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キリスト教のいう天国と仏教のいう天国は違うのなのでしょうか?

どう言った点が違うんでしょうか?
国が違うという点なんでしょうか?
仏教では天界は六階まで存在するのですが、キリスト教のいう天国とはなにが違うんでしょうか?

詳しい方お願いします。

質問者からの補足コメント

  • cactus2さん

    そして見たと言うのは、死んだから見たとかじゃなくて、お釈迦様自身が千里眼?みたいなもので見たものなんですよ。

    信じるとか信じないとかは、そこは求めないので
    解答してくれたことには感謝します。

      補足日時:2023/05/06 19:06

A 回答 (14件中1~10件)

でもそれは言い伝えであり、事実とは異なるのでは。


あなたは御釈迦様に実際に逢われたのですか。だとしたら相当
な年齢ですね。
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では一度でも死んだのですよね。

だったらココで質問する
必要は無いのでは。
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この回答へのお礼

えーー
私じゃなくて、お釈迦様がなんですよ。

お礼日時:2023/05/06 19:00

実際に天国にも地獄にも行って帰って来た人は居ないので、違う


点を答えるのは無理。あくまで御釈迦様やキリスト様が考えられ
た事を現世に伝えているだけ。

帰って来た酔っ払いは嘘。
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この回答へのお礼

考えたんじゃなく、見たのですよ。

お礼日時:2023/05/05 22:30

質問者様御自身がお礼コメントで書いておられるように仏教で説かれているのは天国ではなくて極楽です。

そして天国にしろ極楽にしろ「どう言う所か」と言う考え方は宗派等によって異なるかもしれませんが、概ね言えるのは天国が「救われた人が行く所」と言った、言わばゴールであるのに対して、極楽の方はそこに入って終わりではなくまた地獄等に行く場合もある事になります。「輪廻転生」と言う考え方ですね。
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この回答へのお礼

おお、そうなんですね…
なるほどですか。キリスト教などが語る天国は永遠の場所というふうになっているのですか…

聞いたことがあるような気がします。
でもなんだかよくわからなくなりましたね…

信仰している宗教が仏教であることで、天国が永遠の場所だというキリスト教の教えに少し違和感を感じます。

ご回答ありがとうございます。
これはご参考になります。

お礼日時:2023/05/05 16:15

お礼について。



仏教は信じる宗教ではない。仏教は実践する宗教です。仏教は信者を必要としない宗教でもある。そもそも悟りとは何かを説明しないんだから。比較してキリスト教は「信じるしかない」宗教です。

一神教の神のうち、ユダヤ教の神は罰する神なので、人はその罪を弁証し神と契約します。キリスト教の神は予定する神、既にして神を信じることができる者のみが救済される。イスラム教の神は慈悲深き神であり、神を信じることができないとしても信仰という行為が伴えば大目に見てくれます。

ここらへんは、あんまり混ぜない方いいね。仏教を信じてる人は、仏教徒じゃないからね。
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この回答へのお礼

それはまた少し意味がわからなくなりましたね…
信じることができなければ、実践もできないだろう…

まぁ、ここまでにします。
どうも色々と教えてありがとうね。

お礼日時:2023/05/05 16:06

お礼について



回答補足。

天国とは、神が人に与えた場所なんですね。でも人は神に背いてその場から追放を受けた。それが、キリスト教他一神教の神を信仰する宗教の原罪です。その罪の全てをキリストが贖ったとするのが、キリスト教。そしてキリスト教の神は予定する神なので、誰が許されて天国に永遠に回帰するかは既に決まっている。全ては神の思し召し、それを信じることが既にしてできる者は、神に選ばれた者のみ。人の努力で神を信じることなんてできる訳がない。それがキリスト教の原点であり、キリスト教徒の悩みです。

仏教にとってのこの世は全て苦行です。死んでもそこからは逃れられない、苦行です。極楽浄土も六道のうちの冥界なんです。人は涅槃に入るまでその六道をのたうち回るんです。仏とは、苦行する姿であり救われた姿ではない。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。仏教について語ってくれたことは私も既に知っています。

キリスト教の神が言っていた人の努力で神を信じることは不可能だと言う話。それはキリスト教だけでなく仏教にも通用する当たり前な理屈だと私も思います。

信じて神の教えに従える者は生まれてくる前から定められてきたカルマなのだろう…
その信じて教えに従えることができるカルマがなければ、人は好き放題やって餓鬼や動物、最悪地獄に行ってしまう可能性すらある。

信じて教えに従えることができる者がいかに運がいいこたか、奇跡的なことなのか…理解できるか理解できないか、はカルマに従って限られていることです。

なので信じることができない人のことは、本当に「仕方がない」と言う言葉以外に適切な言葉はないと思います。

いろいろと教えてくれてありがとうね。

お礼日時:2023/05/05 08:05

お礼について。



天国は、原点に戻ること。極楽浄土は現世のうちのひとつ。
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お礼について。



キリスト教における天国とは、本来として人がいた場所。本来として人がいた場所から神より追放された苦難の場としてのリアルが現在です。そこに戻るには、神の赦しがいる。

仏教は、本来の人としてのあるべきものは、たった今にある。そこは苦行の場。人とは苦しむもの、生きるとは苦しむこと。いくら死んでも、また生まれ変わるので、苦しみは終わらない。終わりたければ涅槃に入れ、です。
仏教でいうところの極楽浄土は最終地点ではない。通過点です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
仏教に語ってくれたことそれは全て知っています。
どうもありがとうございます、しかし極楽浄土と天国の違いは一体なんでしょうか。それが知りたいのです。

お礼日時:2023/05/04 22:15

キリスト教も仏教も天国の内容としては同じ。


神や天使、仏陀や阿弥陀仏など主な住民の名称が異なるだけの話。
そこに死後の人間がどう関わるかについては、キリスト教も仏教も宗派によって異なるが、概ねきちんと信心して教えにしたがった人の魂がいける場所である点についてはほぼ共通している。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。それが正しいのかもしれません。参考にしておきます。ご回答感謝します。

お礼日時:2023/05/04 17:14

仏教には、天国がありません。

涅槃に入ります。
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この回答へのお礼

仏教に天国はありますよ。極楽浄土でしたっけ?(日本語では)。涅槃は別ですよ。涅槃は天国とかとか比べ物にならないほど入るのが難しいものです。
私の知る限り、お釈迦さまやブッダなど、そしてそれに近い存在たちだけしか涅槃には到達していませんね。

お礼日時:2023/05/04 16:58

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