一回も披露したことのない豆知識

こんな事は、とっくに改められなければ成らなかった事ですよね?そもそも、1954年の内閣告示が間違っていたと言う事ですよね?
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https://www.yomiuri.co.jp/culture/20230911-OYT1T …
新宿は「Shinjuku」か「Sinzyuku」か…文化庁がローマ字表記を実態調査
2023/09/11 18:56

 複数の表記法が混在するローマ字表記の現状を把握するため、文化庁は今秋にも、国内外のローマ字のつづり方に関する実態調査を始める。11日の文化庁の有識者会議で、実態調査の素案が審議された。

 ローマ字表記には、50音の仕組みに沿った「訓令式」(「新宿」の表記例 Sinzyuku )と英語の発音に近い「ヘボン式」(同 Shinjuku )がある。1954年の内閣告示では訓令式が基本とされたが、地名や人名などでヘボン式も広く利用されている。

質問者からの補足コメント

  • へこむわー

    いわゆる「想定外」ですね。想定外とは「私は馬鹿でした」と同義語です。

    それは福島第一原発事故で、東電が想定外を多用した事で証明されました。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2023/09/12 12:41
  • 戦争中は英語は敵性語だと言うて、使用する事も学ぶ事も禁じてましたからね。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2023/09/12 13:09
  • プンプン

    ヘボン式と訓令式の対立は今に始まった事ではないです。

    日本政府の公的なローマ字表記が、当時も圧倒的に優勢だったヘボン式ではなく、日本式をベースとした理由について、柿木重宜はヘボン式の中心的人物であった藤岡勝二が1935年に没したことと関係するのではないかとしている。

    つまり個人的な怨恨によって、日本語表記が決められたわけです。学者の内部争いです。俺はあいつが嫌いだからヘボン式も嫌いだというわけです。恥を晒すのもいい加減にしてもらいたい。最低の人間のやる事です。
    _______________
    ヘボン式ローマ字(ヘボンしきローマじ、英: Hepburn romanization)は、日本語表記をラテン文字表記に転写する際の規則、いわゆるローマ字の複数ある表記法のうち、日本国内および国外で最も広く利用されている方式である。

      補足日時:2023/09/12 16:04
  • プンプン

    最初からヘボン式を採用していれば、このような混乱は起きませんでした。

    No.7の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2023/09/12 16:06
  • ヘボン式を支持する団体
    連合国軍最高司令部、ローマ字ひろめ会、英語教育会、

    訓令式を支持する団体
    帝国陸海軍、日本ローマ字会、植民地南海庁、朝鮮総督府、文部省、

    結論として言える事は、軍国主義者が訓令式を支持し、自由主義者がヘボン式を支持しているという事ですね。

    No.12の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2023/09/13 12:00
  • プンプン

    1937年に、「訓令式」を発した日本政府には、当時も圧倒的に優勢だったヘボン式を採用しなかった理由を説明する、「説明責任」が有ります。説明責任を果たしていない事が問題なのです。
    ______________
    (wikipedia)
    ヘボン式ローマ字(ヘボンしきローマじ、英: Hepburn romanization)

    1937年の内閣訓令第3号によって日本式をベースに改変を加えたローマ字表記法が制定され[16]、後に訓令式と呼ばれる方式が確立した[17]。これにならい、1938年に鉄道省はローマ字表記を訓令式に改めている。日本政府の公的なローマ字表記が、当時も圧倒的に優勢だったヘボン式ではなく、日本式をベースとした理由について、柿木重宜はヘボン式の中心的人物であった藤岡勝二が1935年に没したことと関係するのではないかとしている[18]。

    No.14の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2023/09/14 13:07

A 回答 (14件中1~10件)

参考:ローマ字施策等に関する主な年表



明治38(1905)年12月7日  ローマ字専用論者の大同団結のため,「ローマ字ひろめ会」結成。
明治39(1906)年11月1日  「ローマ字ひろめ会」が小学校教育にローマ字を課するように文部大臣に建議。
明治40(1907)年1月23日  衆議院本会議で「ローマ字ヲ日本ニ於ル一般小学校生徒ニ課スル建議案」可決。
明治40(1907)年6月6日  「ローマ字ひろめ会」,小学校にローマ字を課することを文部大臣に建議。
明治41(1908)年5月16日  「ローマ字ひろめ会」,修正ヘボン式の採用決定。
明治42(1909)年3月9日  「ローマ字普及ニ関スル建議案」,衆議院通過。

大正2(1913)年7月    中央気象台,地名の表記に日本式ローマ字採用。
大正3(1914)年9月14日  日本式ローマ字の実行団体として,「東京ローマ字会」(日本ローマ字会の前身)結成。
大正3(1914)年10月    田丸卓郎著『ローマ字国字論』(日本式ローマ字専用論の立場からの主張)刊行。
大正6(1917)年9月    陸軍陸地測量部,地図のローマ字書きに日本式ローマ字採用。
大正9(1920)年11月11日  大審院,ローマ字投票有効の判決。
大正10(1921)年1月    日本式ローマ字の実行団体として「日本ローマ字会」結成。
大正11(1922)年7月8日  海軍水路部,海図のローマ字書きに日本式ローマ字を採用。
大正13(1924)年4月25日  内務省,衆議院議員選挙にローマ字投票の有効を告示。
大正13(1924)年4月30日  全国教育者大会,小学校の課程にローマ字を入れることを文部大臣に建議。
大正15(1926)年12月5日  「ローマ字ひろめ会」が鉄道の駅名のローマ字つづり方について,鉄道大臣に建白書(ヘボン式を改めないように要望)提出。
大正15(1926)年12月18日 日本式ローマ字論の有志が鉄道の駅名のローマ字つづり方について,鉄道大臣に建議書(日本式に改めるように要望)提出。

