公務員試験の問題で与えられた短歌の作者を答える場面が出てきまして、答えはわかっているんですが、短歌の意味が気になっています。

のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳ねの母は死にたまふなり:斉藤茂吉

やはらかに柳あをめる
北上の岸辺目に見ゆ
泣けとごとくに:石川啄木

幾山河越えさり行かば寂しさのはてなむ国ぞ今日も旅ゆく:若山牧水

邑山の松の木むらに、日はあたり ひそけきかもよ。旅びとの墓:折口信夫

よろしければ教えていただけないでしょうか。

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A 回答 (5件)

・斎藤茂吉『赤光』のなかの『死にたまふ母』にある短歌


一つ。「母の死」を見た彼のまなざしは、「母の死」を即物的な現象としか「知覚」していない。「のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて」という描写には、カメラのレンズが捉えるような瞬間しかない。その瞬間は、主観的な意味付け、つまり「知覚」に伴う「記憶」の主観的な選別を排除する。それは、単なる現実的瞬間である。彼の中にあった「母」という存在の「持続」は、「母の死」という「経験」不可能な「知覚」によって途切れてしまう。この「途切れ」こそが、「のど赤き…」という瞬間に露呈している。ここでは彼は、「母の死」の現実的瞬間に継起した、「経験」不可能な「知覚」に直面しているのだ。

・石川啄木
人間だれもが抱く望郷の情を歌ったもの
やわらかく柳の芽が青く色づいた北上川の岸辺が目に見えるようだ。いかにも思郷の涙をさそうかのようにという意味。
・若山牧水
寂しさが尽き果てる所にある、「安息の地」を求めて、旅を続ける牧水。空と海の一面の青色に染まることなく、凛として際立って漂う白鳥に、作者の憧憬の念を読み取ることができそうです。そうして、旅先で目にする物事に触発されながら、魂の赴くまま今日も旅をする

・折口信夫
村の近くにある山の松の木立に日の光が差し込んで、そこを明るく照らし出している。ひっそりと遙かな感じのたたずまいを見せる旅人の墓よ。
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この回答へのお礼

北上が川だったとは思ってませんでした。
1番目の歌は、母が死んで悲しんでいるのかと思っていましたが、そこまで奥の深いものなんですね。

お礼日時:2005/04/10 13:34

#3です。

#4様の解釈では違反にならない様ですので私の言いたかったこと少し補足いたします。#4様が良い例をお出しですので。私は茂吉の歌は鮮やかに生と死を対比させる表現によりなお一層茂吉の母を失った悲しみの深さの表現に成功した歌と思っています。(赤いのど)と(赤い)といゆう言葉により視覚的にも命の躍動感を読み手に惹起させその反対の死をより一層深く表現しきったといつも感じています。しかも赤い喉は温かく柔らかく息ずき茂吉を見下ろしています。脈々と息づきながら。しかし茂吉の母は冷たく硬くなられている。もとより母は息づきはない。茂吉の母を悼む慟哭の歌と私はいつも思っています。しかしお答えに書きましたが#4様のような解釈をなさってもなんら差し支えもなく賛同される方も多くおられることでしょう。こんなことをお伝えしたかったとゆうことでご了解下さます様お願い申し上げます。最後までお読み頂き有難うございます。
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この回答へのお礼

皆さん、回答ありがとうございました。
とてもよい勉強になりました。
国家II種では文章理解の分野には古文はでてこないのですが、文学・芸術の分野で、与えられた短歌の作者名を選択肢から選ぶくらいのものが出てきたりします。
いつの日か高校の古文を学習する機会があればと思っております。

お礼日時:2005/04/10 13:41

 この質問は、マナー違反ではないようです。

実は以前マナー違反の質問に回答して削除された経験をもっています。しかし、試験は作者名を問うているので、内容についての質問は「あり」でしょう。No.3の方、ぜひ一首でも答えていただきたかったですね。
 No.2の方、すごい突っ込みですね。ただ、これは単純な解釈ではなく、批評文と言えるでしょう。わたしの見方は、この歌は母がまだ生死の境をさまよっている折の歌だったと記憶しています。(記憶違いの可能性あり)「梁にいるのど赤き玄鳥(つばくらめ)二つ」は、あの世から母の魂を迎えに来た使者のように不吉に感じられたのだと思うのですが、どうでしょう。牧水の場合は同じ作者の「白鳥の…」の歌を取り込んだ手法をおもしろく拝見しました。個人的な感想をいうと、わたしはこの「幾山河…」の歌は嫌いです。好む人が多いようですが。「寂しさ」を感傷的に弄んでいるだけの感じです。「折口信夫(釈超空)の歌の解釈は過不足なしという感じです。
 特に、取り上げさせてもらったNo.2の方、失礼があればお詫びします。
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この回答へのお礼

いつのまにか深い議論になってますね。
口語訳すらまともにできない私にとっては、とても難しい話です。
詳しい人は、世の中にある短歌の原文をすべて読み尽くしているもんなんですかね。
代々木ゼミナールの元暴走族の講師は、学生時代に原文をすべて読んだようなことをいってましたが。

