プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

私は都内某所に住んでますが寿命を全うするまで都内住み悪くないと思ってます
私の主観ですが東京一極化は100年経ってもそのままだと思いまんか?

△理由
①便利
23区内であれば歩きや自転車移動で事足りる

②イベントが東京で行うことが多い
コミックマーケットなどの催しは東京でやることが多いので都内すみだと交通費が安くスムーズ

③仕事が多い
私の地元の田舎と比べて雲泥の差の仕事の求人がある



他にも、有りますが東京一極化は当面このままではありませんか?
またねその理由も知りたいです

「東京一極化はほぼ永遠にそのまま?」の質問画像

A 回答 (5件)

将来的には分散する事になるでしょうね。


そのキッカケとなるのが首都直下地震なのか富士山の想定最大での噴火なのかは
判りませんが、大きな自然災害を受けて全機能停止と言う事を避ける為の本格検討が
始まると思います。
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この回答へのお礼

柔軟に対応します

お礼日時:2023/10/10 21:18

東京一極集中の理由がそんなことだと思っているのですか?



『23区内であれば歩きや自転車移動で事足りる』
  何を幼稚なことを言ってるんですかね。
  東京駅から銀座の距離でさえ、歩く人なんて居ません。
  皆地下鉄かタクシーを使います。

『私の地元の田舎と比べて雲泥の差の仕事の求人がある』
  あなたの田舎と比べても何が言いたいの?

『コミックマーケットなどの催しは東京でやることが多い』
  あなたは一極集中の理由を説明してるんじゃないんですか?
  一極集中してるから行われることを言って何になるんですか?

もっと世界に目を向けて調べてみると良いですよ。
その結果は、日本の人々の価値観がいかに貧しく、政治と実業界の双方に実力のある人がいないかを知ると思います。

それを改善するには、どんな価値観が良いかを考え、それを実現しようと努力しなければなりません。
それには先見の明と強い牽引力を持った人と、その実行を支える仲間が必要です。
しかし、そんな人は日本に現れないでしょう。
だから、私は、それは改善しないと思います。
東京一極集中はこのまま続くでしょう。

永遠かどうかは知りません。
いつかは来るだろう大地震は、それを解消するいい機会にはなるかもしれませんが、それでさえ、その時にしっかりした構想を持った強い指導者や組織が現れなければことは変わらないでしょう。

私はプロファイルに記した通りの在米の長い隠居爺です。
日本の田舎に生まれ育ち、大学進学で首都圏に出てきて、社会人初期の数年までその地区で暮らしました。

その後考えるところがあってカミさんと当地に渡って来ました。
幸いにも早くに安定した生活が出来るようになり、ネットが普及しだすと、今で言うリモートワークを組み入れた働き方が出来るようになりました。

それを利用し、どこに暮らすのが良いかを実際に住んで考えることにし、カミさんとは全米のいろいろな土地に暮らしてみました。

仕事柄、取引先に深く入り込むことも少なくなく、先方の事業所のある町に家を借りて何か月かをそこで過ごすということもよくあり、そんなところも入れると、中南北アメリカの何か国か、日本の各地、北西南ヨーロッパの何か国か、東南アジアや大洋州の何か国かも経験しました。

そんな経験から感じたことは、日本の場合、地方都市に事業上の魅力がないことと、そういう事業を起こす意欲と実力のある人材がいない、ということでした。

日本の首都圏にいる人が首都圏に居たいと思う理由は、『首都圏がいい』のではなく『首都圏以外には住みたくない』というのでしょう。

首都圏を離れれば自然環境はある程度良くなるでしょうが、住むのは似たような大きさの家ですから、生活がよくなったとは実感しないでしょう。

一方、日本の地方では教育・学術・医療・芸術・スポーツなどの文化的な活動・施設・サービスのレベルは低く、首都圏で手に入っていたようなものは手に入らなくなります。

地方に転勤すると給与レベルが下がりますし、いい転職ができる先も無くなります。
つまり、今の日本で地方に行くということは、いわゆる『都落ち』することであり、生活レベルが下がるということなのです。

生鮮品などの入手性や物価の低さに一利ありますが、この『都落ち感』には勝らないでしょう。

だから、地方から首都圏に来る人は絶えませんが、首都圏を経験した人は地方に行こうとしないので、首都圏だけが肥大化していくのです。

では他の国や地域はどうか。

外国もいい場所ばかりではありません。
また、人の言葉なんてあてになりません。

だから我々は、人の言葉を信じるのではなく、自分で実際に行って暮らして経験し、自分たちが求めているものは何かを自分たちで考えて、自分たちに合ったところを探して今暮らす町を決めました。

この町とそこでの生活を紹介してみます。
日本の首都圏の環境や生活と比べてみてください。

私が暮らす町は、2~300キロ四方の森に覆われた、なだらかで低い丘がちな平野の真ん中にあります。
半径数キロの範囲に約6万の人が暮らすコンパクトなこの町は、大都会からは遥かに離れており、どちらの方向の隣町までも50キロ以上は離れていて、その間に人は住んでいないという、文字通り『ポツンと一軒家』ならぬ、『原野にポツンとある町』です。

こう言うと、日本の方々は、限界集落とか、ヨボヨボの年よりばかりの過疎の町、なんていうでしょう。
しかしここは違います。
町の住人の平均年齢は30歳台で、良きアメリカを物語るゆとりのある空間が手に入る一方で、大都会に劣らない便利で文化的な都会の要素も手に入るところです。

それはなぜか。

それは、昔この町の将来を憂いた人の中に、この町を発展させようと真剣に考え、それを実行した人が居たからです。

約50年前まで、ここはタバコの栽培で栄えてきました。
しかし、世界的に喫煙習慣が廃れ、タバコの関連産業は斜陽化しました。
その影響をもろに受けたこの町は、町興しを余儀なくされました。

