電子書籍の厳選無料作品が豊富!

友達関係で悩みがあります。私は友達関係は深く狭くタイプなので心許せる人は3人しかいません。心を開いてもらうには自分から開かないと行けないことは分かっているのですが、嫌われたらどうしよう、私と友達になって楽しいかな?などと考えてしまいどうしても壁を作ってしまいます。
居酒屋で働いていてバイトの子の友達とか食べに来てくれるのでそこでみんな友達になっていったりしていますが、どうもうまく関われません。ノリが悪いと思われてそうで嫌です。
これ以上友達を増やしたい欲もないし、今の友達とその他家族、彼氏との日常で十分満足している自分もいます。
しかし、すぐ友達になれるノリのいい子達を見ると羨ましくも思います。なんなんでしょう。矛盾しているけど、最近はずっとこのこので悩んでいます。アドバイスください。

A 回答 (6件)

たぶん別々の話なのだと思います。


共通をする部分は一緒でも、ひとつずつで考えると答えが同じにはならないのは良くあることだとおもうので、そこまで気にしなくて良いと思います。

例…
節約家ではあるが、程良く食べたいものを食べているし、不満も特にはない。
反面、調味料や材料にこだわってお洒落な料理を作る人に憧れる気持ちもある
など。
    • good
    • 1

友人と言う物に対して、現代の若い人が持っている感覚が間違っているのだと思います。

つまり漫画やアニメ、ドラマの影響で「友人」が美化され過ぎており、本来の意味からかけ離れているんです。

「走れメロスを書いた太宰治は友達がいなかった」

と言うのは有名な話です。太宰治は間違った友人像を持っており、それが故に親友に絶交されてしまいます。その後も反省をせず、嫌がらせで本作を書きます。つまり友人をテーマにした美談は「絶交された友人に対する嫌がらせ」だったという残念な話なんです。作家と言う奴には用心してください。

「物語を書くのは得意でも人間として最低な人も多い。
 正に人間失格。これらから何かを学んではいけない」

皆さんが信じている「友達像」は可成り現実(昔から言われていた友達)とズレており、それを信じて無理をすれば軽く不幸に成れますよ。

以下は長いので興味があればお読みください。

元々は「気前よく行動してしまう心理」に理由を付けるための物であったと思いましょう。つまり機嫌が良い時の「利他行動」に理由を付けたという事です。その「利他行動」は衝動的ですので長く維持できません。発散した後は繰り返し行いたいと思いません。

「・・・なんと。貴方は良い人ですね。私にもしてください」

「え? いや俺はもう満足したんで・・・」

「ダメなんですか? 私を差別するんですか?」

「違いますよ。貴方を差別しているんじゃないです。彼が・・
 ・・・そう彼は私の友人何ですよ。貴方は違う。そういう事
 なんです」

と言う感じで「友人」と言うのは「安全に善行を行うためのシステム」です。「多くの人にタダで利用されないため」に「自分が善行を満喫するための相手役」という宣言でもあるんです。

「自分が友人だと思って利用するのである。相手に友人だと思
 われる必要は全くない」

「誰かを幸せにしたい」という衝動が全く生じない人は特に友人を作る意味もないですよ。その場合は自分の体調や生活環境に悩み事があるんだと思います。それらに集中して「生きてて良かった」と心から思える時が来るまで待つしかないでしょう。

またあくまでも「自分のカタルシスを満たす」ためであって義務感が生じてはいけません。面倒に感じるレベルや苦痛やストレスを感じるレベルに成ってしまえば元も子もありません。

「その時の体調や衝動により、笑顔程度の善意が適切な場合も
 ある。これに言葉の挨拶を加えるとそこまでしたくないと思
 えてしまう事もあるのだ。そういう微妙なラインを大切にす
 ること。自己犠牲が目的なのではない」

自分に生じた無駄な善意。これを安全に捨てるための場所が必要なんです。そうしませんと「自分を利用しようと企む人物」を招いてしまうからです。

「継続的に自分を利用しようと考える人物を遠ざけるためには、
 友人と言う概念がどうしても必要に成るのだ」

「友人になれば、ただで色々としてくれるのだと思って友人を
 求める人もいるよね」

「そういう人は逆の勘違いをしているね。友達が出来ない人が
 陥る勘違いだね」

太宰治がそのタイプです。

生きていれば「予想以上に上手に何かをこなす」ことがありますよね。その喜びから気前が良く成り、家族や友人に善意のおすそ分けをするわけです。友人と言うのは「おすそ分けをする」相手を「毎回変える方が危険(味を占めて過大な要求をしてくる人もいるため)」なので固定化するという意味が強いです。

「自分が何かの義務を負うわけもない。相手に嫌われても勝手
 に『善意を配る』のだから構わないのだ。相手の気持ちなど
 どうでも良く『自分の欲求の為』に善意を安全に捨てるゴミ
 箱みたいなものだと思えばいい」

分かりましたでしょうか?