お礼日時:2005/04/10 13:39

最初回答をさせて頂こうかと思いましたがあなた様の何らかの見解がなされていないのでルールに触れますことともう一つ短歌や俳句、詩等の意味の解は本来読まれた方の解が正しいのです。

辞書的解釈や試験の解釈は別として読まれて感じられたことが正しい解ということも出来ます。(全く分らないは別として)これは手品の面白さと似ていて解を聞けば意味はわかりますが、種明しのあとの手品を又見るのに似て感動や共感が得られず作品本来の姿が見えなくなります。作者も作品がひとたび世に出ればいかなる解釈をされようとも致し方のないことは覚悟しています。したがってこれからはあなた様ご自身の解で作品を解釈なさればれば興味深くお読みに成れると思います。又ご質問にあげられた作品は難解なものでなく平明な作品ですが味わい深く言葉で説明するとその価値が損なわれて終うものばかりです。他の回答者様とあなた様が感じられていたことと大差ない筈です。それくらいのお力は十分にお持ちのお方と拝察いたしております。最後までお読み頂き有難うございます。
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この回答へのお礼

すいません、丸投げのような質問の仕方だったと反省しております。
たとえば「足乳ねの母は死にたまふなり」ぐらいは、自分でも訳せたのに、わかっている部分、わかっていない部分を明確に区分せずにただ聞いたのはよくなかったと思います。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/04/10 13:36

書いてある事実を歌っただけの歌だと思います。

裏の意味などあるの
でしょうか。

「母が死んだ」
「故郷の情景を思い出して泣きそうになる」
「どこ見ても寂寥とした国だなあ」
「こんなところに寂しげにお墓があるね」

をもったいつけて言ってるだけです。私は詩歌の醍醐味はそこにこそ
あると思います。一見不要な情景描写などの飾りが、上の様な単純な
事実の底にある歌人の気持ちを想像させるのです。
「君が代」の内容が「あなたの御代よ長く栄えよ」を、比喩装飾を重
ね立てて大仰にしただけの歌なのに、口にすれば厳かな気持ちにさせ
られるのと似ているのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
これらの歌にこのような感情がこめられているとは想像してませんでした。
古文に詳しい人って、はじめてこれらのような短歌を見ても、そこまで意味がわかるもんなんでしょうか。

お礼日時:2005/04/10 13:33

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Q斉藤茂吉の短歌「のど赤き 玄鳥ふたつ」について

ちょっと分からないところがあります。

どうしてここのツバメの喉は赤いですか。
丹頂鶴と似ていて、頸の羽毛は赤いですか。それども、ツバメは口を大きく開いて、赤い喉が見えるのですか。
もし後者になったら、ツバメは餌を待っている雛鳥ですか。それども、ただ叫んでいて、まるで詩人の母の死ために泣いているようですか。

詩人はどうしてのど赤きのツバメを書いたのでしょうかな。

Aベストアンサー

http://tubamenoseitai.com/

を見て下さい。ツバメの喉はひな鳥でなくても赤いのですよ。赤は命の色。だからこの歌は感動的なのでしょうか。


墨染めの取り乱したる畦道に彼岸花咲き君死にたまうなり

Q斉藤茂吉の短歌「のど赤き 玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり」について

学校の授業で斉藤茂吉の短歌「のど赤き 玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり」について調べています。この短歌の詳しい解説、または詳しい解説が載っているページを教えてください。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

ここ↓はどうでしょうか?

 http://www13.plala.or.jp/hosonag/jukentanka2.htm

参考URL:http://www13.plala.or.jp/hosonag/jukentanka2.htm

Qテスト直前なのに、短歌の区切れがわかりません………。

短歌の句切れ、どのように見分けたらよいのかがわかりません。
感動の助詞(けりなど)がなかったら『句切れなし』なのでしょうか?

以下の句の句切れ、自分で考えても理解できず、家族や友人に聞いてもわからないと言う返事しか返ってこなく、
ネットで調べてもよくわからないので困っています。
どうぞよろしくお願いします。

・防人に 行くはたが背と 問ふ人を 見るがともしさ 物思もせず(防人歌)
・多摩川に さらす手作り さらさらに なにそこの児の ここだかなしき(東歌)
・君待つと 吾が恋ひをれば 我がやどの すだれ動かし 秋の風吹く(額田王)
・近江の海 夕波千鳥 汝が鳴けば 心もしのに 古思ほゆ(柿本人麻呂)
・うらうらに 照れる春日に ひばり上がり 心悲しも ひとりし思えば(大伴家持)

すべて万葉集で、とても一般的な句なのだそうですが、よくわかりません。どうかよろしくお願いします。

Aベストアンサー

「句切れ」とは、和歌や俳句において、意味の上でいったん切れるところです。
以下のような場合があります。

1、切れ字のあるところ。
「切れ字」は、「や」「かな」「けり」など。俳句の項目で調べると分かります。でも、松尾芭蕉は「全て切れ字」とも言っていて、本質的には奥の深いもので、一概に「これが切れ字」とは言えません
↑「けり」は「詠嘆の助動詞」です(「助詞」ではない)。

