大人になっても苦手な食べ物、ありますか?

出てましたが、やはりなんにも無い生活から工夫して四苦八苦してきた両親との思い出は掛け替えの無いもので家が潰れるまで、ここを守りたいとおっしゃっていたのは、やはり両親との幸せな思い出があり、恐妻とのアパート暮らしや、三人のむすこといるより心が落ち着くからでしょうか?
床は湿気とあまもりで腐り抜け、台所の天井は雨漏りで白カビが出来るほどジュクジュクに腐っていて、台所、風呂も使用できない。
長屋は、大雪で押しつぶされ半倒壊で、入口のドアがくの字に曲がっている。
市街地への道は、狭く悪路で、体調の不安から圏外だが固定電話を、何とか通して貰っている
食事は買ってきた、弁当で、アパートにはたまに帰る、二拠点生活でした。
心筋梗塞と脳梗塞をしたので、大きな補修や茅葺き屋根には上がれない、このまま朽ちて、屋根が落ちるまでいる。と話してました。昔の写真はみんな笑顔で、楽しそう。やはり歳を取ると昔仕合わせだった頃に帰りたいと、思いますか?
いつもなら欲深い孫どもが出てきたり、地の者ではないのが棲み着いたりでしたが、久々に何かが沁み入る思いをしました。

A 回答 (2件)

人生は、終焉に全てが解ります、自分の生き方が正解だったのか不正解だったのかね。



ただ、子供の頃の記憶は、多くが美化されて心に残ります。また、昭和の30年台までは、戦後の動乱期で、食物も乏しい生活が普通だったので、特に
家族の苦労が、印象に残っているのでしょう。

その頃なら、街中で、バラックの食堂でメシ食うよりも、田舎の民家の食事が豪勢でしたからね。
そして、高度成長期に日本の田舎生活と街の生活が逆転したのです。
ゆえに、今の田舎生活は、のんびり出来る様に、親の残した家や土地は、建て替えて新しくするのが正解でしょう。

悠々自適生活が送れない自身への懺悔のつもりで出演したかな〜??
人生は一度です、終焉の地を何処にするかは、自分です。
和歌山の殺された富豪も自身で選んだ道ですが。

当人は、
果たして・・・・・・なくなる瞬間はどちらが幸せだったでしょうか??
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今年100歳になる佐藤愛子さんは


自分が子供の頃
父親は二階にいて
寝る前に
「おやすみなさーい」と
下から二階に声をかけると
「おーう」という返事が
2階から大きな声で返事がくる

100歳になってからも
この声が今でもなつかしく思い出されるなんてことを
書いていますね

まあ
世の中には
金のために悪事を働く人は
たくさんいますが
結局は
一番の幸福は何かと考えると
こういうささやかなことが
1番の幸福なんでしょうねえ
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