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もっと将来に役立ついうことをちゃんと教わっていれば、生徒はもっと勉強すると思うのです。

A 回答 (4件)

ウチの子供たちが通ってた学校での経験です。



私はプロファイルに記したような在米の隠居爺です。
今大学院に通っているウチの子供で経験して来たことです。

当地の小中校の授業には、名前はホームルームのような感じのものですが、『子供たちの将来設計』を趣旨にした授業活動があります。
ウチの子供たちの学校の場合、それは小5と中学2ぐらいの時にありました。

このそれぞれの学年でやることの中身は同じです。
違うのは、高学年の方が内容を細かく濃くやる点です。

では何をするのか?
それは、以下のことです。

 ① 生活を知る
 ② 仕事を知る
 ③ 築きたい生活を考える
 ④ 就きたい仕事を考える
 ⑤ すべきことを考える

① は、生活に必要なもの、お金などをわからせる取り組みです。

まず最初にするのが人生にはどんなライフステージがあるかを考えることです。
社会に出て仕事をはじめ、結婚して子供を設け、子供を学校に通わせて独り立ちさせ、年を取って退職し、老後を過ごして人生を終えるという一連の人生の流れです。

そして、そのそれぞれの段階での生活をイメージさせ、そこでの生活で必要なもの、かかるお金などを考えさせます。
家や車などに始まり、家具・家電、日用雑貨や食料品などの生活に必要な品々、光熱費や交通費、医療や保険や教育でかかるお金ですね。

これは、新聞の広告や『売ります・買います』コーナーの記事、折り込み広告、ダイレクトメール、ネット検索などを使って情報をかなりマジに集めさせ、整理させます。
小学生ながら、この過程でブラウザやエクセルなどの使い方を結構覚えます。

② は、生活のための報酬を得る方法の調査です。

様々な仕事について、仕事の中身、勤務時間や福利厚生、報酬額などを調べます。
また、その仕事に就くのに必要な資格や学歴なども具体的に調べさせます。

この調査も、新聞の『求人広告』のほか、様々な求人雑誌、ネット検索などを使いますが、たとえば消防士や銀行マン、医者や弁護士、スーパーやレストランの店員さんのような人に実際に学校に来てもらったり、現場に行って聞き取ってきたりもします。

③ は、① や ② の調査結果を、個人個人の価値観や自分の能力や好みに照らし合わせて考えさせ、どんな生活スタイルを狙いたいかを想像させるものです。

そこでは、その希望を実現するにはどのぐらいに収入が必要か、という現実を知ることになります。

④ は、③ で分かった収入に対する要件を満足させようとすると、どんな仕事だとどんな働き方をしないといけないかを考えさせます。

⑤ は、④ のまとめです。
その仕事に就き、目標とする報酬が得られるようになるまでにはどんなことをしないといけないのか、を考えさせます。

これらを真剣に考えさせるにはかなりの時間がかかります。
実際、1学年のほとんど全部の期間を使います。

小学校と中学校の二段階に分けてやるのは、一気に考えさせるのは無理だからだと思います。
小学校ではかなりアバウトに考えさせ、中学校ではそれなりに真剣に考えさせる、という具合です。

この活動の結果、当地の子供の多くは、中学校を終えるころには自分の将来の生活と仕事のイメージをかなり具体的に持つようになります。

実は、この時期に子供たちの意識をそう言う状態にするのには理由があります。
その先にある高校の時代に、本当にそういう生活をスタートさせる準備をさせるためです。

先述したように、当地では高校までが義務教育です。
それを、多くの親を『子供は高校卒業とともに自立させる』という意識にさせています。
つまり、就職しようが進学しようが、それは子供が自分で判断し、それはすべて子供が自力で対応する、と考えているのです。

その時、日本の人に理解されてない大きな社会的事情があります。
大学進学にかかる費用です。

日本の場合、学費は国公立で年間数十万、自宅外の場合の生活費は年間百万ぐらいが相場でしょうか。
つまり、4年間で数百万円。

しかし当地は違います。
それなりのレベルだと国公立に相当する州立でも、州外だと1年で 500万、自宅外の生活費は 300万はかかります。
つまり4年間だと優に 3,000万を超えます。
日本なら、首都圏の郊外に戸建ての家が買えそうな金額です。

当地の子供たちは、この金額のお金を自分で用立てます。
親から借りる子もいますが、家が買えるほどのお金を準備できる親は多くはありません。
子供が何人も居たらなおさらです。
なので、当地では、進学する子が金融機関や財団からお金を借りるのは普通です。

子供たちは、そんな高額のお金を借りてまで、なぜ大学で勉強しようとするのか?

それは、大学でないと手に入らない優れた知識・ウデ・ワザ・人脈を手に入れられるからです。
何故そう思うか。
それは、小中学校のホームルームのような授業で自覚した自分の将来イメージを実現するには、それが必要だと確信・覚悟しているからです。

当地の子供たちのなかのマジに大学進学を考える子たちは、高校に入る時点でこのことがわかっているのです。
なんとしてでもそれなりのレベルの大学に入って勉強したいと。

では、この子たちは、そのために高校時代に何をするでしょう。
それは、大学での勉強の準備です。

当地の大学には入試がありません。
学力の評価はありますが、SAT などの試験で高卒と認められる点数があれば問題にはされません。
日本のようにテストや学校の成績は志願者選抜の評価には使われてないんです。
というか、それなりのレベルの大学になると、その手の成績は皆ほぼ満点なので評価に使えないんです。

では何で選抜するのか?

