dポイントプレゼントキャンペーン実施中!

いろいろと物議を醸しだす発言が繰り返され、そのたびに「『不適切』でした(-_-メ)」というお詫びを入れるというのがお定まりなのですが、そもそも『不適切』とはなんでしょうか?個人の表現の自由は、保証されていないことの実例ではないでしょうか?どこまでがモラルなのか?その線引きさえ明確でなくなんとなく多数が理由はよく説明できない(死者を侮辱するとかその程度)のにそれは『不適切』だというと、発言者に対して言論統制を強いるということが行われているのでは?
たとえば、もっと個人的なことなら、
『そういうことを言うやつなんだ、ほっておけ』
という無視を決めつけて村八分化しようとします。ところがSNSやらマスコミ的なネタになると、突然攻撃対象になるという理不尽もある。
このような構造というのはいったい何なのですか?

A 回答 (8件)

昔のある国の大統領の「不適切な関係」のニュースを思い出しました。




その時は、自分自身を言論統制した、ということなのでしょうか。たしかに、モラルの問題だったような気もしますし。制限したのかな。


結果的に、制限したことで詳細な説明は回避できたという感じかもしれないですね。


個人的には、不適切と言論統制は同義語ではないと思っています。言論の自由は、他者の自由や公共の福祉を侵害しない範囲で許されるものだと考えているので。


不適切は目的に合っていないという意味で、言論統制は言論に制限を加えるという意味で違う意味のような。法治国家では、「法律」との関わりの話のような気もします。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

実質は『不適切』のレッテル貼りも『言論統制』と変わりません。ヘヴィーな社会的プレッシャーです。

お礼日時:2023/03/16 09:43

同義語っていうのは、例えば「捏造」と「不正確」みたいに代替が可能な語のことだよ

    • good
    • 0
この回答へのお礼

だから可能でしょ?

お礼日時:2023/03/16 15:38

言論統制(国家が公権力によって民衆の表現活動を制限すること)は行われているが、同義語でも類義語でも対義語でもない

    • good
    • 0
この回答へのお礼

そうですか?

お礼日時:2023/03/15 18:37

>新聞や週刊誌でやっている、誰かを叩きまくるような論説も『不適切』であり発禁処分



どういうケースの話かわからんけど
もし不適切ならその新聞や週刊誌自体が批判されるだろうし
売り物なんだから売れなくなって廃業になるだろうと思うが?

まぁそれぞれの思想信条によって、あの新聞は気に入らん!という基準で叩く人は居るがそれはまた別の話なので

色々裁判沙汰にもなっているが今のところ発禁処分なんてことにはなってない
つまり社会的な意義がある、単に叩いているだけじゃないってことだろうと思うが

まぁ一部にはメディアスクラムという弊害が起きていることは事実だが
それを発禁処分と結びつけるのはちょっと次元が違う
    • good
    • 0

>明確な線引きを明文化できますか?



明文化はできません。
法律の範疇は明文化されていますが、常識や道徳は明文化されていませんし、時代によって変わってしまうので、仮に明文化したところで意味がありません。
そして、明文化できないからといって曖昧だということにはなりません。

>影響力が違うと、なぜ一方は無視になりなぜ一方は叩きまくるということになるのですか?

こんな初歩から説明が必要なんですね。
簡単に言えば、なぜ罰せられるかといえば、世の中なり個人なりに悪い影響を与えるから罰せられるのです。
世の中により大きく悪影響を与えたならより大きく罰せられるのは当たり前ではありませんか。
影響力の大きい人や大きい手段を使って悪いことをすれば罪も大きくなります。
これは司法の場でもこのような解釈・運用が為されています。
たとえば名誉毀損ですが、誰かとコッソリ話している会話であれば名誉毀損に該当しません。
不特定多数の目に触れる形で名誉を毀損すると、民事刑事で罰せられます。
罪と罰は比例するのです。
比例しないといけないのです。
当たり前すぎることに疑問を感じていることに少なからず驚きです。

2倍悪いことをすれば、2倍の罰が来る。
小学1年生の算数ですよ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

目立ったものは叩く、目立たないものには関与しないなどという偽善的な慣習は撤廃したほうがいい。

お礼日時:2023/03/15 18:38

>その線引きさえ明確でなくなんとなく多数が理由はよく説明できない



どこに線引きされているかは明確ではありませんが、どの種類の「越えてはいけない線」を越えたかについては明確になっていることがほとんどです。

たとえば虚偽発言だった、たとえば事実誤認だった、たとえば誰かの名誉を毀損したなど、何がよくなかったについてはほとんどが明確です。

たしかに線引きについては、前後の文脈やあるいはそのときの時代背景や世相によって変わることはあります。

しかし何がよくなかったかは明確です。

何がよくなかったのかがわからない実例を教えていただければ説明して差し上げます。

また、個人的発言とSNSでは影響力が違います。

立ち話の雑談とネットを通じて全世界に発信した情報とを一緒に考えるのは無理があります。

これを理不尽と扱うこと自体が理不尽です。

構造とかそんな小難しい単語を使うまでもないことですよ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>虚偽発言だった、たとえば事実誤認だった、たとえば誰かの名誉を毀損したなど、何がよくなかったについてはほとんどが明確です。

ですので新聞や週刊誌などがある個人を叩くのは論外です。

>何がよくなかったかは明確です。

明確な線引きを明文化できますか?

>個人的発言とSNSでは影響力が違います。

影響力が違うと、なぜ一方は無視になりなぜ一方は叩きまくるということになるのですか?

お礼日時:2023/03/15 08:52

自由には責任が伴います


自由だから何をしても構わないということにはならない

自分の権利を主張する際には、その結果他人の権利を侵害したりしてないか?考慮が必要

例に上がっている震災犠牲者に対する揶揄的発言は、当人は発言の自由だろうというのだろうが
それを目にした犠牲者の関係者などが、静かに故人を偲ぶという権利を奪うことにはならないか?
ああいう言葉を耳にすれば心がザワザワしないか?

君は『マスコミが報道しなければ耳にしなかったろう』とか言うのかも知れんが
そういう問題なのか?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

表現の自由には『悪意があってはならない』『揶揄があってはならない』などの規制があるとするなら、新聞や週刊誌でやっている、誰かを叩きまくるような論説も『不適切』であり発禁処分になっても文句は言えないはずです。

お礼日時:2023/03/15 08:48

自由と責任は表裏一体です。



表現の自由と言っても、何でもかんでも好き勝手に言って良い訳ではありません。

例えそれが事実だとしても自分が言ったことで誰が傷付いたり誰かを傷付けたりしたら、それに責任を取るべきだし訂正すべきかと。

そういう場合に不適切だった、つまり配慮とか思いやりに欠けた発言だったという意味かと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

もっともですが、その
>誰が傷付いたり誰かを傷付けたりしたら、それに責任を取るべき
だとしたら、何気ないことでも起こりえます。スポーツのことなど話して身体障害者を傷つけるとか。
それにもっと踏み込んで言うと、表現には悪意をも許されるかどうか?ということが十分検証されていません。悪意の全くない表現しか許されないなら、誰かを批判する論説なども『不適切』の烙印を押されるはずです。

お礼日時:2023/03/15 08:46

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!