昭和2(1927)年2月24日  ヘボン式ローマ字論の有志が鉄道の駅名のローマ字つづり方について,鉄道大臣に建議書(ヘボン式を改めないように要望)提出。
昭和2(1927)年2月24日  ヘボン式ローマ字論の有志がローマ字綴方調査会設置の必要を総理大臣と文部大臣に建議。
昭和2(1927)年2月24日  「ローマ字ヲ小学校教科目中ニ加フル事ニ関スル法律案」が衆議院の委員会通過。本会議で審議未了。
昭和2(1927)年4月7日   鉄道省,駅名の発音式左横書き仮名遣いの採用を決定。
昭和2(1927)年5月4日   鉄道大臣,駅名の左横書き作業の中止を命令。
昭和2(1927)年7月2日   鉄道省,鉄道駅名のローマ字にヘボン式採用確認を通達。
昭和3(1928)年6月7日   海軍省,日本式ローマ字を採用。
昭和4(1929)年9月4日   陸軍省,日本式ローマ字を採用。
昭和4(1929)年12月3日  日本ローマ字会,「駅名ノローマ字綴リ方ニ関スル建議」(駅名のローマ字を日本式に改めるように要望)を鉄道大臣に提出。
昭和5(1930)年11月25日  臨時ローマ字調査会官制公布。
昭和5(1930)年11月26日  臨時ローマ字調査会会長に文部大臣・田中隆三,委員に内閣書記官長・鈴木富士彌以下34名を任命。
昭和11(1936)年3月3日  南洋庁,日本式ローマ字を採用。
昭和11(1936)年6月26日  臨時ローマ字調査会,「ローマ字綴方表」(ヘボン式よりも日本式に近いもの)を議決し,文部大臣に答申。
昭和11(1936)年6月30日  臨時ローマ字調査会廃止。
昭和11(1936)年7月14日  「ローマ字ひろめ会」が,臨時ローマ字調査会の答申に反対を宣言。
昭和11(1936)年8月23日  「日本ローマ字会」が,臨時ローマ字調査会の答申に賛成を宣言。
昭和11(1936)年10月18日 東京府英語教育会が,臨時ローマ字調査会の答申に反対の決議。
昭和12(1937)年3月12日  田中館愛橘等提出の「ローマ字ヲ国字トスル請願」,衆議院から政府に回付。
昭和12(1937)年9月21日  「国語ノローマ字綴方ニ関スル件」内閣訓令3号で公布。
昭和12(1937)年11月2日  朝鮮総督府鉄道局,駅名標に訓令式ローマ字採用。
昭和12(1937)年11月15日 「ローマ字ひろめ会」が訓令式ローマ字に反対し,総理大臣に改定を進言。
昭和13(1938)年1月31日  文部省,旅券のローマ字つづりを原則として訓令式によるべきことを関係各方面に通達。
昭和13(1938)年2月    「日本ローマ字会」,ローマ字のつづり方を訓令式に統一。
昭和13(1938)年2月25日  「日本ローマ字会」,小学校の正課に訓令式ローマ字を入れることを衆議院に請願。
昭和13(1938)年3月8日  鉄道省,ローマ字のつづり方を訓令式に統一。
昭和13(1938)年11月15日 文部省図書局長,英語科の教授に訓令式ローマ字を用いるように関係方面に通達。
昭和15(1940)年3月8日  「日本ローマ字会」の請願「国民学校ニ国定ローマ字ヲ課スル件」が衆議院で採択された。
昭和17(1942)年4月    文部省,英語科教科書のローマ字のつづり方を訓令式に統一。

昭和20(1945)年9月3日  連合国軍最高司令部が,駅・主要道路の名称を英語で表示する際にヘボン式ローマ字つづりを用いることを指令。
昭和29(1954)年12月9日  内閣訓令第1号・内閣告示第1号「ローマ字のつづり方」を告示。昭和12年内閣訓令3号を廃止。

平成12(2000)年12月8日  国語審議会答申「国際社会に対応する日本語の在り方」で,姓名のローマ字表記を「姓-名」の順とするよう提案。
平成12(2000)年12月26日 公用文等における日本人の姓名のローマ字表記を原則として「姓-名」の順とするよう、文科省から関係各機関へ依頼。

令和元(2019)年10月25日 公用文等における日本人の姓名のローマ字表記を差し支えない限り「姓-名」の順とする旨、関係府省庁申合せ。
令和5(2023)年3月    「公益社団法人 日本ローマ字会」が解散。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

