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モデルは駐在アメリカ人に殺された女の子なのに なんで慰安婦なんだ?

質問者からの補足コメント

  • どう思う?

    実は最初は アメリカ大使館 の前に作られて撤去された。
    その後なぜか日本大使館の前に置くようになった。

      補足日時:2023/03/10 17:00

A 回答 (8件)

あの像はティッシュペーパーみたいなものだからです。


売れれば何でもいいという金儲主義の作者のせい
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白でも黒でも赤でも青でも金色にでも色を付けインネンタカリの道具にする。

それが韓国人です。詐欺タカリの天才です。
関わりあってはいけません。
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韓国の人はミソクソが好きなんです


...味噌も糞も鍋で溶かせば色が同じって事を実証してるんですw
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その情報はガセでしょう。

ウィキペディア(https://ja.wikipedia.org/wiki/)をソースに挙げるのは気が引けますが、「慰安婦像」の「米軍装甲車轢死事件追悼碑の転用説」の項をご覧ください。
そもそも、あれを作ったのは韓国の芸術家で美術作品なんだよ。ブロンズ像だから同じものがたくさんある。

彫刻とは 国立西洋美術館のロダン考える人は本物なのか - GOODCROSS
https://www.goodcross.com/words/17775-2019
〔引用開始〕
結論から言うと、本物か否かということですと東京の国立西洋美術館の前庭にあるロダンの考える人は本物です。
彫刻の「本物」というのは絵画の本物とは意味合いが違うこと。「本物」は1体だけではないということを知りました。
〔引用終り〕

そして、美術作品のモデルが本人じゃないのは当たり前だ。たとえば、夏目漱石の『草枕』(https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/776_ …)にも出てくるミレーの名画『オフィーリア』(1851年、)は、ご存知シェイクスピアの『ハムレット』のデンマークの王女である。愛するハムレットから「尼寺へ行け」と言われ、傷心して小川に落ちて死んだ。
しかし、この絵はエリザベス・シダルという当時売れっ子だったモデルさんである。19世紀の作品だが妙に生々しく、展示されて大変な評判をとったが、「王女のようには見えない」と悪口をいう人もいました。
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そういうのはよくあること。


以前もどこかの新興カルト宗教が「私、日本人に生まれてよかった」というポスターを作って大量に貼りまくっていたら、モデルの女の子が中国人だったなんて似た話もありましたね。
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駐在(駐留)アメリカ人(軍)に殺された女の子、って説は真偽不明の話だよね。

ただ、そもそもこれをつくった人は「特定のモデルはない」って言ってるみたいだし、日本軍の関与したいわゆる従軍慰安婦は厳密に年齢制限されていたわけだから少女の慰安婦なんてのもいなかったということになる。
 単純にあの国の妄想の結果といっていいんじゃなかろうか。
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そういう説がある、ということですね。



事の真偽は、不明ですが、
韓国なら平気でやりそう・・・。




2002年韓国の京畿道楊州郡というところで、
駐韓米軍の軍用車両にひき殺された、二人の女子中学生。

少女の名前は申孝順(左:シンヒョスン)さん、
そしてもう一人は沈美善(右:シム・ミソン)さん。



沈美善さんは小鳥が好きだったことから、
彼女の肩には小鳥を乗せているとか。

作ったのは、韓国の彫刻家夫婦であるキム・ウンソンとキム・
ソギョンで、二人は親北朝鮮団体として有名な
民族美術家協会というところの会員(事務長?)として、
北朝鮮を何度も訪問している夫婦。




モデルは駐在アメリカ人に殺された女の子なのに 
なんで慰安婦なんだ?
 ↑
もともとは、少女二人が犠牲になった事件に抗議して
アメリカ大使館の前に設置しようとしたんだけど、
韓国政府から許可が降りなくて設置を断念。

そこで、せっかく作った像なんでモッタイナイから、
有名なあの慰安婦支援団体に売却。
「韓国の少女像のモデル」の回答画像7
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慰安婦を象徴する「平和の少女像」(轢死事件被害者も少女でありややこしいので以下「慰安婦像」)のモデルが米軍装甲車轢死事件の被害者だという話が噂話としてよく流れていますが、それは事実かどうか定かではありません。


これはいろんな要素が混ざっていて、説明がややこしい話なのです。

「慰安婦像」の作者が米軍装甲車轢死事件の被害者少女だと語ったことはありません。
作者は、自分の娘にああいう服装をさせてそれをモデルにしたが顔は完全に想像だ、というようなことを語っています。
「慰安婦像」の作者は米軍装甲車轢死事件のモニュメントも作成しているのですが、その轢死事件のモニュメントは事件から10周年を記念するものだったので、最初に設置されたのは事件から10年後の2012年です。
そのモニュメントは最初米大使館前に設置できるよう申請していたのですが却下されたため別の場所(教会の敷地)へ設置し、現在もその場所にあります。
ですからそれが米大使館前に設置された事実はありません。
(米大使館の近所に設置されていたのは後で説明する別の物です)
「慰安婦像」は2011年12月に設置されてから移転されてはいません。
もし2012年に設置された轢死事件記念モニュメントと「慰安婦像」が同じものだとすると、時系列とかいろいろおかしいことになります。
なお、轢死事件のモニュメントには被害少女を象徴する像があるのですが、それは「慰安婦像」と全く似ていません。
ただ、作者は「慰安婦像」と米軍装甲車轢死事件のモニュメントを同時期に作っていると考えられるため、モニュメント作成のため集めた資料に被害者少女の写真があり、その写真の記憶が「慰安婦像」作成に何らかの影響があった可能性はあります。
でも、それを根拠にモデルだといえるかは疑問符が付きます。
「慰安婦像」と轢死事件被害少女の顔は、それほど似ていません。
似ているとされる髪型も、作者は長かった髪を無理やり切られたことを表現したものであり「切られた髪は家族とのつながり、国とのつながりを無理矢理絶たれたことも象徴しています」と説明しているため、モデルだと断定する根拠にできるかは疑問です。
(出典:https://lite-ra.com/2017/12/post-3635_3.html
これで明確にモデルだといえると主張するなら、難癖扱いされる覚悟が必要でしょう。

米軍装甲車轢死事件の翌年の2003年、在韓国アメリカ大使館の近所の歩道に事件の記念碑が設置されているのですが、それは韓国行政といろいろもめた末の2014年に撤去されています。
日本で流布されている噂話だとそれが「慰安婦像」として転用されたということになっているのですが、そのとき設置・撤去されたのは火がついたろうそくの形を模した石碑です。
「慰安婦像」は少女の形をしたブロンズ像ですから、轢死事件後在韓国アメリカ大使館近くに設置されていたものが「慰安婦像」として転用されたという話はどう考えてもありえません。

参考)
https://news.mt.co.kr/mtview.php?no=201203221413 …
http://www.tongilnews.com/news/articleView.html? …
https://m.ohmynews.com/nws_web/mobile/at_pg.aspx …
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