
No.8ベストアンサー
- 回答日時:
幾らでもあり得ますよ。
上士、下士と言う言葉を聞いたことがありませんか?
天下分け目の関ケ原の合戦で、徳川側に着いた大名と、豊臣側に着いた大名がいます。
その後、関ケ原の合戦で勝利した東軍の徳川側が、天下を統一したのは誰でも知っている歴史的な事実です。
坂本龍馬で有名な土佐藩は長曾我部氏が支配していましたが、関川原の合戦で敗れたために、山之内一豊が支配者として派遣されました。
山之内一豊は愛知県岩倉市の出身で、主君を浅井新八郎→前野長康→牧村政倫→山岡景隆→(織田信長)→豊臣秀吉→秀次→秀吉→(秀頼)→徳川家康
と渡ったために土佐藩の藩主となれたのです。
山之内一豊が愛知県から連れて行った家臣達が上士となり、生き残った旧長曾我部氏の家臣達の殆どが下士として仕えたのです。
坂本龍馬の家は下士とは言え、質屋、酒造業、呉服商などを営み比較的裕福な家でしたが!
同じ土佐藩士で三菱を創業した岩崎弥太郎の子孫は甲斐武田氏の流れを汲んだ立派な武士なのに、旧長曾我部家臣であったために足軽以下の生活を送っています。
西郷隆盛然り!
ある意味、明治維新は下級武士が現体制に対する反感から生まれた、革命だったと言えるのです。
No.6
- 回答日時:
武士という専門職が確立したのは、織田信長の時代。
それまでは、普段は農民、いざってときだけ武士にチェンジの二刀流。
その後、秀吉の刀狩りで、農民は農業専門職に。
江戸時代になると、お城勤めレベルが武士。
その家来が三下奴。大名行列の人数合わせで募集されるぐらいですから、今のフリーターに近い。
No.5
- 回答日時:
> 戦国時代は武士なのに江戸時代から足軽とか有り得るんでしょうか?
戦国時代には、身分階層としての武士が固定していたわけではなく、多くの移動があったでしょう。
https://core.ac.uk/download/pdf/198396787.pdf
https://hikone-keikan.up.seesaa.net/image/E3818D …
No.4
- 回答日時:
武士と一口に言ってもまさに玉石混交。
原理主義的な意味での武士のほとんどは武芸を生業とした下級公家。源頼朝や平清盛、足利尊氏などがその典型例。いわゆる鎌倉御家人も多くはそういう地方に土着した公家の子孫、あるいは古代豪族の子孫です。
しかし、時代が下ってくると、本来武士ではない庶民階層の者が武装化して武士化していきます。そういう半農半武の者たちを地侍と言います。彼らは大名や武士に仕えて能力があれば武士階級に取り立てられました。
そういう曖昧な存在である彼らに突然選択が突きつけられます。太閤検地による兵農分離です。農地の所有者は農民身分となり、武士ではなくなります。農地を取るか身分を取るか選択を迫られた彼らの多くは、長男が農地を継いで農民となり、次男は武士身分となり城下町に移住しました。
あなたのご先祖もおそらく戦国時代は地侍であったのが、江戸時代に「昔武士だったんだ」と仕官運動をしたら足軽の口しか空いてなかったのでしょう。
No.3
- 回答日時:
元々武士は公家の持っている荘園を守るガードマンにすぎません。
農家の次男三男が力を武器にして雇われていたのにすぎません。戦国時代になり力と土地を持った領主にお米欲しさに雇われてきた物。
戦局が変れば自然界さん野党となってどこかの藩に入れてもらうやくざ屋さんと同じです
戦って武将の首をはねたと兜をかぶった武将の首を持って領主の所に行ったら褒美を貰い役職が上がるシステムです。負けた領主の下に居た人は親子供とも親類縁者共々全員打ち首絶滅させられます。
たいした功績もなく落ち武者として農民に紛れて暮らしていたのを 雑用係として足軽に雇ってもらった。江戸時代は戦乱がなかったから戊辰戦争の時江戸に向かう薩摩軍に参加して幕府を打倒したいという勝手武士であったが僧侶になっていたり町人になっていた人が 刀を持って参加した
その前の大阪城を徳川が滅ぼした時豊臣方に参加した野党の仲間ははぐれ浪人の集団
という経緯があります
明治になって武士という身分なら 士族として公務員に準ずる職場についています。士族としての証明書ももらっています。
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