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この世界で日々起こっているさまざまな現象の背後に宇宙の法則、アルケーの存在を感じる。
アルケーが神であれば神は信じるものではなく感じるものである。
それ故に人の道は言い続けているのでございます。
神は信じるものではなく感じるものであると。
またアルケーを感じることは霊感ではございません。
なぜならアルケーは霊とは無関係だからです。
霊感と関係するのは霊感商法だからです。
あなた方に尋ねます。
神は信じるものですか感じるものですか?

A 回答 (17件中11~17件)

私は神不要論者故にいかなる神も存在していない世界を選択した


ちなみに脱宗教が進んでいて有神論者が馬鹿にされています
逆逆
有神論の方がバカ扱いされてますからね
合掌
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この回答へのお礼

海外を知らない奴はただのバカ

お礼日時:2023/10/04 09:34

信仰する対象ですが、有瑠嘘の神は、虚言を吐いても神は守ってくれません。

私のようなものに暴露されてしまいます。
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この回答へのお礼

有瑠慶非信非拝非願

だから神は願う相手ではないって言ってるじゃん。

お礼日時:2023/10/03 23:56

いかなる神も存在していないと私が生きている世界においては全く関係なし

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この回答へのお礼

だから無神論は海外ではバカ扱いって言ったじゃん。
理解できないの?

お礼日時:2023/10/03 23:53

「アルケー」とはギリシア語で「初め・原因」を意味します。


古代ギリシアの哲学者は、神が世界の第一原因であると考え、
「アルケー」と呼びました。
これは抽象的な存在としての神を指しており、
信仰の対象としての神と同じではありません。
しかし、人間がその存在の全てを神に負っているなら、
人格も神に由来しているはずであり、神も人格(ペルソナ)を
持つと考えねばなりません。
つまり神も他者との対話を求めるということです。
神が世界を創造した(あるいは神から世界が流出した)とするなら、
神は必ず被造物世界との関わりを持とうとするはずであり、
神が呼びかける時、人間がそれに答えることを求めるはずであり、
そうでなければ第一原因とは言えないということです。
実際、古今東西の宗教で神は人間と対話しており、
人間が自分に頼ること、すなわち信仰を求めてきました。
もちろん、
そうではない抽象的な存在としての神を空想することはできますが、
何しろそれは世界と関わろうとしない神ですから、
本当に存在してもしなくてもどうでも良い神です。
そんな人間の頭の中から出られない神について論じるより、
信じるか否かはともかく、
御自分を啓示して人間に知らしめようとする神について論じる方が有益です。
果たして「世界で起こる様々な現象の背後に感じられる法則」とかいう、
実体のない影のごときものに名前を付けて吹聴することに意味はあるでしょうか。
それよりも、人格を持ち、語りかけ、交わりを持とうとする存在を知ることの方が、ずっと深い意味があると私は思います。
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この回答へのお礼

イスラム教徒の言わせるとイエス・キリストを崇拝するなどは偶像崇拝の典型で、およそ人間の行いの中で最も卑しむべきものであるとみなします。
しかしながらイスラム教徒のやっていることも褒められたものではありません。
イエスキリストにしろアラーにしろ神に人格を与えこれを崇拝する行ないは人間原理と呼ばれていますが、歴史を振り返るとこれらの宗教が行ってきたことはお互いに争い殺し合ってきたことばかりであり決して正しい信仰であるとは言えないのです。
そしてこのような神に人格を与え崇拝する宗教は最終的には滅びていく運命にあるでしょう。
あなたもそのような歴史の事実を知るべきです。

お礼日時:2023/10/03 23:23

神を信じたくないなら信じなければ良い。

屁理屈を言うな。
不信仰が正しいと思うなら堂々としていろ。言い訳をするな。
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ぼくは信じないが、信教の自由を否定はしない。



> この世界で日々起こっているさまざまな現象の背後に宇宙の法則、アルケーの存在を感じる。

最近はいい薬あるらしいので、一度カウンセリング受けたほうが良さそうですね
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信じる人が感じるといいます。

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