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ロシアのマリヤ・ロマノフ大公女の息子が、ロマノフ王家の財団を立ち上げる時に協力したのが、外交官の娘で、現在の妻だったと思います。

A 回答 (1件)

ロマノフ王家の財産は行方不明になっています。

 1991年、ロシアの新聞社イズヴェスチヤ紙で驚きの報道がされました。「日本に持ち込まれたロマノフ王朝の財宝をロシアに返還するように」と。 この報道に対し、日本の報道も「ロシアにロマノフ王朝の財宝を返還すべきである」と発信しています。 また、日本の外務省も、このロマノフ王朝の財宝の返還要求に対して、「当時の記録では金塊は返却されている」とロシアに対して返答しているので、日本が一部の財産を手に入れたのは事実のようです。 

日本は第一次世界大戦ではロシア側についていました。 そのため、第一次世界大戦後もロシアに滞在している日本軍がいたのです。 ロシア革命により、ロシアは2軍に分かれて戦争を行いましたが、日本は王朝側の白軍の見方になっていました。

白軍であったコルチャック提督の側近に、ペトロフという将軍がいました。 1918年に王朝であるニコラス2世が処刑されますが、王朝の政権崩落後、ペトロフ将軍は王朝のお宝である金塊22袋を奪います。 ロシアに財宝を残しておけば赤軍に奪い返されると考えたペトロフ将軍は満州へお宝を輸送するのです。  ですが、いつ敵に襲われるか分からない恐怖から日本軍にお宝を預けます。 ペトロフ将軍の思惑通りロシアから離れた島国の日本に財宝が輸送されたのです。 このような流れで日本にお宝が渡ったとされています。 ただし、前述の通り、日本政府は財宝は既にロシアに返却していると言うことで、財宝の行方は分からないままのようです。
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