いつもお世話になっております。

ものの本によると、十二単は、現在の金で1~2億したと言いますし、昭和天皇の時だったか大正天皇の時だったか、忘れましたが、新調したときは8億円したとか聞いています。宮家用ですので、安物の十二単じゃダメなんでしょう。安物で一億ねぇ。

1,それにしても高い・・・。もともと儀式用ですし、あんまり、高いので、王朝時代でもそうそう着なかったそうですし、江戸時代は、宮中の女房といえども、宮家や摂関家を除けば、儀式用はレンタルで、あるいは普通の武家風のかいどりを着ていたということです。
なんでこんなに高いのでしょうか? 一体、どこにそんなに金がかかっているのか、着物音痴の私には分かりませんが、女房装束の作成過程には、普通の武家風の着物とは比較にならないような複雑な制作過程があるのでしょうか?どこに一番お金がかかるかご存じでしょうか? いくらなんでも絹代だけで一・二億もするとは思えないのですけど・・? 特殊な職人への人件費なんでしょうか?

2,あと男性の束帯の値段です。女房装束の値段は時々聞きますが、男性の装束は値段を聞きません。こっちは現在の金額で、いくいらくらいしたのでしょうか? もちろん貨幣価値が違うとは思いますが、気軽な目安で結構です。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (3件)

男性の装束についてはわかりませんが、十二単が高いことには理由があります。


小袖、下袴、袴、単衣、袿、打衣、表着、唐衣、裳と幾重にも重ねている上、大変に貴重な染料が使われていたというものです。
身分によって使用できる色も限られていましたし、またそれなりの身分がなければ、珍しい染料も手に入らなかったようです。

また染め方に有名なもので「友禅染」というものがありますが、和紙に描いた色模様を絹地に捺染し、水洗いした後で、細かい文様を筆で彩色するという高等技術を駆使したもので、複雑な色柄や文様は、完成するまで数年を要するという、手の掛かったものとなっています。
物によっては値段のつけようがないほどの高価になるようですね。

そして刺繍もまた豪華絢爛です。
江戸時代にはあまりにも豪華な衣装が作られ、こぞって華美になっていく傾向がありましたので、それを幕府に禁止されたほどです。
絹糸だけでなく、金糸・銀糸をふんだんに使い針の刺し方により、微妙に色彩が変化し、繊細な美しさを表現することができたようです。
これも仕上げるのにかなりの期間を要するので、手間隙も材料費も大変に高価となるのでしょうね。
とは言っても安いもので1億とは…腰が抜けます^^;
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

そうか、染料!
すっかり忘れていたけれども、特別な染料はそうですね。紫貝という染料などは、十二単に使ったかどうか知りませんけど、ローマ皇帝やエジプトのクレオパトラが使ったそうですが、これまた信じられないくらい貴重で高価だったと、テレビの特集でやってましたので、染料はでかいですねぇ。

あはは。貧乏になれているので、頭が変になりそう~。こっちは、一枚500円のセーターなのにぃ。

刺繍や金糸銀糸も、今とは確かに違いますね。
値段はやはり1~2億はするようです。今それに触れた本を見ましたら、やはりそうなんだそうです。大正か昭和天皇の時に現在の金で8億というのは、記憶違いかもしれません。3億かもしれません(汗)。

お礼日時:2005/04/09 06:57

絹糸も、昔は白いものを集めるだけでも大変だったようで、真っ白な絹は、ものすごく高かったようですよ。


それから、宮家へ納めるものは、同じデザインの物を他に納めるわけにはいかないはずです。
織文様も一点ものですし。。。
ということで、生地自体にもそれなりのお金がかかっていると思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
そうですね、白い絹もそれはそれで高価だと思います。宮家には一点ものということで、付加価値がたくさんつくのでしょうね。

お礼日時:2005/04/14 21:28

あまり詳しいことは分かりませんので、装束を販売しているお店(URL↓)があるので、参考までに、いくらぐらいで買えるかを調べてみました。



十二単の一揃い
【唐衣、裳、衣(五領)、単、打袴、襪、帖紙、檜扇(衵扇)、小袖、表着、打衣(晴の正装の場合)】
のうち、値段の書いてあるものだと
唐衣・裳で25万、袴22万、衣(袿)39万、檜扇(衵扇)10万弱、で、単・表着も正絹だと数十万するでしょうから、合計だと300万以上ですね。
これらは縫いはミシン、染は化学染料だと思いますし、最高級品というわけでもないでしょうから、宮家用ともなると高くなるんでしょうが…
それにしても億とは…
すいませんが俄には信じがたい額です。
どういう換算なんでしょうかね。