それは自己主張です。
日本の推薦の願書には自己主張があるでしょう。
でもそれ、美辞麗句を並べ、意欲満々を示す『がんばりまぁ~す』に毛の生えたような青年の主張じゃありませんか?

当地でそんなのを提出したら間違いなく門前払いを食らうだけです。
当地で大事なのは『実績』に裏付けられた『私は専攻したい分野の勉強の準備ができている』という主張です。
ともかく『実績』が不可欠です。

例を示しましょう。
東日本大震災の時、全米各地では義援金集めの活動が繰り広げられました。
あれです。

あれはただの赤い羽根募金とは大違いです。
その多くは、ビジネスやジャーナリズムなどの世界を志望する子供たちが、自分の専攻したい分野の活動をイメージし、企業に働きかけたり、報道機関に働きかけて、出来るだけ多くの義援金を集める方策を考えて企画し、それを実行したものです。
彼らは、そこで自分が提案したことや担った役割とその成果を実績としてまとめて就職や進学での自己主張に使ったんです。

理系の家の子供たちの場合は、大企業や財団が主催する懸賞論文に応募してました。
日ごろから温めてきた疑問に対して仮説を立てて疑問を解き、その過程を論文にまとめて応募します。
夏休みの自由研究とは違い、年の単位の時間をかけてやるものです。
論文はプロの国際学会レベルの体裁にまとめなければならず、その審査もそのレベルのプロがします。
なので、論文は受理されたというだけで高い評価を受け、その後どこまで審査してもらえたかで評価はどんどん上がります。
マジな評価を受けるので、研究をするにも論文を書くにも専門家の助言は不可欠です。
ウチの子供たちは、自分の企画を近くの大学に持ち込み、そこで専門家を紹介してもらって助言をもらってました、
そんな専門家も、指導した子供がいい評価を受けると自慢できるため、マジで助けてくれます。

ウチの子供たちは、幸いにも良いところまで評価が進んだので、それが評価されていそれなりにいい大学に入れました。

小中学校時代と高校時代のことをお話ししましたが、大学における勉強のことにも触れておきます。

当地では大学で勉強するのにお金がかかると言いました。
これは『当地の学生はよく勉強する』ということにつながっています。

大学に進学する目的はすでに説明しました。
高額のお金をかけているので、大学で期待した『チエ・ウデ・ワザ・人脈』を手に入れないと、借りたお金を返せなくなります。
なので、ひたすら勉強し、『チエ・ウデ・ワザ・人脈』の獲得を目指します。

その点で特筆すべきはふたつです。

 ・バイトや遊びで時間を無駄にしない
 ・『チエ・ウデ・ワザ・人脈』を磨き、その良さを証明する実績を出す

当地の子は、バイトで小金を稼ぐのに大事な勉強の時間を失いたくはないと言います。
そんな金は借りればいいと。
サークル、飲み会、旅行は儲ける事が出来る様になってからすればいいと。

それから、勉強で覚えてもそれはすぐに使えないことを知っています。
なので、インターンシップでそれを使えるようにします。
授業の合間を縫って、近隣の企業や大学の研究室でそれをやらせてもらいます。
日本の『体験学習』なんて言うインターンシップもどきのお遊びとは違います。
結果として、日本の学生は就職しても研修を受けないと使い物にならないのに対し、当地の子供は即戦力です。

まとめますが、日本の教育は、子供が考え、自発的に何かが出来る様になる仕組みじゃなく、子供はタダぼーっと座っていて、教師や親が与えるのを受け取るのを教育って言ってません?

これじゃぁ、子供は勉強なんてしませんし、身になんてつきませんよ。
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何のために勉強するのか、その理由や目的は教えていません。

また、教えていたとしても、その理由や目的は先生によってバラバラです。
また、教育基本法第一条には「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」とありますから、教育が一人一人の子どもの「(自分の)将来に役立つ」と説明してしまうのは、少々、曲解であるように思います。むしろ「将来『、社会の役』に立つ『人材になるため』」と教えてやるべきなのかもしれません。
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普通、学校で、勉強は何のためにするのか、教えますか?


  ↑
教えますよ。



もっと将来に役立ついうことをちゃんと教わっていれば、
生徒はもっと勉強すると思うのです。
  ↑
いや、それでも勉強しない生徒は
勉強しません。

遠い将来のことだと、目先の利益や
快感を優先させてしまうことが
教育経済学の調査や実験で
明らかになっています。
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当然教えますよ。

でもそれは世間一般での価値観での話となるため個人には全く響かないんですよ。学校教育というものは基本的に一般的な既製品に仕上げるためのシステムでしかなく多少の進路によっての文系理系等は存在するもそれだけなんですよね。

だから本人が自ら納得して理解する環境を作るのが大事なのですが今の教師にはそれは出来なさそうですからね。

聞こえの良い話をしても本人が信じられなければ無意味なのです。だから信頼関係や上下関係はそこそこ必要なんですが今の環境はそういうのを見過ごしているため根本なら話が通じない子供が出来上がっているんだろうと感じますね。
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