2、係り結びの結んであるところ。
係助詞「ぞ」「なむ」「や」「か」は連体形で結び、「こそ」は已然形で結ぶ。

3、終止形や命令形で言い切っているところ。

4、体言止めで言い切っているところ。
ただし、体言で句が終わっていても、そこへ「を」「に」などの助詞を補ってあとの句へ意味がつながるような場合は、ここを句切れとは考えません。

5、倒置法のあるところ。

6、呼び掛け法のあるところ。

韻文の場合、芸術的に感心できませんが、一応、「解釈(分かりやすい現代語に訳す)」をしてみると、句切れも分かるかと思います。

*防人に・・・
あの九州の警備兵として徴兵されていくのは誰の旦那さんかしらね、と訊く人を、見ることのうらやましさと言ったらないよ。なんの悩み事もなくて(あの防人は私の夫なのだよ、私には危険な国境に夫を送り出すという悩みがあるのだ)。
→「ともしさ」が体言止めで、意味的に倒置法なので四句切れです。

*多摩川に・・・
多摩川に晒して作る布を見ていた。その「さらす」という音でふと思い出したが、さらにさらにどうしてあの子がこんなに恋しいのだろうか。
→「多摩川にさらす手作り」までは、「さらさらに」を導くための「序詞(じょことば)」で、和歌の解釈としては内容的な意味はなく、「手作り」は体言止めで、二句切れです。

*君待つと・・・
恋人のあなたの訪れを待って私があなたを恋い慕っていると、私の家の簾を動かして、あなたの代わりに秋の風が訪れ、あなたはまだ来ないのだった。
→順当な流れのうちに結句まで言い切っている歌で、句切れなし。ちなみに、古今集以降だと、「秋風」を「飽き」との掛詞(かけことば)と考えて、恋人の訪れがないのを、恋人とが自分に「飽き」たからだ、と、別れや失恋を暗示するのですが、万葉集だとそこまで読むのは深読みと考えられるでしょう。単に季節がほんとに秋だっただけ。女心の寂しさは詠み込まれているけど。

*近江の海・・・
琵琶湖に夕方立つさざ波に群れ遊んでいる千鳥たちよ、お前が鳴くと、私はひどくしみじみと悲しくなって、昔のことが偲ばれてならないよ。
→「夕波千鳥」を呼び掛け法と考えても、単なる体言止めと考えても、いずれにせよ二句切れ。

*うらうらに・・・
うららかに照っている春の陽射しに雲雀が空高く舞い上がり、私の心はいっそう悲しいなあ。一人ぼっちで物思いに耽っているので。
→「心悲しも」の「も」は、上代特有の助詞で、詠嘆を表すので、ここで切れて四句切れ。春の憂愁(メランコリー)を詠い、万葉集としてはかなり進んだ、中古的美意識をもって詠んだ歌。雲雀の楽しそうなさえずりと、自分の憂鬱な物思いとの対比。

万葉集の和歌には、二句や四句の偶数で句切れのある歌が多いのです。
五七/五七/七
と「五七」のリズムが強調されるので、「五七調」と呼ばれます。
(古今集以降の和歌は、初句や三句の奇数句で句切れのある歌が多く、五/七五/七七と「七五」のリズムが強調されて、「七五調」と呼ばれます)
五七調の和歌は、五音という軽い上半身を、七音という重い下半身でしっかりと支えるので、歌体が安定し、堂々とした力強い響きをもたらします。
七五調の和歌は、反対に、七音という重い上半身が、五音という軽い下半身の上に乗っかる格好になるので、歌体はふらつき、なよなよとした流麗な流れの良い歌になります。

「句切れ」とは、和歌や俳句において、意味の上でいったん切れるところです。
以下のような場合があります。

1、切れ字のあるところ。
「切れ字」は、「や」「かな」「けり」など。俳句の項目で調べると分かります。でも、松尾芭蕉は「全て切れ字」とも言っていて、本質的には奥の深いもので、一概に「これが切れ字」とは言えません
↑「けり」は「詠嘆の助動詞」です(「助詞」ではない)。

2、係り結びの結んであるところ。
係助詞「ぞ」「なむ」「や」「か」は連体形で結び、「こそ」は已然形で結ぶ...続きを読む

Q石川啄木

短歌
 
やわらかに 柳あをめる 北上の岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに  
の意味(口語での)を教えて下さい 
大まかな背景も教えて頂ければ幸いですm(__)m

Aベストアンサー

 ご参考までに
 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1226297392
 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1249690972

Q斎藤茂吉 至急お願いします

回覧ありがとうございます。

私は中2なんですが、明日国語の発表があります。

斎藤茂吉の「母の歌」です。

この短歌は教科書にのっています。


みちのくの母のいのちを一目見ん一目見んとぞただにいそげる

死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる

のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり



というものなんですが、この現代語訳を知りたいんです。

あと、この短歌のテーマも考えてほしいです。

お願いします。

Aベストアンサー

No.1さんの回答に賛成です。この三日間なにやってたんですか。

「たはむれに母を背負いて そのあまり軽きに泣きて 三歩歩まず」は石川啄木です。


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