繋がっていくのです。

哲学として厳密に言えば 二性性相も三位基台も四位基台もあまり意味はないと言う事です。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ 哲学として厳密に言えば 二性性相も三位基台も四位基台もあまり意味はないと言う事です。
☆ まづ この質問での問い求めは あちらの主張にかんする一つのテクストについて〔のみ〕取り上げこれを検討・検証しています。


★ 二性性相も裏と表も実は科学的にはけして対立せず 裏から厚みを通って表につながっている訳で
☆ このテクトの言い分としては: 
① 男性も女性も それぞれさらに自己の内にニ性性相を持つとは言っており
② ただしそのニ性が対立する二項となった場合には あたかも第三者が存在してこれが《中和》する
と言っているようです。


《三位基台や四位基台》については ここで敢えてそこまで手を広げないこととします。(単純に いまのテクストの範囲で一つの論点で用を足せると思うから。つまり 二項対立をめぐって これを《中和》するのかどうかです)。


ここに述べてある原理を参照するかぎり 問題は:
★ 男も女も平等なのです。人間には個性が在るのです。
☆ という一般的な命題では済ませ得ず なお対立があるときにそれをどう捉えどう対処するかにあるようです。


つまり 《中和》策であり それに対してこちらは このニ性性相には あたかも引力や斥力の関係もあれば すでに初めに(=自然本性として)このニ性に共通にしてしかも両者を超えた一般性としての生命性がそなわっていると批判しています。


★ 二性性相も裏と表も実は科学的にはけして対立せず 裏から厚みを通って表につながっている訳で
☆ この《裏から厚みを通って表につながっている》ことによって 対立する二項を和解へとみちびけるか? が問われているように思います。

つまりこの説明をもう少し具体的に明らかにしてもらえるとよいかと。


《裏と表も実は科学的にはけして対立せず》の《科学性》の内容が いまひとつわたしには分かりづらかったです。

★ 凹凸もつなげてみればチャックの様に何処までも繋がっていく
☆ といった側面で 事足れりとするには もうひとつ分かりづらいものがありました。

お礼日時:2022/07/19 02:41

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