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何もないギリギリの生活において生き甲斐は存在し得ますか?
あるとすればどんなものでしょう?

A 回答 (14件中1~10件)

自炊の腕前とか、掃除とか、今日は晴れたとかでは?



大切だと思いますよ。

貧乏でも普通でも金持ちでもね
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ギリギリでも生きてるなぁ、って感じは「生き甲斐」しかないですね。

他に何がある?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
私は何もなくなったように感じるときは、誰もいない夜にきれいな夜景を独り占めしている瞬間が何故か幸せで、「生きている」と感じます。そんなことで良いんでしょうか?

お礼日時:2024/01/29 23:56

お礼について。



最高ですよ。
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人間がどういう時に生きがいを感じるかってのは、生まれた時から既に遺伝子に組み込まれています。


人間だって、所詮他の生物と同じ生き物です。そもそも生物は、自分の種を保存をする様に行動する事が遺伝子に組み込まれています。
簡単に言えば、自分の仲間を守る、子孫を守る事です。皆が生き残れる様に行動する事です。
生殖行為に快感を感じるのは肉体の快感。
自分の頑張りで、誰かに喜んでもらえる事は精神的な快感。
この後者を、一般的に生きがいと称します。
ですから、生きがいを感じたければ、誰かに喜んでもらえる様に頑張りましょう。
自分だけのためにいくら頑張っても生きがいは感じません。
ただ、誰かに喜んでもらえる事が出来る様になるためには、先ず自分に地力をつけなければいけません。そのために人は勉強し、身体を鍛えるのです。だって知恵が無ければ人は救えない。体力が無くても助けられないですからね。大人になるという事は、その基準に達したという事です。
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ギリギリの生活と聞くとあまり良いイメージはありませんが、とらえ方の違いで


ギリギリの生活が苦しみにしか過ぎない人には、不幸一色の生活でしかありませんが、ギリギリ生活をサバイバル生活と称して「挑戦」と捉えるなら幸福感も得られることでしょう。珍しいとは思いますが。

生き甲斐をあえて求めなくてもいいではありませんか?一生懸命生きてるだけで、神様から表彰者ですよ。生きること自体に向き合うこともエネルギーの消費になります。つまり、ちゃんとエネルギーを使って、生きているわけですよ。


精一杯生きていたら、無駄なことで悩まないで済みます。わざわざ生き甲斐について、と悩んだりしません。むしろ考えていないときのほうが満たされているように思います。真摯に生きてる事自体が生き甲斐になっているので、もう無意識レベルになって生き甲斐が定着しているのかもしれません。


矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、
生き甲斐について考えるというのは高水準な生活ができてこそのゆとりで言える言葉だと思います

必死で生活の為に生きて暮らしている人は
生活を成り立たせること以外について、考えることになかなかエネルギーを回せないのです。
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お金持ちになる、という目標を作って


頑張れば、それが生き甲斐になります。
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現実の社会は


「幸福」と言う言葉など無縁だ、と、人生を絶望している人は少なくない
そんな人に生き甲斐などある訳ない
 しかし、その絶望の中で、
一筋の光を、藁(ワラ)をもつかむ思いでしがみつくのが不変の哲学です
一人の再生(蘇生)の体験があってこそ不変の法理は証明されゆくのです
闇が深い程、暁は近い、と思いたいですね。
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生き甲斐とは、何らかの満足感、充実感があれば感じられるものだと思います。


例えば刑務所の中でも、労働をした後に感じることはできるでしょうし、強制収容所のような極限の状態の中でも、隠し持っていた石のようなパンの欠片を口の中で溶かしているときなんかに刹那的な満足感を感じることができるようです。
要は、「生きよう」とする意思があれば感じることは可能なものだと思う。
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雨ニモマケズを読まれるとよいでしょう

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真理探究。

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