(2)ですが、男性用は衣服だけならそうでもないようです。
直衣【垂纓冠、袍、指貫、檜扇、単】のセットで50万ほど。
衣、下袴を加えても100万は行かないでしょう。
束帯だとこれに下襲(28万)、平緒(13万)、飾太刀 、石帯、笏 、襪が追加。(袍は文官なら縫腋袍に、袴は大口袴+表袴になりますが大体同じと見ました)
ただ石帯、太刀は豪華な装飾がしてあると聞きますから、これらだけで衣服の値段を軽く超えてしまう可能性がありますね。

参考URL:http://www.yusoku.com/
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

そうなんです。俄には信じられないのですけど、やっぱり億はするらしいんです。下の方にも書きましたが、8億は記憶違いのような気がしますが、やっぱり1億から2億は普通にしたんだそうです。染料は一つ、大きいなとは思いますが、それにしても高いですね。でも、今思い出しましたが、比叡山や高野山の高僧の袈裟でも、最高級品は一千万円くらいしますので(これも汗出まくりだー)、あり得ない話ではないと思います。こっちは、刺繍がすごくかかってるみたいです。名刹の柱にかかっている絹の柱なんどを見ると、「うーん、この鈍色が母親の帯にちょうどいい柄かも」などと思ってしまったりします・・。最高級品の帯とかでも、そうですね。普通の庶民は友禅染の振り袖100万そこそこ(「そこそこ」かよ、とか思いますけど^^)で我慢しますけど、上は帯だけで数百万しますよね。

うー・・・たかっ。

お礼日時:2005/04/09 07:07

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q花茗荷の育て方。

花茗荷の育て方の書いてあるサイト、
若しくは育て方を教えてください。

Aベストアンサー

ご参考になれば幸いです。
ついでですが、動植物の名前は、カタカナで検索すると良いと思います。

参考URL:http://www.pref.yamanashi.jp/nouseibu/gijutu/vfhp/hanamyog/PAGE001.HTM

Q江戸時代の武家の女性装束について

江戸時代の武家の女性の装束ですが、庶民とはTVなどで異なるようです。ネットで画像を検索しているのですが中々、ヒットしません。
髪型や衣などについて詳しく解説されているサイトがあったら教えてください。髪形も武家は違うのですね。

Aベストアンサー

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

>>江戸時代の武家の女性の装束

まず、髪型ですが、武家の女性は「島田髷(まげ)」でした。
しかし、島田髷といっても時代とともに数十種類にも及び、いつの時代でも女性の流行に余念がなかったようですね。
次のサイトの一番左上(島田髷の由来は)が、武家の女性の一般的な髪形です。
http://images.google.co.jp/images?sourceid=navclient&hl=ja&rlz=1T4GGLL_jaJP332JP332&q=%E5%B3%B6%E7%94%B0%E9%AB%B7&um=1&ie=UTF-8&ei=s0f6SoSRH8-PkQWJuMSuCw&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=1&ved=0CBMQsAQwAA
島田髷の由来は、東海道島田宿の遊女が結ったのが名の起こりです。

衣服について。
武家も大商人たちもそうでしたが、女の元服19歳までは「振袖」で、結婚したり、元服を過ぎると「留袖」を着ました。
現代は、「留袖」と言うと「冠婚葬祭用」を言いますが、昔は、「振袖」に対して、袖が短い・・・という意味でした。
http://www.weblio.jp/content/%E7%95%99%E8%A2%96

また、一般的には「小袖(こそで)」といって、「留袖」よりは気軽な服装でした。
http://images.google.co.jp/images?sourceid=navclient&hl=ja&rlz=1T4GGLL_jaJP332JP332&q=%E5%B0%8F%E8%A2%96&um=1&ie=UTF-8&ei=cE76SoXGOMuSkAW4vojDCw&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=1&ved=0CBwQsAQwAA

また、高貴な武家の奥方になると、その上に「打掛」を着ていました。
http://wedding-gyao.usen.com/glossary/word/006044002

