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量子力学に、二重スリット実験と言うのが有ります。一個の量子を、二つのスリット(細い穴)に同時に通過させる実験です。これはバナッハタルスキーの定理が証明している、一個の球から、元の球と同じ大きさの球を2つ作ることができるという証明と同じですよね?

つまり、バナッハタルスキーの定理が言うように、一個の量子から、同じ量子を二つ作る事ができるなら、量子力学が言うように、一個の量子を、二つのスリットに同時に通過させる事も可能です。しかし、二重スリット実験で最終的に観測されるのは一個の量子だけです。作られたはずの、もう一つの量子は何処に行ったのか?

それは、バナッハタルスキーの定理で、一個の球(あるいは一個の金塊)から、同じ大きさと重さの金塊を二つ作る事ができるが、現実には一個の金塊しか観測できないのと同じですよね?
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バナッハタルスキーの定理とは、3次元空間内で、球を有限個の部分に分割し、それらを回転や平行移動だけで組み替えることで、元の球と同じ大きさの球を2つ作ることができるという数学的な定理です。1924年にポーランドの数学者ステファン・バナッハとアルフレト・タルスキによって証明されました。直観に反するのでパラドックスと呼ばれることもある。しかし、この定理は矛盾ではなく、正しい論理に基づいています。

質問者からの補足コメント

  • HAPPY

    >「一つの粒子が二つの場所を通った」と考えなければ辻褄が合わない(二つの粒子になったのではダメ)そうです。


    それは、量子力学にバナッハ・タルスキーの定理を応用するのを拒否しているからです。私に言わせれば「一つの粒子が、同時に、別々に離れた、二つの場所を通った」と言われる方が支離滅裂ですよ。そんな出鱈目な話を「納得」する人が本当に居るんですか?

    そんな、訳の分らん説明をするより、BーTの定理を導入した方がすっきりします。

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2024/01/12 15:07
  • 「支離滅裂に思える事柄であったとしても受け入れよ」では、昔、全ては神様のせいだと言ってた、大昔の時代と変わりません。

    科学が進歩したのは、迷信を信じたからではなく、人間が納得するまで探求したからです。

    人間が、B-Tの定理を、現実に応用して、一つの球体をばらばらにして組み立てて、球体を二つにする事は不可能です。しかし、人間には出来なくても自然にはできる事がいくらでも有ります。理論的に可能な事なら、自然はやってのけるでしょう

    しかし、一つの粒子が、同時に、別々に離れた、二つの場所を通る事は理論的に不可能です。そんな事は自然にも不可能です。

    No.4の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2024/01/12 17:22
  • >「一つの粒子が二つの粒子になって二つの穴を通った」と考えると逆に「支離滅裂」な結論になる


    と言われますが、具体的に、どう支離滅裂なのかは説明されていません。従って、私の主張は間違いだとは証明されていません。



    >「電子は波の性質も持っている」


    この考えは否定しません。と言うのも例え、一つの粒子が二つに分かれて、二つのスリットを通っただけでは、干渉縞には成らないからです。干渉縞を生じさせるには、その二つの粒子が互いに干渉する必要が有ります。

    しかし、一つの粒子が、一つの粒子のままで、二つのスリットを同時に通り、互いに干渉したというのは、そもそも日本語に成って居ません。

    No.5の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2024/01/12 18:42
  • うーん・・・

    バナッハタルスキーの定理は、今からちょうど百年前、1924年にポーランドの数学者ステファン・バナッハとアルフレト・タルスキによって証明されました。

    バナッハタルスキーの定理が証明されて百年、人類はそろそろバナッハタルスキーの定理の「真なる意味」を理解するべきではないでしょうか?