今日の日本では、B級グルメや海外からの旅行者相手の『歓楽産業』での町興しが盛んに見えますが、当地の人たちはそんな安易で安っぽいものではなく、もっと地に足の着いたものでした。

当時は今よりずっと小さかったこの町には、小さな公立の大学がありました。
この町の人たちはそれに目をつけ、こんな大胆なことを考えました。

  ・世界中の優れた人たちが勉強・研究をしたくなる大学にする
  ・世界から求められる研究成果や人材を提供できる大学にする
  ・優れた人たちが勉強・研究に専念できる、来たくなる町にする
  ・大学の研究成果を期待する組織が活動したくなる町にする
  ・大学が輩出する人材が起業などで定着したくなる町にする

これをもとに、当時のこの町の人々は本当に真剣に色々なことを考えたようです。
それには、たとえば、大学の育成計画、都市計画、交通政策、エネルギー政策などがありました。

私は当時の詳細は知らないので、現在の姿を紹介しますから、彼らの考えたこと、やってきたことを想像してみてください。

まず大学です。

州や国に働きかけ、町は大学を少しずつ大きくしていきました。
そして約50年を経た今、町の人口のほぼ半数がその大学の学生・研究者となるマンモス総合研究大学にまで成長しました。
残りの人口のほとんどは、その大学の教職員やその家族と言うことですから、文字通りの学研都市が出来上がったということになります。

ではそのレベルはどうか。
世界的に権威のあるいくつかの世界大学ランキングでは、どれでも東大に比肩するレベルです。
現実にノーベル賞を受賞した現役の研究者もいるほどです。

これを支える大きな要素のひとつは都市計画です。

町は、居住地区、教育地区、管理地区、商業地区、医療地区などのような機能別の地区に分けられ、それらは森などで区切られ、それらの間は将来の拡幅に配慮した空間を持った道路網で接続されました。

道路網も、日本にありがちな無味乾燥な碁盤の目ではなく、ゆとりを感じさせる曲線をふんだんに取り入れたものでした。

街中には大都会と見まごうような有名な店舗や飲食店が並ぶショッピングセンターが何か所かあり、キャンパスには、大学リーグやプロチームが来る
巨大なフットボール・野球・サッカー・バスケットボールのスタンドやアリーナが並ぶほか、ゴルフコースや大きな劇場や映画館もあり、プロの興行なども頻繁にやってきています。

交通政策も面白いです。

大学が大規模になると、研究成果や輩出する人材の獲得を狙って世界中の企業や公的機関などから人がやってくるようになります。
それで町の交通事情が悪化しないよう、町興しの人たちは、町興しのかなり初期の段階から施策を打ってきました。
それは、当地で P&R(パーク&ライド)政策でした。

市外からやってくる人たちを市の外縁に作ったショッピングモールなどに誘導し、そこの大規模な駐車場に車を置かせ、そこから街の中へはバスで移動させるというものです。
そのバスは、早朝から深夜まで、町中を縦横に頻繁に運行され、町はそれをすべてタダにしたのです。

その結果、町の外から来る人の利便性が確保できただけでなく、町の中で暮らす学生などの大学関係者もまた多大な貢献を受けることになるなど、町の中の活動の活性化にも寄与することになりました。

最後はエネルギー政策です。

この大学は優秀な医歯薬バイオ系を持っていますが、そのための病院などは万が一の場合でもサービスを止めることはできません。
そのためには、電気などの生活・社会インフラが停止しないことが求められます。

そのために、町は自分でインフラを整備しました。
具体的に言えば、町が発電所やダム、上下水道施設、ゴミ処理施設、ガスタンクなどを持っているんです。

以前、ひどい気象でこの地域の広い範囲でガスや電気や水道の供給が止まったことがありました。
ひどいところでは何か月もそれが続きました。

しかし、このインフラのおかげで、この町だけは瞬間的な停止だけですぐに復旧し、いつもの日常生活を続けることができました。

優秀な人々を狙って世界中から優れた企業がたくさん進出してきているので、ここに定着する人が増えてきています。
そこからは田舎とか都会とかと言う次元の問題ではないのがわかります。

今の日本の地方にこういうことを考え、実行できる人たちがいないのが問題なのだと私は思います。
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この回答へのお礼

ご丁寧にありがとうございます。

何があるかわからない世の中なので柔軟に対応するように務めます

お礼日時:2023/10/10 21:12

都会に人口が集まるのは、世界的傾向


いや、人類史的傾向ですから
政府が何かしない限り
当分続くと思います。

しかし、例えば政府が、交通網を
整備し、群馬県の端っこから、都心まで
30分で行けるようになれば
一極集中も崩れる可能性があります。

関東大震災でも発生すれば
そういう意見も強くなるでしょう。
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この回答へのお礼

よほどのことがない限り首都が変わることがないんですね

ありがとうございます

お礼日時:2023/10/09 22:15

現在、東京一極化が進んでいるのは、日本人が経済性優先の考え方に偏っているからで、環境優先の考え方に移り変わっていけば地方都市に分散するはずです。


それまでに100年もかからないと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
臨機応変に行動します

お礼日時:2023/10/10 21:19

将来何が起こるか分かりませんぞ。


 昭和の初期、大阪が日本一の大都会になった時がありました。
 そりは関東大震災で東京が壊滅した時。
 詳しくは「大大阪時代」で検索してちょ。
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この回答へのお礼

ざっくりですが1900年前半からありましたね

ありがとうございます

お礼日時:2023/10/10 08:46

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