この「打掛」も今では、結婚式の花嫁の衣装と思われがちですが、江戸時代は、身分の高い武家などでは一般的に羽織っていました。

写真を添付します。
解説には、
上流の女の装い
中央の武家の奥方は「打掛」(小袖の上に着る小袖)姿。
左右にいる祐筆と御側女中は半模様の小袖。
とあります。

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

>>江戸時代の武家の女性の装束

まず、髪型ですが、武家の女性は「島田髷(まげ)」でした。
しかし、島田髷といっても時代とともに数十種類にも及び、いつの時代でも女性の流行に余念がなかったようですね。
次のサイトの一番左上(島田髷の由来は)が、武家の女性の一般的な髪形です。
http://images.google.co.jp/images?sourceid=navclient&hl=ja&rlz=1T4GGLL_jaJP332JP332&q=%E5%B3%B6%E7%94%B0%E9%AB%B7&um=1&ie=UTF-8&ei=s0f6SoSRH8-PkQWJuMSuCw&sa=...続きを読む

Q花 育て方 名前 写真

こんにちは、
花を育てているのですが、名前が分からずネットなどで育て方を調べることが出来ません。
そこで、写真などを載せると、花の名前を教えてくれるようなサイトはないでしょうか?
ほか、花の育て方を丁寧に説明しているサイト、寄せ植えの勉強の出来るサイトなどありましたら教えてください。
何かお分かりの方がいましたら教えてください。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

http://f2sendai.seesaa.net/article/39971671.html

Q女房装束からわかること

平安時代の女性の服装に女房装束がありますが、これからわかる当時の文化や生活様式などを教えて下さい。

Aベストアンサー

まずひとつ言えますのが貴族女性の生活様式が椅子とテーブルが中心の中国風から床に直接座る日本古来の様式に変わった点ですね。

平安中期に国風文化になり貴族の女性は室内では「立って歩く」ことはしなくなり「膝行(くっこう)」と呼ばれる膝で摺って歩く作法に変わります。
この歩き方ですと、スカート状の裳では大変歩きにくく、初期は前半分を切り取って歩きやすくしていましたが、上着の肥大化により最終的には後ろにつけるエプロンのような状態になってしまいました。
また、膝行する際に歩きやすくするために裳の下に履いていた袴が肥大化して長袴と変化しました。

それとあれだけ袖が大きくなったのは当時の日本が今よりも暖かかったせいです。(もしかすると温暖化の今の気温に近いのかも?)
当時はクーラーもありませんでしたから、暑い夏を快適に過ごす為に袖口を大きく広げて風を取り込みやすくしたのです。
(だから当時の家屋は壁がない)
そして寒ければ沢山重ね着をして過ごしました。
現在の小袖を中に着るようになったのは地球全体が寒冷期に入った平安後期からです。
また、小袖を着ていないため、女性の装束は袖をひっぱればすぐに上半身裸になってしまいました。
ですから当時の文学で「袖をひっぱる」行為はかなりエロい表現にあたったそうです。

どちらにせよ、装束からわかることは「当時はとても平和だったこと。気候が温暖だったこと。貴族女性はかなり裕福にくらしていたこと」などがわかりますね。

また、よく「女房装束は重くて動きにくい」ということから、いかにも男尊女卑の象徴みたいに言われることがありますが、それは「現代の女房装束で現代の作法で動く」からです。
当時の装束に使われていた蚕は現在のと違い、原種に近い種類であったとされ、当時の女房装束の重さは現在の女房装束の半分くらいの重さしかなかったと言われています。
それと現在のは江戸時代の天保の頃に復元された装束で当時よりもかなり豪華に仕上がっています。(見た目重視だから)
ですので、当時に近い装束で当時の作法で動くと実際はかなり快適ですよ。

まずひとつ言えますのが貴族女性の生活様式が椅子とテーブルが中心の中国風から床に直接座る日本古来の様式に変わった点ですね。

平安中期に国風文化になり貴族の女性は室内では「立って歩く」ことはしなくなり「膝行(くっこう)」と呼ばれる膝で摺って歩く作法に変わります。
この歩き方ですと、スカート状の裳では大変歩きにくく、初期は前半分を切り取って歩きやすくしていましたが、上着の肥大化により最終的には後ろにつけるエプロンのような状態になってしまいました。
また、膝行する際に歩きやすくする...続きを読む

Q胡蝶蘭(花が終わった後)の育て方について教えてください

北海道に住んでいます。3年前に胡蝶蘭の苗(寒天に入ったバイオ蘭というもの)を買い水蘚に植え替えレースのカーテン越しで育てたらやっと今年4月から花を付けもうすぐ終わろうとしています。また大事に育てていきたいのですが花が終わった後の育て方がわかりません。
(1)植え替えはするのか
(2)育った葉は剪定しなくていいのか
(3)肥料は与えたほうがいいのか
(4)また花を咲かせることができるのか
(5)その他気をつけるべき点は
わからないことだらけで困っています。教えてください