      補足日時:2024/01/13 10:09
  • HAPPY

    ハイゼンベルクは量子力学の建設、特に行列力学の創始者として「狂気の物理学」とも言うべきものを信仰していたと言われています。Landauは固体電子の量子論を「狂気の書」と呼びました。

    確かに素粒子が二つに分かれる事を認めると、エネルギー保存則に反します。しかし、エネルギー保存則は経験則であり、証明されていません。従って量子力学では必ずしも前提とされません。

    従って、素粒子は常にバナッハ・タルスキーの定理を発動していると考えられます。つまり増え続けているのです。ただし、観測できるのは一つの素粒子だけです。これは多世界解釈で説明できます。

    BT定理は狂気ですが、狂気によってしか量子力学は説明できません。

    No.6の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2024/01/15 19:37
  • プンプン

    > 突然、バナッハ・タルスキーの定理という無関係なものをもってくる。詐欺師のレトリックですね。


    詐欺とか、明らかに科学的ではない、感情的な、人格を否定するような批判は止めてください。

    BT定理は百年の検証を経て、正しい事は完全に証明されています。そもそも正しくなければ「定理」と呼ぶことは許されません。従って、BT定理は三平方の定理と同様に自明な事なのです。

    三平方の定理を量子力学の説明に使っても、誰も異議を唱えないでしょう。同様にBT定理を量子力学の証明に使っても何の問題も無く、従って、それは「詐欺」ではなく「洞察」と言うべきです。

    No.7の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2024/01/16 11:35

A 回答 (7件)

再度書きますが、バナッハ・タルスキーの定理が主張しているのは「一つの球が二つの球になる」と言う事だったはずです。

そして二重スリット実験から分かる事は「一つの粒子が(一つの粒子のまま)二つの穴を通った」と言う事です。これをバナッハ・タルスキーの定理(もどき?)のように「一つの粒子が二つの粒子になって二つの穴を通った」と考えると逆に「支離滅裂」な結論になって現実に起きている事が説明できなくなるそうです。なので物理学者は、と言うより物理学をきちんと勉強した人なら誰であっても「一つの粒子が二つの穴を通った」と言う結論を受け入れています。

とは言うものの「一つの粒子が二つの穴を通った」と言うのは物理学者であっても「んなアホな!」と言う気持ちになるのは当然の事だと思います。なのでこれを説明するために出されたアイデアは「粒子は波でもある」と言う考え方です。ただこれだと日本語として矛盾している気がするので、もう少し具体的に「(粒子と考えられて来た)電子は波でもある」あるいは「電子は波の性質も持っている」と考えるわけです。これを電磁波、より一般的には物質波と言います。そしてこの電磁波ないし物質波の考え方は、電子顕微鏡と言う形で実際に応用もされています。

PS:物理学を初めとする自然科学は現実に起きている事を説明するためのものです。言い換えると自然科学では「現実が絶対」と言う事になります。いかに理論的におかしく思えるような結論であったとしても、それが現実であれば受け入れると言うのが科学的な態度と言うものです。そしてその科学的な態度をベースに「ああでもないこうでもない」と考えて行った結果科学は発展して来ました。
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この回答へのお礼

>「一つの粒子が二つの粒子になって二つの穴を通った」と考えると逆に「支離滅裂」な結論になる


と言われますが、具体的に、どう支離滅裂なのかは説明されていません。従って、私の主張は間違いだとは証明されていません。



>「電子は波の性質も持っている」


この考えは否定しません。と言うのも例え、一つの粒子が二つに分かれて、二つのスリットを通っただけでは、干渉縞には成らないからです。干渉縞を生じさせるには、その二つの粒子が互いに干渉する必要が有ります。

しかし、一つの粒子が、一つの粒子のままで、二つのスリットを同時に通り、互いに干渉したというのは、そもそも日本語に成って居ません。

お礼日時:2024/01/12 18:40

>ハイゼンベルクは量子力学の建設、特に行列力学の創始者として「狂気の物理学」とも言うべきものを信仰していたと言われています。

Landauは固体電子の量子論を「狂気の書」と呼びました。

この話にいっさい、無関係です。

>確かに素粒子が二つに分かれる事を認めると、エネルギー保存則に反します。しかし、エネルギー保存則は経験則であり、証明されていません。従って量子力学では必ずしも前提とされません。

