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摩訶止観第五に云く

「夫れ一心に十法界を具す
一法界に又十界を具すれば百法界なり
一界に三十種の世間を具すれば百法界に即三千種の世間を具す、
この三千・一念の心に在り
若し心無んば而已(やみなん)介爾(けに)も心有れば即ち三千を具す
乃至所以(ゆえ)に称して不可思議境と為す意(こころ)此に在り」

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上記は摩訶止観にある『一念三千法門』の説明文ですが、、、

>>一法界に又十界を具すれば百法界なり


Q:どうして、一法界に又十界を具すのですか??


一心に10法界を具す。1×10=10
一法界に又十界を具すれば百法界なり。1×10×10=100
一界に三十種の世間を具すれば百法界に即三千種の世間を具す、3×10×100=3000

確かに3000にはなるが、、、、

一つの境界が出ている時には、他の境界(九界)は冥伏し、何かの縁に触れ顕現する。

という事は、、、

一心に十法界を具す
一法界に三十種の世間を具すれば十法界に三百種の世間を具す、

●『一念』『三百』の境界ではないのだろうか??

a)一法界にb)又十界を具すれば百法界なり

はたして、a)は何なのだろうか??
そして、b)は何なのだろうか??

一心には、三百の境界しか存在しません。


教えてください。

A 回答 (2件)

「十界互具」ということについて、もう少し述べますと、一心(一念)に十界を具足している、というのが十界論ですが、その十界のそれぞれに、また十界の働きが具足されているということです。



そのことは、御存じでしょうが法華経に説かれていて、それを文証として天台が一念三千の理論を立論したわけです。

例えば、刑務所の中の凶悪犯が、ふと妻子のことを思い無事を祈る気持ちになったとします。それは、その凶悪犯の畜生界(例えば)に具足した菩薩界が瞬間的に顕現したということになると思います。しかし、大抵は元に戻るものですから、次の瞬間に顕現されるものは、その時に顕現した菩薩界に具足した畜生界ということになるのでしょう。

畜生界に具足した菩薩界と、人界に具足した菩薩界とは、人間の実感としてかなり違うものであると思います。違うものであるから違う「法界」であるということになります。

従って、一念三千論の始まりである「十界互具」においては百法界となると。そのように考えています。
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この回答へのお礼

ご回答いただきまして、ありがとうございます。

>畜生界に具足した菩薩界と、人界に具足した菩薩界とは、人間の実感としてかなり違うものであると思います。違うものであるから違う「法界」であるということになります。

まさにそこですね。
そこをいかに捉えるかで、百法界となるのか十法界となるのかの違いか出ると思います。

お礼日時:2024/02/11 16:48

十界互具とは、ある境涯を顕現している瞬間に、同じ境涯を含めて十の変化の可能性があるということで、特に仏界を顕現する可能性があるということが重要な点でありましょう。



>一界に三十種の世間を具すれば百法界に即三千種の世間を具す

摩訶史観でどうしてこういう表現になっているのか勉強不足で分からないのですが、「三十種の世間」というところに十如是と三世間が含まれているということでしょうね。
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この回答へのお礼

ご回答いただきまして、ありがとうございます。

三十種の世間は、仰る通りですね。
問題は、そこではなくて、『百法界』の方ですね。

一心に十法界を具す⇒★十界具足⇒OK
一法界に又十界を具すれば⇒★十法界⇒OK
十法界に又十界を具すれば百法界⇒★十界互具⇒??一念に収まらない。

冥伏・顕現を繰り返すのであれば、『一念三百』ではないのだろうか??

この点の疑問です。

お礼日時:2024/02/11 05:28

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