1926年 ローマ字ひろめ会が、ヘボン式を改めないように要望。
1926年 日本式ローマ字論の有志が、日本式ローマ字に改めるように要望。
1927年 ヘボン式ローマ字論の有志が、ヘボン式を改めないように要望。
1927年 鉄道省,鉄道駅名のローマ字にヘボン式採用確認を通達。
1928年 海軍省,日本式ローマ字を採用。
1929年 陸軍省,日本式ローマ字を採用。
1929年 日本ローマ字会,駅名のローマ字を日本式に改めるように要望。
1936年 南洋庁,日本式ローマ字を採用。
1936年 ローマ字調査会,ヘボン式よりも日本式に近いものを議決。
1936年 ローマ字ひろめ会が,臨時ローマ字調査会の答申に反対を宣言。
1936年 日本ローマ字会が,臨時ローマ字調査会の答申に賛成を宣言。
1936年 東京府英語教育会が,臨時ローマ字調査会の答申に反対の決議。
1937年 朝鮮総督府鉄道局,駅名標に訓令式ローマ字採用。
1937年 ローマ字ひろめ会、訓令式ローマ字に反対。
1938年 文部省,旅券のローマ字つづりを原則として訓令式に通達。
1938年 日本ローマ字会,ローマ字のつづり方を訓令式に統一。
1938年 日本ローマ字会,小学校の正課に訓令式ローマ字を請願。
1938年 鉄道省,ローマ字のつづり方を訓令式に統一。
1938年 文部省図書局長,英語科の教授に訓令式ローマ字を通達。
1940年 日本ローマ字会の請願「国定ローマ字」が衆議院で採択。
1942年 文部省,英語科教科書のローマ字のつづり方を訓令式に統一。
1945年 連合国軍最高司令部,ヘボン式ローマ字を用いることを指令。

ヘボン式を支持する団体
連合国軍最高司令部、ローマ字ひろめ会、英語教育会、

訓令式を支持する団体
帝国陸海軍、日本ローマ字会、植民地南海庁、朝鮮総督府、文部省、

結論として言える事は、軍国主義者が訓令式を支持し、自由主義者がヘボン式を支持しているという事ですね。

お礼日時:2023/09/13 11:59

> 今頃に成って、日本語の表記法を審議するなんて、文化庁は馬鹿ですか?


> こんな事は、とっくに改められなければ成らなかった事ですよね?
> そもそも、1954年の内閣告示が間違っていたと言う事ですよね?
> 最初からヘボン式を採用していれば、このような混乱は起きませんでした。
> 結論として言える事は、軍国主義者が訓令式を支持し、自由主義者がヘボン式を支持しているという事ですね。

なにを考えているのかがわかりません。
日本国内でのローマ字表記方法を、内閣からの指示で統一させたいだけですか。 そうであれば、どのような表記法で統一指示をだそうが、構わないでしょう。
実態としては、内閣だろうが、何だろうが、表記法の指示を出したところで、強制的に表示を統一出来るのは、法令や官公庁、自治体、準公的機関の作成文書や掲示物だけです。 マスコミのある程度は準じるでしょうが、作家や個人意見の表明者の文書における表記統一などは無理です。
言語や表記、表音、言葉使いを強制しようなどは、時代錯誤と言わざるを得ないです。
 
コーパス的な視点、あるいは行政上の検討のために、言葉や表記の現状を調べようとすることは、そのときどきの社会事情によるものであって、日本での日本語使用者数に対しての、日本での日本語使用者ではない者の数が急激に変化する状況、さらに、日本での日本語使用者ではない者への配慮を重視すべき社会経済状態にあること、これらからすれば、審議会のようなところで、現状調査をするという動きは、ごく当然のことです。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

1937年に、「訓令式」を発した日本政府には、当時も圧倒的に優勢だったヘボン式を採用しなかった理由を説明する、「説明責任」が有ります。説明責任を果たしていない事が問題なのです。

その理由、説明が、「ヘボン式の中心的人物であった藤岡勝二が1935年に没した」では、お話に成りません。
______________
(wikipedia)
ヘボン式ローマ字(ヘボンしきローマじ、英: Hepburn romanization)

1937年の内閣訓令第3号によって日本式をベースに改変を加えたローマ字表記法が制定され[16]、後に訓令式と呼ばれる方式が確立した[17]。これにならい、1938年に鉄道省はローマ字表記を訓令式に改めている。日本政府の公的なローマ字表記が、当時も圧倒的に優勢だったヘボン式ではなく、日本式をベースとした理由について、柿木重宜はヘボン式の中心的人物であった藤岡勝二が1935年に没したことと関係するのではないかとしている[18]。

お礼日時:2023/09/14 13:05

文化庁に限らず政府全体がクソバカです

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参考



●昭和12年9月21日 内閣訓令第3号「國語ノローマ字綴方ニ關スル件」

                         各官廰

國語ノローマ字綴方ハ從來區々ニシテ、其ノ統一ヲ缺キ使用上不便尠カラズ、之ヲ統一スルコトハ敎育上、學術上將又國際關係其ノ他ヨリ見テ、極メテ必要ナルコトト信ズ。仍テ自今左ノ通ローマ字綴方ヲ統一セントス。各官廰ニ於テハ漸次之ガ實行ヲ期スベシ。
  昭和十二年九月二十一日
                   内閣總理大臣 公爵 近衛 文麿

一、國語ノローマ字綴方ハ左表ニ依ル
   ローマ字綴表
  a   i   u   e   o
  ka  ki  ku  ke  ko   kya  kyu  kyo
  sa  si  su  se  so   sya  syu  syo
  ta  ti  tu  te  to   tya  tyu  tyo
  na  ni  nu  ne  no   nya  nyu  nyo
  ha  hi  hu  he  ho   hya  hyu  hyo
  ma  mi  mu  me  mo   mya  myu  myo
  ya  i   yu  e   yo
  ra  ri  ru  re  ro   rya  ryu  ryo
  wa  i   u   e   o
  ga  gi  gu  ge  go   gya  gyu  gyo
  za  zi  zu  ze  zo   zya  zyu  zyo
  da  zi  zu  de  do   zya  zyu  zyo
  ba  bi  bu  be  bo   bya  byu  byo
  pa  pi  pu  pe  po   pya  pyu  pyo