例外が見つからず、だれもが確からしいとみなしているのがエネルギー保存則です。それをベースに構築された現代物理学や、その最先端の標準理論が、すべての素粒子現象を例外なく說明しているのに、エネルギー保存則に反するなどという勝手な仮説は許されないというだけの話です。

>従って、素粒子は常にバナッハ・タルスキーの定理を発動していると考えられます。つまり増え続けているのです。ただし、観測できるのは一つの素粒子だけです。これは多世界解釈で説明できます。

支離滅裂です。根拠のない仮説を提示してそれをもとに従って・・・と続けても、無意味。そして、突然、バナッハ・タルスキーの定理という無関係なものをもってくる。詐欺師のレトリックですね。

多世界解釈もまた、コンセンサスを得られていない愚論です。

>BT定理は狂気ですが、狂気によってしか量子力学は説明できません。

あなたのただの感想です。科学的会話が出来なそうなので、これで離脱しますね。
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この回答へのお礼

昔の事を思い出しますね。昔は地球が太陽の周りを回っていると言うと、狂人扱いされて火あぶりに成りました。

お礼日時:2024/01/15 21:38

バナッハ・タルスキーの定理は純粋に論理の話。

今の数学の体系を認めると、矛盾なく不思議なことが出来てしまう。それ以上でも以下でもありません。

一方で、物理はもっとリアリティを求めます。量子論は完全ではないものの、標準模型・場の量子論として、素粒子現象を矛盾なく說明しており、思いつきの仮説や屁理屈を並べたものとは、まったく意味が違います。

あなたがもし、2重スリット実験の說明にこれを適用するなら、すでに說明されている、主要な現象への既存理論の說明の変わりに、新理論でも矛盾しない說明が求められる。新しい物理の理論とは上位互換性が必要なのです。

アインシュタインが、いくら古典力学をアップグレードしようと、相対性理論の近似解として、古典論との互換性があるからこそ受け入れられたわけですね。

同じように、量子論を上書きするなら、例えば、超弦理論のような、標準模型が解決できないことを解決できる一方で、すでに示された標準理論の現象を說明できることが、最低限の要求になるでしょうね。

この話はどうでしょうか?

・素粒子はそれ以上わけられないから、素粒子。
・いまのところ理論的には大きさを持ちません。
・2つには別れたら素粒子じゃない。
・2つになるには、追加の粒子が生まれることが必要。
・そのためには、エネルギーによる、対生成が必須。
・消滅したら対消滅。そのエネルギーが何かに転化される。
・2重スリットを通るだけではだめ、干渉するには波の性質が必須。
・最初から粒子でなら、生まれた粒子はなぜ都合よく他方のスリットを毎回通るのか?

素人が考えても、矛盾だらけです。

なお、主張が間違いだと証明できないことをもって、正しい・・・というのは、物理ではなしです。そんなことをいい出したら、何でもありですからね。過去の理論を說明し、さらに新たな矛盾をより明快に解決し、それが、さらに実験で確かめられる。これによって初めて、論議に値する新しい理論になるのです。
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この回答へのお礼

ハイゼンベルクは量子力学の建設、特に行列力学の創始者として「狂気の物理学」とも言うべきものを信仰していたと言われています。Landauは固体電子の量子論を「狂気の書」と呼びました。

確かに素粒子が二つに分かれる事を認めると、エネルギー保存則に反します。しかし、エネルギー保存則は経験則であり、証明されていません。従って量子力学では必ずしも前提とされません。

従って、素粒子は常にバナッハ・タルスキーの定理を発動していると考えられます。つまり増え続けているのです。ただし、観測できるのは一つの素粒子だけです。これは多世界解釈で説明できます。

BT定理は狂気ですが、狂気によってしか量子力学は説明できません。

お礼日時:2024/01/15 19:37

まず先に書いたように、この実験にバナッハ・タルスキーの定理を当てはめる事自体が見当違いです。

バナッハ・タルスキーの定理は「球をバラバラにして組み立て直したら二つの球になる」と言ったもののはずです。問題の実験では「粒子をバラバラにして組み立て直す」と言った事は行われていないわけですから、バナッハ・タルスキーの定理は初めから「お呼びでない」と言う事になります。

