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基本的人権を尊重する日本国憲法において、犯罪者は矯正するものであり、そのため、行動の自由などを一定期間束縛しているのだと理解しています。犯罪者の生命をとることは、納得いきません。

別件ですが、最近になって「被害者の処罰感情」という言葉が頻繁に使われているのも気になります。これは「仇討ち」の権利がないものが国家に代理してもらうのであり、結局「代理仇討ち」といえるでしょう。

A 回答 (3件)

そのような本はありませんが、



最高裁判決が昭和23年(1948年)3月12日に出されており、いまだにこの判決が死刑制度の是非に係る判例、合憲の根拠とされております。

ちなみに、当該判決では、以下のとおり、死刑制度が憲法第13条、第31条、第36条に違反していないことが判示されております。
要旨としては、以下のとおり。(判決文から抜粋、一部語尾等を修正)

なお、興味がございましたら、わずか7ページほどですし、判決文全文をご覧になることをお勧めいたします。


1.【憲法第13条について】
憲法第十三条においては、【公共の福祉に反しない限り】という厳格な枠をはめていることから、もし公共の福祉という基本的原則に反する場合には、生命に対する国民の権利といえども立法上制限乃至剥奪されることを当然予想しているものといわねばならない。

2.【憲法第31条について】
憲法第三十一条によれば、国民個人の生命の尊貴といえども、法律の定める適理の手続によって、これを奪う刑罰を科せられることが、明かに定められている。
すなわち、憲法は、現代多数の文化国家におけると同様に、刑罰として死刑の存置を想定し、これを是認したものと解すべきである。
言葉をかえれば、死刑の威嚇力によつて一般予防をなし、死刑の執行によつて特殊な社会悪の根元を絶ち、これをもって社会を防衛せんとしたものであり、また個体に対する人道観の上に全体に対する人道観を優位せしめ、結局社会公共の福祉のために死刑制度の存続の必要性を承認したものと解せられるのである。

3.【憲法第36条について】
死刑は、まさに窮極の刑罰であり、また冷厳な刑罰ではあるが、刑罰としての死刑そのものが、一般に直ちに同条にいわゆる残虐な刑罰に該当するとは考えられない。
ただ死刑といえども、他の刑罰の場合におけると同様に、その執行の方法等がその時代と環境とにおいて人道上の見地から一般に残虐性を有するものと認められる場合には、勿論これを残虐な刑罰といわねばならぬから、将来若し死刑について火あぶり、はりつけ、さらし首、釜ゆでの刑のごとき残虐な執行方法を定める法律が制定されたとするならば、その法律こそは、まさに憲法第三十六条に違反するものというべきである。


●【死刑制度合憲判決】(全文) ※最高裁大法廷、1948.3.12
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/385 …


●日本国憲法
第十三条 【個人の尊重・幸福追求権・公共の福祉】 
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

第三十一条 【法定の手続の保障】 
何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。

第三十六条 【拷問及び残虐刑の禁止】
 公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。


【補足説明】
なお、【被害者による処罰感情】という概念は、最近というわけではなく、昔から、少なくとも昭和の時代からありました。

こうした中、事件の犯人、すなわち、被疑者、被告人は憲法、刑事訴訟法等により手厚く保護・保障されているに対し、長年、被害者やその親族の権利はあまり配慮されていなかったという過去の歴史があります。

ようやく、近年においては、被害者の権利保障の面から【被害者参加制度】が導入され、被害者等が刑事裁判の法廷で参考人として意見を述べるということも認められたりもしているところではありますけど。
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この回答へのお礼

ようやく 全体像が見えてきました。確かに、憲法が法律によって「生命を奪われ」ることを認めているようですね。ありがとうございました。

お礼日時:2022/12/07 12:28

死刑が、日本国憲法において違反していない


理由をわかりやすく説明している本はありますか。
 ↑
憲法の教科書にはありますよ。
判りやすいかは別ですが。

要するに、憲法31条は死刑の存在を
前提としているから、と
解釈されています。



基本的人権を尊重する日本国憲法において、
犯罪者は矯正するものであり、そのため、行動の自由などを
一定期間束縛しているのだと理解しています。
犯罪者の生命をとることは、納得いきません。
 ↑
矯正が刑罰の根拠であれば
矯正不可能と判断された場合は
死刑もOKということになります。



別件ですが、最近になって「被害者の処罰感情」という
言葉が頻繁に使われているのも気になります。
これは「仇討ち」の権利がないものが国家に
代理してもらうのであり、結局「代理仇討ち」といえるでしょう。
 ↑
刑罰の沿革としてはその通りです。
刑罰は、被害者から報復の権利を奪い取った
時から始まった、とされています。
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この回答へのお礼

ほぼ、すっきりしてきました。となると、裁判官が、3人殺したからとかいう判断基準が変化していくかどうかですね。ありがとうございました。
なお、刑務官の方のご苦労には、表現のしようもない感謝をしております。

自分が、やっていないのに、逃げようのない証拠物を偽造され、死刑となることを想像すると、恐怖を感じます・・・・・

お礼日時:2022/12/07 12:40

分かりやすく説明している本はありません。

実際刑法学や憲法学でも死刑は論争の的で、定説とよべるほどのものがありません。

なので、現在日本政府は昭和21年(1946年)の最高裁による「死刑制度合憲判決」を元に「合憲である」としています。

今回、死刑囚が「絞首刑は残虐であり違憲だ」という提訴をしたのは意味があります。
 これについて「死刑囚が裁判を起こすなんておこがましい」という批判がありますが、基本的に当事者しか原告になれないので、そういう点では死刑囚しか裁判を起こせないので妥当です。

>ます。これは「仇討ち」の権利がないものが国家に代理してもらうのであり、結局「代理仇討ち」といえるでしょう。

「仇討ちまたは復讐と呼ばれるものを国家が代理する」というのも刑法の理論の中にあり、法学者でも「応報刑論」として支持する人たちが一定数存在します。
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この回答へのお礼

なるほど、いくつかの説があるのですね。
まず1946年という新憲法の超初期の考え方を調べてみます。ありがとうございます。

お礼日時:2022/12/06 12:23

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