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「第二次世界大戦末期には米ソ英が戦後をにらんだ調整を行うようになって中国の影響力は低下した」とあったのですが、これはどういうことでしょうか。

A 回答 (3件)

欧州戦争と日中戦争は別個に行われていたが、中国に米国が最初は民間人が支援していたが、太平洋戦争が勃発すると、英米vs日独伊の第二次世界大戦という構図が明確になった。



そこで、米英は日本を牽制して米英に戦力を集中させないために対中支援を本格化させた。中国国民党軍を率いる蒋介石の強い要求に応じて軍需物資の莫大な無償援助を開始したわけだ。

ソ連が米英側に付いてドイツが敗北し、日本の敗戦も明らかになったものの、なかなか中国軍では日本軍を駆逐できないことから、米英はソ連に対日参戦を要求し、ソ連もそれに応じた。
それが米英ソ三国のヤルタ会談だ。ここで戦後の国境問題も話し合われたが、この会談では中国は呼ばれなかった。

そのことを言っているのでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!

お礼日時:2023/08/06 17:32

その頃にはまだ中国という国はなかったと思います

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「米ソ英」が念頭に置いていたのは主にヨーロッパでしょうから。


それ以前も、中国はそれほど影響力はなかったでしょう。
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