Aベストアンサー

No2です。

>花が完全に終わったら花茎を切って植え替えという感じでしょうか・・・

少し遅いと思います。
せっかく咲いたのだから少しでも長く、と思うのは誰もが思うことですが、洋蘭、特に胡蝶蘭の開花している期間はシンビジュームと同じくらい長いです。
シンビジュームの場合はバルブを持っていますのである程度の乾燥や開花における体力の消耗は対応できます。
しかし、胡蝶蘭の場合はバルブを持たない単茎種ですので開花させている期間が長いとその後の生育に影響してきます。

次の開花までの期間が長くなるとか…。


最後のつぼみが開いたら根元で切って水に挿して楽しみましょう。




植え替えに関してですが。

>根は2本飛び出していて水蘚は黒いというか表面が緑色です。

2本飛び出しているくらいでは植え替えません。
また、水苔の状態も緑色ならば大丈夫です。

根ぐされを起こすと水苔が黒ずんできますので…。


追加ですが。
通風(風通し)も生育に欠かせない条件の一つです。

通風があるのとないのとでは生育が全く違ってきます。

No2です。

>花が完全に終わったら花茎を切って植え替えという感じでしょうか・・・

少し遅いと思います。
せっかく咲いたのだから少しでも長く、と思うのは誰もが思うことですが、洋蘭、特に胡蝶蘭の開花している期間はシンビジュームと同じくらい長いです。
シンビジュームの場合はバルブを持っていますのである程度の乾燥や開花における体力の消耗は対応できます。
しかし、胡蝶蘭の場合はバルブを持たない単茎種ですので開花させている期間が長いとその後の生育に影響してきます。

次の開花までの...続きを読む

Q藤原氏の摂関政治が確立する過程に起きた事件について、

藤原氏の摂関政治が確立する過程に起きた事件について、
承和の変で伴健岑(とものこわみね)、応天門の変で伴善男(とものよしお)が没落させられました。
これらの伴氏は、大伴氏とは関係があるのでしょうか?応天門の変では、括弧書きで「大伴」とされている場合があります。
ご存じの方、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

伴健岑・伴善男共に大伴氏の末です。平安時代初期の淳和天皇の諱が大伴親王だったために、その名を避けて大伴氏を伴氏に改姓したものです。

以上、参考まで。

Qカーネーションの育て方・花の咲かせ方 おしえて、 

今年4月に カーネーションの苗を買ってきました。
カーネーションは 多年草で 外でも植えられるということで購入。

しかし、
花つぼみが たくさんあるので 楽しみにしていたのですが
つぼみの中が空洞となり 花が咲きません。

外の花壇は だめなのでしょうか???
雨に当たるとだめなのでしょうか、???
肥料が多すぎたのでしょうか???

カーネーションの花をいっぱい咲かせる方法、、
カーネーションの 育て方を 教えて下さい。

Aベストアンサー

こんにちは^^
カーネーションの育て方は難しいですよね。
ポイントは用土と水やりだと思います。

用土は、水はけと通気性の良い土が適しています。
水やりは、つぼみや花は水に弱く、
ぬれた箇所からカビが発生することがあるので、
開花中の株は花やつぼみに直接水がかからないように株元からそっと水やりをします。

育て方の詳しいリンクを載せておきますね。

http://yasashi.info/ka_00025g.htm

Q生前香典の儀式、またはそれに準ずる儀式について。

 時代劇の子連れ狼を見ていたら『生前香典の儀式』というのをやっていまして、それで気になったので質問します。

 この儀式は、昔本当にやっていた儀式なのかという事と、似たような儀式(西洋、東洋問わない)はあるのかを知りたいです。
 
 よろしくお願いします!

Aベストアンサー

『子連れ狼/生前香典の儀式』の内容自体を把握していませんので、
見当違いなら御容赦下さいm(_"_)m

「生前香典の儀式」を広い意味での「生前葬」と捉え、
あと『子連れ狼』の時代設定が明暦・万治・寛文期頃までとするなら、
当時、可能性の有り得たお話と言えるのではないでしょうか^^

キーワードは「逆修」。
逆修…生前に、自分の死後の冥福のために仏事をすること。
予修。逆善。逆修善。

「生前香典の儀式」までは定かではありませんが、
「逆修」については、下記論文などが参考になるかも知れません。

『大手前女子大学論集6/大手前大学・大手前短期大学/1972』(147-165頁)
◇「逆修信仰の史的研究/川勝政太郎」
http://ci.nii.ac.jp/naid/110000046384
『印度學佛教學研究57(2)/日本印度学仏教学会/2009-03-20』(687-691頁)
◇「中世日本禅宗の逆修とその思想背景/伊藤良久」
http://ci.nii.ac.jp/naid/110007131119