二、前號ニ定ムルモノノ外ニ付テハ槪ネ左ノ例ニ依ル
 一 長音ノ符號ヲ附スル場合ニハ okāsama,Ōsaka ノ如く「¯」ヲ用フルコト
 二 撥音ハ總ベテnヲ以テ表ハスコト
 三 撥音nト其ノ次ニ來ル母音(yヲ含ム)トヲ切離ス必要アルトキハ hin-i,kin-yōbi,Sin-ōkubo ノ如ク「-」ヲ用フルコト
 四 促音ハ gakkō,happyō,tossa,Sapporo ノ如く子音ヲ重ネテ之ヲ表ハスコト
 五 文書ノ書始及固有名詞ハ Wagakuni no ……,Sizuoka,Masasige ノ如ク語頭ヲ大文字トスルコト尚固有名詞以外ノ語頭ヲ大文字トスルモ差支ナシ
 六 特殊音ノ表記ハ自由トス

-----------------

●昭和29年12月9日 内閣告示第1号「ローマ字のつづり方」

 国語を書き表わす場合に用いるローマ字のつづり方を次のように定める。
   昭和二十九年十二月九日
                      内閣総理大臣 吉田 茂
ローマ字のつづり方

前書き
1. 一般に国語を書き表わす場合は、第1表に掲げたつづり方によるものとする。
2. 国際的関係その他従来の慣例をにわかに改めがたい事情にある場合に限り、第2表に掲げたつづり方によつてもさしつかえない。
3. 前二項のいずれの場合においても、おおむねそえがきを適用する。

第1表  〔( )は重出を示す〕       
  a   i   u   e   o
  ka  ki  ku  ke  ko   kya  kyu  kyo
  sa  si  su  se  so   sya  syu  syo
  ta  ti  tu  te  to   tya  tyu  tyo
  na  ni  nu  ne  no   nya  nyu  nyo
  ha  hi  hu  he  ho   hya  hyu  hyo
  ma  mi  mu  me  mo   mya  myu  myo
  ya  (i)  yu  (e)  yo
  ra  ri  ru  re  ro   rya  ryu  ryo
  wa  (i)  (u)  (e)  (o)
  ga  gi  gu  ge  go   gya  gyu  gyo
  za  zi  zu  ze  zo   zya  zyu  zyo
  da  (zi) (zu)  de  do   (zya) (zyu) (zyo)
  ba  bi  bu  be  bo   bya  byu  byo
  pa  pi  pu  pe  po   pya  pyu  pyo

第2表     
(ヘボン式に相当)
  sha  shi  shu  sho
      tsu
  cha  chi  chu  cho
         fu
  ja   ji   ju   jo

(日本式に相当)     
      di   du
  dya  dyu  dyo
  kwa
  gwa
             wo

そえがき
 前表に定めたもののほか、おおむね次の各項による。

1. はねる音「ン」はすべてnと書く。
2. はねる音を表わすnと次にくる母音字またはyとを切り離す必要がある場合には、nの次にアポストロフィを入れる。
3. つまる音は、最初の子音字を重ねて表わす。
4. 長音は母音字の上にアクサンシルコンフレックスをつけて表わす。なお、大文字の場合は、母音字を並べてもよい。
5. 特殊音の書き表わし方は自由とする
6. 文の書きはじめ、および固有名詞は語頭を大文字で書く。なお、固有名詞以外の名詞の語頭を大文字で書いてもよい。


●昭和29年12月9日 内閣訓令第1号「ローマ字のつづり方の実施について」  
                             各官庁
 国語を書き表わす場合に用いるローマ字のつづり方については、昭和十二年九月二十一日内閣訓令第三号をもつてその統一を図り、漸次これが実行を期したのであるが、その後、再びいくつかの方式が並び行われるようになり、官庁等の事務処理、一般社会生活、また教育・学術のうえにおいて、多くの不便があつた。これを統一し、単一化することは、事務能率を高め、教育の効果をあげ、学術の進歩を図るうえに資するところが少なくないと信ずる。
 よつて政府は、今回国語審議会の建議の趣旨を採択して、よりどころとすべきローマ字のつづり方を、本日、内閣告示第一号をもつて告示した。今後、各官庁において、ローマ字で国語を書き表わす場合には、このつづり方によるとともに、広く各方面に、この使用を勧めて、その制定の趣旨が徹底するように努めることを希望する。
 なお、昭和十二年九月二十一日内閣訓令第三号は、廃止する。
   昭和二十九年十二月九日
                      内閣総理大臣 吉田 茂
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この回答へのお礼