それから「一つの粒子が二つの穴を通った」と言う事に対して「そんな支離滅裂な事を信じる人が本当にいるんでしょうか」と言われても「だって現実にそうなってるんだから仕方ないじゃん」としか言えないでしょう。そもそも物理学は「現実がどうなっているか」を探求するものです。いかに支離滅裂に思える事柄であったとしても「現実にそうなっている」と言うのであれば受け入れるしかありません。それが「科学的な態度」と言うものです。
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この回答へのお礼

「支離滅裂に思える事柄であったとしても受け入れよ」では、昔、全ては神様のせいだと言ってた、大昔の時代と変わりません。

科学が進歩したのは、迷信を信じたからではなく、人間が納得するまで探求したからです。

人間が、B-Tの定理を、現実に応用して、一つの球体をばらばらにして組み立てて、球体を二つにする事は不可能です。しかし、人間には出来なくても自然にはできる事がいくらでも有ります。理論的に可能な事なら、自然はやってのけるでしょう

しかし、一つの粒子が、同時に、別々に離れた、二つの場所を通る事は理論的に不可能です。そんな事は自然にも不可能です。

お礼日時:2024/01/12 17:20

他の方へのお礼コメントで分かりましたが、質問者様は「二つのスリットの実験」について根本的に誤解されています。



バナッハ・タルスキーの定理の方は「一つの球が二つの球になる」と言う理解で合っていると思いますが「二つのスリットの実験」の方はあくまでも「一つの粒子が(同時に)二つの穴を通った」と言うものであって「一つの粒子が二つの粒子になった」と言うわけではありません。

こう言うと「二つの場所を同時に通ったと言うなら二つの粒子になったと言う事に決まってるだろ?」と言われるかもしれませんが「でもそれが一つの粒子なんだよなあ」と言うのが量子力学の結論です。

cf:詳細は分かりませんが「一つの粒子が二つの場所を通った」と考えなければ辻褄が合わない(二つの粒子になったのではダメ)そうです。
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この回答へのお礼

>「一つの粒子が二つの場所を通った」と考えなければ辻褄が合わない(二つの粒子になったのではダメ)そうです。


それは、量子力学にバナッハ・タルスキーの定理を応用するのを拒否しているからです。私に言わせれば「一つの粒子が、同時に、別々に離れた、二つの場所を通った」と言われる方が支離滅裂ですよ。そんな出鱈目な話を「納得」する人が本当に居るんですか?

そんな、訳の分らん説明をするより、BーTの定理を導入した方がすっきりします。

お礼日時:2024/01/12 15:06

バナッハタルスキーの定理は基本的に「存在」していることが前提です。


量子力学では「観測」することにより「存在」が確認できるというものです。

ですから次元が全く異なります。
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この回答へのお礼

量子力学も、バナッハ・タルスキーの定理も、言っている事は「一個の物が二個の物に成り得る」と言う事です。

そして、量子力学の二重スリットの実験結果は、一個の粒子が、同時に、二つのスリットを通過したとしか思えない実験結果を残しています。

お礼日時:2024/01/12 13:55

もちろん同じではありません。

量子力学が述べているのは「一個の粒子(注:「量子」ではありません)が二個の穴を同時に通る事があり得る」と言う事で、一方バナッハ・タルスキーの定理の方は大ざっぱに言えば「一つの球面をバラバラにして組み立て直すと二つの球面ができる場合がある」と言う事ですから、主張している内容が全く異なります。
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この回答へのお礼

量子力学も、バナッハ・タルスキーの定理も、言っている事は「一個の物が二個の物に成り得る」と言う事です。

そして、量子力学の二重スリットの実験結果は、一個の粒子が、同時に、二つのスリットを通過したとしか思えない実験結果を残しています。

お礼日時:2024/01/12 13:54

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