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関東大震災を知ったのは5、6歳ころでした。物置に関東大震災で焼けた地域を赤で示した東京地図があり怖くてびっくりしました。震災後30年でした。祖父は当日東京にいて、沼津まで徒歩で、そこから汽車で関西まで帰ったと言っていました。母親から聞いた話で直接話は全然しませんでした。
すっかり東京で地震に遭遇することが怖くなってしまいました。勤務地は東京を避けるように希望していましたが終着は東京勤務になり30年ほど住んでいます。東日本大震災では震度5強のひどい揺れに動けませんでした。冷蔵庫は動きましたが一か所柱に紐で固定していたので倒れませんでした。外壁はひびが沢山入り、2階の棟瓦が落ちました。やっぱり東京は地震が多い。郷里は一度も震度5以上の大地震に見舞われていません。生まれる前に東南海地震があったと聞いています。

A 回答 (4件)

百年前ですから実体験はありません。


それよりもこちら(静岡県西部)は東南海地震のほうが
みんな印象に残っているようです。
母が言うには「目の前で次々に家が倒れていった」らしいです。
が、戦時下ということもあって被害の全容は知らなかったようです。
「空襲ほど怖くはなかった」とも言っていました。

地震対策は、今住んでいる家はもう古いですから
対策のしようがありませんので
別に家を建てて、そっちに対策をしてあります。
丘の上ですから地滑りや津波の心配はありませんし
殆どが地下室ですから倒壊の心配もありません。
普段は地上部分で暮らして、何かあれば地下に避難します。
川と池がありますので水の心配もありません。
太陽光発電の設備もありますのでしばらくは暮らせます。
ただ、そっちは狭いので暮らしにくく、猫がいることもあって
けっきょく古い家の方で暮らしていますので
その対策が役に立つかどうか?は不明です笑。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
東南海地震では静岡県も大揺れだったんですね。震源に近い三重ですが子供時東南海地震の話は聞きましたが家が倒れたという話は聞かなかったです。
避難用の別宅があるのは凄いですね。

お礼日時:2023/09/01 12:15

古今亭志ん生が体験を語ってました


揺れが酷いので酒をがぶ飲みして誤摩化したそうです(笑)
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
酒なんか飲めないでしょう。震度7ですから。洒落でしょうが。

お礼日時:2023/09/01 09:29

関東大震災ではありませんが、阪神大震災を経て、現在は当たり前となっている「下げ止め式のシングル湯水混合水栓」が普及していきました。



それまでは、水道を使おうとするときは、
水の蛇口栓を何回転もさせて水を出したり、お湯を使いたいときは、お湯の蛇口栓をひねると同時に水の蛇口栓もひねり、これら二つの絶妙な開度によって湯温を調節していました。
(ちなみに私の祖母の家はこのタイプです。)

その後、1本のレバーで冷水、温水を切り替えることができるようになっても、当初はレバーを上げて、止水するという上げ止め式が一般的でした。
(ちなみに私の実家はこのタイプです。)

しかし、阪神大震災の際に、上げ止め式、つまりレバーを下げたときに水が流れるタイプでは、倒れた家具や倒壊した家財などによって、レバーが押し倒され水がずっと流れっぱなしになるという事態が見受けられました。
一方で、下げ止め式の場合は、非常災害時にも基本的には止水が促されるような安全な構造であるため、大震災という経験の後には、下げ止め式が一般的に普及されるようになりました。
さらに2000年3月時点で、上げ止め式の水栓は廃止されたようです。


地震は、もちろん起きてほしくないことです。
しかし、災害から学べることもたくさんあると思います。

先日も、処理水放水が行われ、そこから中国での日本の水産物輸入停止のニュースが連日報道されています。
もとを辿れば東日本大震災がきっかけとなっているわけですが(原発問題が天災か人災かについては今回は触れません)、地震発生時にまさかこんなことになるなんて想定出来ていた人はいなかったと思いますし、ましてや2011年3月10日に、こうなることを予想出来ていた人はいないと思います。
ある意味では、この経験は我々の学びになったのではないでしょうか。

起きてしまったことは仕方ないことですし、はっきり言って世界の科学技術をもってしても天災を防げることはありません。
今後も絶対にいつかは大震災は起こるでしょう。
そうなった時に被害を最小に抑えるための準備、また、そこから何を学び次に活かすか、ということを考えていくことが大切なことなのだと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。阪神淡路大震災は水道のレバーを変えました。
阪神淡路大震災の6年前まで大阪に居ました。家でも買おうかといろいろ調べていて神戸は危険だと証拠が出て来たので職場の人達に神戸に大地震が起こると言っていました。本当に起きたので皆びっくりしていました。
新聞では予想できなかったと書いてありますが群発地震という予兆があり歴史的な地震サイクルぴったりだった。あぶないと言っていた地震学者もいた記憶があります。新聞はいい加減ですね。記者は素人ですからね。

お礼日時:2023/09/01 09:28

私の出た大学のキャンパスは横浜の弘明寺にありました。


在学中に現在の常盤台に移転したんですが、古い校舎を撤去しようと建築学科の先生が色々検討しましたが、頑丈過ぎて破壊しようが無いという結論に達しました。
当時は構造計算が未成熟な時代でしたから、関東大震災で校舎が全壊になった反省から、建て直すのに鉄筋をたくさん入れたコンクリートの柱を林立させた結果です。
今でも、附属中学校の校舎として使われています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。関東大震災は神奈川県も大被害を出しているのに話が残っていませんね。高台にいた人が「田んぼに波のうねりのように揺れた」と証言したとか。新しいマグニチュード試算では8前後だとこの間見ました。

最近のビルより安全ですね。就職先に明治時代のレンガ棟がありました。現在も資料館として使われています。幕府が反射炉を作ろうとした場所で元々地盤が良く基礎は深さ2mまでレンガがびっしり敷かれているとか。明治のレンガ建物は頑丈に作られていたんですね。

お礼日時:2023/09/01 09:18

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