逆修を歴史的にたどると、わが国では平安時代中期以来、
貴族の仏事として華やかに行われたが、
一方大衆を対象とする法界衆生逆修のあったことも無視できない。
鎌倉時代に入って、貴族の風習にならう武士層や名主層などの富裕階級が、
盛大な仏事よりも記念物的な逆修石塔などの造立に熱を加えて行ったが、
石塔の造立は死者の追善や法界衆生の平等利益などが中心であった。

南北朝時代に至ると、逆修塔はようやく数を増すが、
室町時代になると急に様相がかわって、
小石塔、小石仏の増加が庶民の手によって行われ、
その大部分が自身の逆修のための造立という状態になってくる。
民間庶民信仰的な色彩がこくなり、十王信仰、十三仏信仰、
月待信仰などと逆修信仰がむすばれて、
すべてが逆修に塗りつぶされるような錯覚をさえ抱かされる。

しかし、江戸時代はじめからおとろえて、
寛文ごろまでの実例を私は見ているが、
その後はほとんど終息したように思われる。
従って現代の多くの人たちは、私どもの祖先の信仰の歴史の中に、
逆修というものが、長い間行われていたことを知らない。

昔の人が逆修を行うことが盛んであったことは、
寺や僧との結びつきを強いものとし、
寺や僧も人々の生活に直結したのである。
寺が墓を守るものとなって行ったのと、逆修の歴史が終るのと、
時期を同じくすることは偶然ではないようである。

「逆修信仰の史的研究/川勝政太郎」七.結語より

以上少しでもヒントになれば幸いです^^

『子連れ狼/生前香典の儀式』の内容自体を把握していませんので、
見当違いなら御容赦下さいm(_"_)m

「生前香典の儀式」を広い意味での「生前葬」と捉え、
あと『子連れ狼』の時代設定が明暦・万治・寛文期頃までとするなら、
当時、可能性の有り得たお話と言えるのではないでしょうか^^

キーワードは「逆修」。
逆修…生前に、自分の死後の冥福のために仏事をすること。
予修。逆善。逆修善。

「生前香典の儀式」までは定かではありませんが、
「逆修」については、下記論文などが参考になるかも知れません。
...続きを読む

Q月桃花(ゲットウ)の育て方

数年前、沖縄の空港に売られていた鉢を購入、すでに2年ほどになりますが、未だに、育て方がよくわかりません。
普段、ゲットウと呼ばれているものと同じらしいことと、3Mくらいになること(購入時は、20センチくらいでした。今は1メートルを越えています)、7月には花が咲くこと、しかわからず、基本的に、他の熱帯性の植物と同じように育てていますが(シェフレラなど)、花が咲かず、下の方の葉の左右が枯れてきたり、途中で切れてきたりして、困っています。
どなたか、育て方をご存知の方、詳しく教えてください。

Aベストアンサー

ゲットウはシェルジンジャーといいショウガ科の多年草で主に亜熱帯気候の地域で繁殖する植物です。
成長するのに3年かかることから別名サンニンとも呼ばれていますのでもう少し頑張って育てて見ましょう。
ゲットウは株分けして増やすことができます。
下記HPと参考URLをご参照下さい。
http://www.yamaen.co.jp/plantsguide/pb-info-det.asp?kensakumoji=520

参考URL:http://www.yonemura.co.jp/zukan/zukan-k/naiyou/alpini-kihu3.htm

Q束帯衣装

武家の束帯姿は黒が多いですが白の束帯は何のとき着てたのですか?使い分けはどうなってたのでしょう?

Aベストアンサー

 束帯の色は当色といって位階に応じて定められており、養老令で一位は深紫、二・三位は浅紫、四位は深緋、五位は浅緋、六位は深緑、七位は浅緑、八位は深縹、初位は浅縹と決められました。(後に多少の変化があり、また全体的に濃色が好まれたことからどんどん黒っぽくなっていったそうですが)
 お尋ねの白の束帯というのは寡聞にして存じませんが、もしかして直衣とお間違えではないでしょうか。
直衣は天皇以下貴族の平常服で、勅許があれば参内することもできました。
下記URLの左フレームから「公卿冬の直衣」をクリックしてご覧ください。

参考URL:http://www.iz2.or.jp/fukusyoku/wayou/index.htm


人気Q&Aランキング

おすすめ情報