1926年 ローマ字ひろめ会が、ヘボン式を改めないように要望。
1926年 日本式ローマ字論の有志が、日本式ローマ字に改めるように要望。
1927年 ヘボン式ローマ字論の有志が、ヘボン式を改めないように要望。
1927年 鉄道省,鉄道駅名のローマ字にヘボン式採用確認を通達。
1928年 海軍省,日本式ローマ字を採用。
1929年 陸軍省,日本式ローマ字を採用。
1929年 日本ローマ字会,駅名のローマ字を日本式に改めるように要望。
1936年 南洋庁,日本式ローマ字を採用。
1936年 ローマ字調査会,ヘボン式よりも日本式に近いものを議決。
1936年 ローマ字ひろめ会が,臨時ローマ字調査会の答申に反対を宣言。
1936年 日本ローマ字会が,臨時ローマ字調査会の答申に賛成を宣言。
1936年 東京府英語教育会が,臨時ローマ字調査会の答申に反対の決議。
1937年 朝鮮総督府鉄道局,駅名標に訓令式ローマ字採用。
1937年 ローマ字ひろめ会、訓令式ローマ字に反対。
1938年 文部省,旅券のローマ字つづりを原則として訓令式に通達。
1938年 日本ローマ字会,ローマ字のつづり方を訓令式に統一。
1938年 日本ローマ字会,小学校の正課に訓令式ローマ字を請願。
1938年 鉄道省,ローマ字のつづり方を訓令式に統一。
1938年 文部省図書局長,英語科の教授に訓令式ローマ字を通達。
1940年 日本ローマ字会の請願「国定ローマ字」が衆議院で採択。
1942年 文部省,英語科教科書のローマ字のつづり方を訓令式に統一。
1945年 連合国軍最高司令部,ヘボン式ローマ字を用いることを指令。

ヘボン式を支持する団体
連合国軍最高司令部、ローマ字ひろめ会、英語教育会、

訓令式を支持する団体
帝国陸海軍、日本ローマ字会、植民地南海庁、朝鮮総督府、文部省、

結論として言える事は、軍国主義者が訓令式を支持し、自由主義者がヘボン式を支持しているという事ですね。

お礼日時:2023/09/13 11:59

修正ヘボン式(以下ヘボン式)と日本式の対立は明治以来のことですが、当時はそれぞれの立場での主義主張があって、どちらかが正しい・間違いと決められないからこそ対立していたわけでしょう。


戦後~現在の状況は英語の発音に基づくヘボン式が優勢ではありますが、そのことをもって、最初から(明治~大正~昭和戦前に)ヘボン式を採用していれば…と言っても仕方がない。

大正時代から昭和初期には、公式表記に多く日本式が採用されています。
昭和12年内閣訓令第3号「國語ノローマ字綴方」以降の公式表記は、ほとんど訓令式になっていたのではないでしょうか。(鉄道は別だったような)

昭和29年(1954年)内閣告示第1号「ローマ字のつづり方」は、第1表の50音表記は昭和12年内閣訓令3号の旧・訓令式とほぼ同じですが、第2表で「国際的関係その他従来の慣例をにわかに改めがたい事情にある場合に限り」として「ヘボン式」と「日本式」を認めています。
その「にわかに改めがたい事情」がずっと続いているということでしょう。

第2表のヘボン式
  しゃ(sha)、し(shi)、しゅ(shu)、しょ(sho)
  つ(tsu)
  ちゃ(cha)、ち(chi)、ちゅ(chu)、ちょ(cho)
  ふ(fu)
  じゃ(ja)、じ(ji)、じゅ(ju)、じょ(jo)

第2表の日本式
  ぢ(di)、づ(du)
  ぢゃ(dya)、ぢゅ(dyu)、ぢょ(dyo)
  くゎ(kwa)
  ぐゎ(gwa)
  を(wo)

昭和29年の内閣告示が「ヘボン式」にしなかったことが間違いとは思えません。戦前に「日本式」と公式の「訓令式」が定着していた事情から、にわかに「ヘボン式」に改めがたかったかと思います。

個人的な怨恨云々はよくわかりません。公式記録に残っていなければ、たんの他の学者の個人的見解のひとつとも言えます。少なくとも一貫してヘボン式を主張していた藤岡勝二は、日本式を主張する田中館愛橘と団結して「ローマ字ひろめ会」を設立しています。「ローマ字ひろめ会」はヘボン式・日本式のどちらだったのでしょう。少なくとも昭和12年の「訓令式」には反対を唱えていたようですが。

いずれにしても、昭和12年版と昭和29年版の相違点は「長音の表記」と「發音に母音が続く場合の表記」だけということになります。

長音の表記
・昭和12年内閣訓令第3号: ĀĪŪĒŌ āīūēō(オーバーライン付き)
・昭和29年内閣告示第1号: ÂÎÛÊÔ âîûêô(アクサンシルコンフレックス付き)

發音に母音が続く場合の表記
・昭和12年内閣訓令第3号: gen-in hon-ya(ハイフンで区切る)
・昭和29年内閣告示第1号: gen’in hon’ya(アポストロフィで区切る)

鉄道の駅名標はヘボン式です。JRは(旧国鉄も)長音をオーバーラインで表していますが、これはヘボン式の長音表記だと聞いたことがあります。
民鉄はオーバーラインもアクサンシルコンフレックスもないヘボン式が多いと思います。

道路案内標識はオーバーラインもアクサンシルコンフレックスもないヘボン式です。發音と母音の区切りはハイフンです。国土交通省(建設省時代から)のきまり。

外務省のパスポートは、外務省式のヘボン式ですね。外国人が日本国籍を取得したときに日本風の姓名に改めなくてもよくなったため「ヘボン式に依ららない表記」も認められています。日本人のオ列長音を「OH」とする特殊な表記も認められています。

