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社会正義のための運動は、既存している以外の他の可能性に関する思弁的な想像力なしにはあり得ません。

質問者からの補足コメント

  • 結局全体としてどういう意味なのか理解できませんでした。私には。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2024/02/28 17:17

A 回答 (11件中1~10件)

自分の意見の正当性をきちんと説明できないので、難しい言葉でごまかして、自分の主張が正しいと読者に思いこませようとしているだけのように思います。

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社会正義の運動には


運動する理由と必ず妄想があるという意味です
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社会正義のための運動は妄想なしにはあり得ない、と言ってるようです。

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No.7訂正



>>  もちろん、思考力があっても使わなかったら意味がないですから、「思考力」と言っているのは、

→  もちろん、思考力があっても使わなかったら意味がないですから、「想像力」と言っているのは、
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なるほど、こりゃ下手クソな、いや、クソ下手な文ですね。

「珍解釈をしてしまう読者は国語力のなさを恥じろ、だなんてとても言えない。これがスンナリ伝わるのは、いつもこんなウナギの骨煎餅みたいな(長いばかりでカリカリに干からびた)セリフばかりを叫び合っている仲間内だけだろう。ということは、さては『運動』には外に向けて発信する力がないんじゃない?」と揶揄されそうです。ってのはさておき。

 「既存している以外の他の可能性に関する思弁的な想像力」

のところがややこしいんですよね。これは

・「既存している以外の他の可能性」= 現実とは異なる、仮想上の世界
   に関する
・「思弁的な想像」= 論理的に考えて行う想像
(例えば「理想の未来社会を描いたアニメを見たことある」のような経験からの安易な連想を思いつくまま断片的に集めただけの妄想、なんてのじゃダメ)   をする
・「力」

と、一応は読み解けます。

 ところで、科学哲学を学ぶと出てきますが:容易に実験ができない(例えば社会科学の)場合でもナントカ「因果推論」(アレとコレとの間に因果関係があるのかないのか、ということを推測する考察)をするための手段として、「(現実とは違うが)もしコウだったなら、何が起こるだろうか」と考えてみて、これと現実とを比較する、というやり方をします。その「もしコウだったら」を「反実仮定」とか「反現実仮定」とか言います。(様相論理学にも似たような概念があって「可能世界」とか「可能的世界」と呼びます。)

 で、これらの概念を使って言い換えれば、「既存している以外の他の可能性」とは「反実仮定」のことで、「思弁的な想像力」とはその「反実仮定」を明確に定めた上で、「コウだったなら、何が起こるだろうか」を因果関係に則って論理的に演繹する思考力、ということでしょうね。
 もちろん、思考力があっても使わなかったら意味がないですから、「思考力」と言っているのは、思考した結果を間接的に指しているに違いないでしょう。

 さて、「社会正義のための運動」にどうしてそんなもんが必要だと主張しているのか。それは引用なさった文の前後で主張なり説明なりされているのだろうと思いますが、ま、思いつくのは:
 その「運動」の影響を受けた世界(「運動」が成功した後の世界)はどんなものか、今と何が変わるのか、どんな良いこと悪いことが起こるのか、をシッカリ考えた上での「運動」ですか、ってことでしょう。
 その未来の世界は、目に見える今の現実とは異なっているわけで、それが「反実仮定」に相当します。その世界をハッキリ思い描いた上で、どんなことが起こるかを、想像力で出来るだけ網羅的に予測する。ただの妄想、思いつきじゃなくて、どうしてそういう予測が言えるのかをキチンと説明できる、という意味で因果関係に基づいた論理的演繹です。その上で、その仮想の世界が実現することを善しと考えるのかどうか。そこまで考えて行動しないと、アカンよ、という話だろうかと思います。
 ただし、それがどうして「善し」という結論になるのかは、(引用なさった文では言及されていませんが、)価値観の問題であり、大抵の「運動」が賛否両論のゴタゴタに陥るのは、人や立場で価値観が異なるからですね。
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>社会正義のための運動は、既存している以外の他の可能性に関する思弁的な想像力なしにはあり得ません。


その意味は、社会正義のための運動は、既存の正義に捉われず、新しい正義を想像する思考能力を必要とする、ということでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2024/02/29 08:28

「社会正義のための運動」という活動は、現状を変えるためには新たな可能性を想像する能力が必要であるということを表しています。

つまり、現在存在している社会の状況をそのまま受け入れず、それを改善するための新しいアイデアや提案を生み出せる思考力が重要であると述べています。まったく新しい視点やアプローチを持つことで、社会の問題を解決するための運動が可能になるということです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

> 現在存在している社会の状況をそのまま受け入れず、それを改善するための新しいアイデアや提案を生み出せる思考力が重要である

多分そういうことを言いたいのでしょうね。そうなら最初からそう言ってくれればいいのに。

お礼日時:2024/02/29 08:27

そもそも正義という概念は相対的であり、社会正義といってもそれが社会全体にとって正しいとはいえません。



つまり、特定の集団が掲げる正義が、他の集団にとっては悪になることもあるので、それらを調査して、社会全体における正義といえるかを立証しないといけません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2024/02/29 08:27

社会正義には思弁的想像力は要らないので



解りませんね
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2024/02/29 08:27

社会正義(社会の常識)


のための運動は、
既存している以外の(今あること以外の)
他の可能性に関する
思弁的な(自己中な考え方の)
想像力なしにはあり得ません。

('ω') こんなんで良いかな。

まあ、破綻した考え方だね。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2024/02/28 17:16

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