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日本語の仮名のローマ字表記に関する国際規格(*)は、昭和29年内閣告示第1号相当(いわゆる訓令式)です。
ただし、厳密翻字を行う場合は、日本式で綴らなければならないことになっています。ヘボン式・訓令式では、zi ⇔ じ・ぢ、zu ⇔ ず・づ の翻字ができないので。

(*)ISO 3602:1989 -- Documentation -- Romanization of Japanese (kana script)

何でもヘボン式にすればすべて解決できるわけではありません。
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この回答へのお礼

1926年 ローマ字ひろめ会が、ヘボン式を改めないように要望。
1926年 日本式ローマ字論の有志が、日本式ローマ字に改めるように要望。
1927年 ヘボン式ローマ字論の有志が、ヘボン式を改めないように要望。
1927年 鉄道省,鉄道駅名のローマ字にヘボン式採用確認を通達。
1928年 海軍省,日本式ローマ字を採用。
1929年 陸軍省,日本式ローマ字を採用。
1929年 日本ローマ字会,駅名のローマ字を日本式に改めるように要望。
1936年 南洋庁,日本式ローマ字を採用。
1936年 ローマ字調査会,ヘボン式よりも日本式に近いものを議決。
1936年 ローマ字ひろめ会が,臨時ローマ字調査会の答申に反対を宣言。
1936年 日本ローマ字会が,臨時ローマ字調査会の答申に賛成を宣言。
1936年 東京府英語教育会が,臨時ローマ字調査会の答申に反対の決議。
1937年 朝鮮総督府鉄道局,駅名標に訓令式ローマ字採用。
1937年 ローマ字ひろめ会、訓令式ローマ字に反対。
1938年 文部省,旅券のローマ字つづりを原則として訓令式に通達。
1938年 日本ローマ字会,ローマ字のつづり方を訓令式に統一。
1938年 日本ローマ字会,小学校の正課に訓令式ローマ字を請願。
1938年 鉄道省,ローマ字のつづり方を訓令式に統一。
1938年 文部省図書局長,英語科の教授に訓令式ローマ字を通達。
1940年 日本ローマ字会の請願「国定ローマ字」が衆議院で採択。
1942年 文部省,英語科教科書のローマ字のつづり方を訓令式に統一。
1945年 連合国軍最高司令部,ヘボン式ローマ字を用いることを指令。

ヘボン式を支持する団体
連合国軍最高司令部、ローマ字ひろめ会、英語教育会、

訓令式を支持する団体
帝国陸海軍、日本ローマ字会、植民地南海庁、朝鮮総督府、文部省、

結論として言える事は、軍国主義者が訓令式を支持し、自由主義者がヘボン式を支持しているという事ですね。

お礼日時:2023/09/13 11:58

最近になって「文字」そのものの定義を変えた言語もあるのだ.



それに比べればまだましじゃね?
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この回答へのお礼

1926年 ローマ字ひろめ会が、ヘボン式を改めないように要望。
1926年 日本式ローマ字論の有志が、日本式ローマ字に改めるように要望。
1927年 ヘボン式ローマ字論の有志が、ヘボン式を改めないように要望。
1927年 鉄道省,鉄道駅名のローマ字にヘボン式採用確認を通達。
1928年 海軍省,日本式ローマ字を採用。
1929年 陸軍省,日本式ローマ字を採用。
1929年 日本ローマ字会,駅名のローマ字を日本式に改めるように要望。
1936年 南洋庁,日本式ローマ字を採用。
1936年 ローマ字調査会,ヘボン式よりも日本式に近いものを議決。
1936年 ローマ字ひろめ会が,臨時ローマ字調査会の答申に反対を宣言。
1936年 日本ローマ字会が,臨時ローマ字調査会の答申に賛成を宣言。
1936年 東京府英語教育会が,臨時ローマ字調査会の答申に反対の決議。
1937年 朝鮮総督府鉄道局,駅名標に訓令式ローマ字採用。
1937年 ローマ字ひろめ会、訓令式ローマ字に反対。
1938年 文部省,旅券のローマ字つづりを原則として訓令式に通達。
1938年 日本ローマ字会,ローマ字のつづり方を訓令式に統一。
1938年 日本ローマ字会,小学校の正課に訓令式ローマ字を請願。
1938年 鉄道省,ローマ字のつづり方を訓令式に統一。
1938年 文部省図書局長,英語科の教授に訓令式ローマ字を通達。
1940年 日本ローマ字会の請願「国定ローマ字」が衆議院で採択。
1942年 文部省,英語科教科書のローマ字のつづり方を訓令式に統一。
1945年 連合国軍最高司令部,ヘボン式ローマ字を用いることを指令。

ヘボン式を支持する団体
連合国軍最高司令部、ローマ字ひろめ会、英語教育会、

訓令式を支持する団体
帝国陸海軍、日本ローマ字会、植民地南海庁、朝鮮総督府、文部省、

結論として言える事は、軍国主義者が訓令式を支持し、自由主義者がヘボン式を支持しているという事ですね。

お礼日時:2023/09/13 11:58

> こんな事は、とっくに改められなければ成らなかった事ですよね?



個人的には、私はそのようには思いません。
日本 を 「にほん」と私は読むし、通常「にほんし、にほんれっとう、にほんぎんこう、にほんばし」のように発音します。 パソコンのローマ字入力でもそれで変換します。どのくらいに人数比かわかりませんが、滅茶苦茶少数派ではないと思ってます。
官公庁など多人数を使用する機関が看板を作成するときに、担当者任せにすると、交差点や案内の看板やパンフレットの読みのローマ字表記がバラバラになってしまうので、読む側の外人さんの便を考えて、統一しようとし、その前段階で現状調査をすることは、別に不思議でもないし、もっと前にすべきだと憤るようなことでもないでしょう。 インバウンド、外人の経済効果を期待する程度がますまる高まって、英語だけでなく、ローマ字、ハングル、中国現代表記をとり入れだしたのですから、まあまあのタイミングでしょう。

ところで、茨城ですが、ネット上だけでなく、あちこちで「ただしくは"いばらき"で清音」と書かれ、発表されていますが、あの地方の方の実際の発音は、「いばらき」といっているつもりなのかもしれませんが、よその土地の人には「いばらぎ」といっているように聞こえるのが実態です。少なくとも、方言というか、その土地の流儀?の発音がごく普通のときには、他所の人間には「いばらぎ」と聞こえ、「いばらき」と発音してしまうと、土地の人とは似てない言葉になっていたのは確かです。
恋、思慕、ほのかな思い(想い)などでも、表記を一致させる、統一させるなどはしないです。 固有名詞でも、人の場合に、愛称、あだ名、職名、社名、屋号、その他諸々を自在に使います。ロシア文学の人名の多彩さには困惑しか私は感じませんが、統一しろのような野暮は思いません。
私は名字をパスポートに使うヘボン式で、クレジットカードやその他にもローマ字表記することにしてますが、このヘボン式の名をみて、違和感を感じる日本人は多いです。そうであっても、日本全国ヘボン式にとか、訓令式にとかは思ったりしません。 適当でイイでしょう。
ローマ字表記のとき、"-"や" "、"・"の使い方でも、現状は、実に多様です。
言葉や書き文字なのだから、少々の差異はあれこれあったママで、充分でしょう。 「さいとう」の漢字表記で目くじらを立てる人の気が知れないです。
ヨーロッパ人(?)でも、統一個人の名前の呼び方、書き方は、その人々の間で通じさえすればいいような感じには私に感じられるほどで、小説やドラマでは、私は苦労します。でも、統一しろなどは思わないです。
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1926年 ローマ字ひろめ会が、ヘボン式を改めないように要望。
1926年 日本式ローマ字論の有志が、日本式ローマ字に改めるように要望。
1927年 ヘボン式ローマ字論の有志が、ヘボン式を改めないように要望。
1927年 鉄道省,鉄道駅名のローマ字にヘボン式採用確認を通達。
1928年 海軍省,日本式ローマ字を採用。
1929年 陸軍省,日本式ローマ字を採用。
1929年 日本ローマ字会,駅名のローマ字を日本式に改めるように要望。
1936年 南洋庁,日本式ローマ字を採用。
1936年 ローマ字調査会,ヘボン式よりも日本式に近いものを議決。
1936年 ローマ字ひろめ会が,臨時ローマ字調査会の答申に反対を宣言。
1936年 日本ローマ字会が,臨時ローマ字調査会の答申に賛成を宣言。
1936年 東京府英語教育会が,臨時ローマ字調査会の答申に反対の決議。
1937年 朝鮮総督府鉄道局,駅名標に訓令式ローマ字採用。
1937年 ローマ字ひろめ会、訓令式ローマ字に反対。
1938年 文部省,旅券のローマ字つづりを原則として訓令式に通達。
1938年 日本ローマ字会,ローマ字のつづり方を訓令式に統一。
1938年 日本ローマ字会,小学校の正課に訓令式ローマ字を請願。
1938年 鉄道省,ローマ字のつづり方を訓令式に統一。
1938年 文部省図書局長,英語科の教授に訓令式ローマ字を通達。
1940年 日本ローマ字会の請願「国定ローマ字」が衆議院で採択。
1942年 文部省,英語科教科書のローマ字のつづり方を訓令式に統一。
1945年 連合国軍最高司令部,ヘボン式ローマ字を用いることを指令。

ヘボン式を支持する団体
連合国軍最高司令部、ローマ字ひろめ会、英語教育会、

訓令式を支持する団体
帝国陸海軍、日本ローマ字会、植民地南海庁、朝鮮総督府、文部省、

結論として言える事は、軍国主義者が訓令式を支持し、自由主義者がヘボン式を支持しているという事ですね。

お礼日時:2023/09/13 11:57

「マイナンバーカード」で初めて気づいたんですよ。



日本の「戸籍」は「漢字」だけの登録で「読み」は登録されていない。
「やまざき」なのか「やまさき」なのか、「なかじま」なのか「なかしま」なのか戸籍上では区別できない。
これは「ふりがな」を付けるように改めるらしい。
さらに漢字も「山崎・山﨑・山嵜」「中島、中嶋、中嶌」「渡辺、渡邉、渡邊」など異字が多い。「さいとう」なんか「齋藤」みたいにとても書けない字を使う人もいる。
自分自身が戸籍とは異なる「略字」で記名・署名する人もいる。(正式には「瀧澤」なのに、自分では「滝沢」と署名するとか)

また、パスポートには「ローマ字表記」が必須だが、「戸籍上の読み方が不明」に加えてその表記法も統一されていない。
同じ「なかじま」でも「Nakajima」や「Nakazima」がいる。

つまり、今の日本に「人物を唯一無二に正しく表記する」「同一人物であることを保証する」方法が存在しないのです。つまり「マイナンバー」に対応する「基本台帳」が存在しない。

そういった解消するには、「書式の統一」「正書法の確立」を並行して行っていくことが必須なのでしょうね。
マイナカード以前に解決しておくべきだった問題です。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

最初からヘボン式を採用していれば、このような混乱は起きませんでした。

お礼日時:2023/09/12 16:05

>>いわゆる「想定外」ですね。



別に~~~~!!!!

70年も前の告示なので見直されて当然でしょう。
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この回答へのお礼

ヘボン式と訓令式の対立は今に始まった事ではないです。

日本政府の公的なローマ字表記が、当時も圧倒的に優勢だったヘボン式ではなく、日本式をベースとした理由について、柿木重宜はヘボン式の中心的人物であった藤岡勝二が1935年に没したことと関係するのではないかとしている。

つまり個人的な怨恨によって、日本語表記が決められたわけです。学者の内部争いです。俺はあいつが嫌いだからヘボン式も嫌いだというわけです。恥を晒すのもいい加減にしてもらいたい。最低の人間のやる事です。
_______________
ヘボン式ローマ字(ヘボンしきローマじ、英: Hepburn romanization)は、日本語表記をラテン文字表記に転写する際の規則、いわゆるローマ字の複数ある表記法のうち、日本国内および国外で最も広く利用されている方式である。

ジェームス・カーティス・ヘボン

ヘボンは1886年に発行された和英語林集成の第3版において、羅馬字会の方式を取り入れたローマ字表・ローマ字表記法を完成させた。これが初期のヘボン式ローマ字として最初に広く普及した方式であるが、後年に広まった方式とは若干規則が異なるため、今日では区別のため便宜上「Traditional Hepburn(旧ヘボン式)」と呼ばれている[7][8]。

1905年にはローマ字論者の大同団結が図られ、教育者の嘉納治五郎を中心にローマ字ひろめ会が成立した。同会は翌年、ヘボン式に修正を加えたものを考案[9][6][10]し、この方式は「修正ヘボン式(Modified Hepburn)」または「標準式」として知られることになった[11][12]。

日本政府の公的なローマ字表記が、当時も圧倒的に優勢だったヘボン式ではなく、日本式をベースとした理由について、柿木重宜はヘボン式の中心的人物であった藤岡勝二が1935年に没したことと関係するのではないかとしている。

同じく1954年には研究社が新和英大辞典の第3版において修正ヘボン式の表を改めて再定義し、これを出典としてアメリカ図書館協会およびアメリカ議会図書館のローマ字表記法など米英の公的機関のローマ字表記法で採択されるなど、修正ヘボン式がデファクトスタンダードとして戦後の国際社会に広まっていった。

お礼日時:2023/09/12 15:59

表記法は時代に応じて変わっていきますが、それが不便と感じられるまで行くには時間を要します。

不便でないならそのまま通用させた方が良いわけです。例えば全国の看板の書き換えなどしなくても済みます。
今回はそれが限界に達したということですから、タイミングを見てそろそろ御輿を挙げたということです。ですから文化庁は馬鹿ということではありません。
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この回答へのお礼

ヘボン式と訓令式の対立は今に始まった事ではないです。

日本政府の公的なローマ字表記が、当時も圧倒的に優勢だったヘボン式ではなく、日本式をベースとした理由について、柿木重宜はヘボン式の中心的人物であった藤岡勝二が1935年に没したことと関係するのではないかとしている。

つまり個人的な怨恨によって、日本語表記が決められたわけです。学者の内部争いです。俺はあいつが嫌いだからヘボン式も嫌いだというわけです。恥を晒すのもいい加減にしてもらいたい。最低の人間のやる事です。
_______________
ヘボン式ローマ字(ヘボンしきローマじ、英: Hepburn romanization)は、日本語表記をラテン文字表記に転写する際の規則、いわゆるローマ字の複数ある表記法のうち、日本国内および国外で最も広く利用されている方式である。

ジェームス・カーティス・ヘボン

ヘボンは1886年に発行された和英語林集成の第3版において、羅馬字会の方式を取り入れたローマ字表・ローマ字表記法を完成させた。これが初期のヘボン式ローマ字として最初に広く普及した方式であるが、後年に広まった方式とは若干規則が異なるため、今日では区別のため便宜上「Traditional Hepburn(旧ヘボン式)」と呼ばれている[7][8]。

1905年にはローマ字論者の大同団結が図られ、教育者の嘉納治五郎を中心にローマ字ひろめ会が成立した。同会は翌年、ヘボン式に修正を加えたものを考案[9][6][10]し、この方式は「修正ヘボン式(Modified Hepburn)」または「標準式」として知られることになった[11][12]。

日本政府の公的なローマ字表記が、当時も圧倒的に優勢だったヘボン式ではなく、日本式をベースとした理由について、柿木重宜はヘボン式の中心的人物であった藤岡勝二が1935年に没したことと関係するのではないかとしている。

同じく1954年には研究社が新和英大辞典の第3版において修正ヘボン式の表を改めて再定義し、これを出典としてアメリカ図書館協会およびアメリカ議会図書館のローマ字表記法など米英の公的機関のローマ字表記法で採択されるなど、修正ヘボン式がデファクトスタンダードとして戦後の国際社会に広まっていった。

お礼日時:2023/09/12 15:59

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