友人が尊いのではなく「自分の善意が余るほどある事が尊い」のであり、誰彼構わず配るのが危険であるため「友人を作る必要がある」というだけなんです。

「善意が余るほど無い人は友人がいないのも当然である」

そして善意が余るほど無い理由は「自分の事に集中しなさい」という意味でもあり、恥ずかしい事ではありません。現実から逃げずに頑張れば良いのです。

なので「僕には友人がいません」と悩むのが先ず間違っており、友人を作るための活動をする事も間違っています。その人が何かで悩んでいる可能性があるからです。まずはその人が心から笑えるように根本にある原因を解消する事です。それが解決すると心が晴れ上がり、誰かに親切をして「幸せのおすそ分けをしたい」と思うはずです。

こういう時に「解決を手伝ってくれた人」(手近にいるため)お礼をする。これが友人関係です。また解決を手伝ってくれた人ですら「自分の幸せをおすそ分けしたい」と思ってやっているはずです。互いに無理をすれば縛り合う事になり喧嘩になりますからね。

「自分の強さと幸福感が無ければ友人は作れない。
 友人を作って幸福を味わおうとする発想は逆である。
 そういう人は友人が作れない。当たり前なのだ」

とも言えますね。

友人を作るべき場合は「他人の気持ち等どうでも良い」と感じられるくらい「自分に強い幸福感」を持っている事が重要です。

「今日は機嫌がイイので一杯奢るぜ」

「それでいいけど。どうして俺なんだ?」

「他の奴だとたかって来るからな。何か気に入らん。ア
 ンタはそういう所が無いからご馳走して気持ちいいん
 だよ」

「そういう話なら俺も何か奢らせてくれ?」

「おいおい。お返しとか要らないって」

「ちげえよ。俺も今日良い事があってな。誰かで発散し
 たいんだ。君が手近にいて安全そうに思える」

「ふむ。持ちつ持たれつだな」

こう言うのが私が思う友人関係です。嫌われたくないと言って相手に気を使い続けるというのは何だか違う物に思えますね。「仲良しゴッコ」と昔から言っていた関係でしょう。

自分個人が徹底して強い事が前提です。自分の人生をゲームとして楽しみ得点を挙げる事に集中する。上手くやれたと言う喜びは気前よく誰かに分けましょう。しかし「それを利用しようとする人」に囲まれて身動きできなくなる状況は避けるべきです。そのため「安全に思える人」を探す。大概において自分と同じくらい強い人が「安全に思える人」を探しています。そういう阿吽の呼吸で繋がる。互いに「親切を分ける快感」を満たしあったとき友人関係が出来ているというわけです。

「俺がどう思われようと関係ない。俺さえ強ければいい
 のだ。俺を利用しようって輩は許さん」

という気持ちが無ければ友人なんて作れないんです。

つい最近までは女性達が「男同士の友情」って不思議だと言っていました。いまは男の子ですら「友人って何?」みたいに言い始めています。分からなくなっているんですね。

「俺が一番だから、お前らの気持ちなんてどうでもいい
 ものなんだよ?」

と言う所から始めませんとダメなんですよ。そういう「俺様」の人でも、いつかは「苦しく成って」誰かに親切にしたいと思うんです。一生「独り善がり」なんて(まともに親が教育していれば)無理でしょう。その時に都合が良いと思って選ぶ相手が友人という分けです。

「ちきしょう。あいつ等美味そうなんだよな。何とか友
 人として紛れ込めないかな?」

こう言う輩を締め出すために「強い者同士」で作った「お前は違うので帰れ」的な防衛網だと思いましょう。

「いつも締め出されている人ほど友人関係に憧れる。
 美味しい物があると思えてならないのだ。
 そういう人ほど仲良しゴッコに縛られる。
 何か良い事が起きると信じているからだ。
 自分が『他の人を圧倒できるくらい強い』事が最低限
 の条件だと知らない人は『自分の狡さ』によって自分
 を苦しませるというわけなのだ」

今の若い方は漫画やアニメの間違った友人像に煽られて勘違いをしています。それらを生み出した作家達に友人がいるのか確認しましょう。

他人を無視してでも徹底して自分を強くする。これが先です。そこが疎かなまま友人を作ろうとすると仲良しゴッコの縛り愛になるという事です。

「仲良くなると甘えられる」

こういう思想を自分から消す事。焼き尽くすこと。そういう発想を気持ち悪いと感じられるように自分を変える事です。これが出来て始めて友達が出来ます。なので昔は小さい子でも鍛えて甘えを許しませんでした。ですので子供の頃に真の友人が出来るというのは喜ばしい事でしょう。

「親に甘やかされると友人は出来ない。仲良しゴッコの
 関係に一生付き合うだけになる」

子供の幸せに影響するので親は「子供はペットではない」と(自分を律して)逞しく育てるのが大事ですよね。

「他人を思いやることは良い事だ」

と間違って教えられると一生苦しみます。そんな間違った話を教えた道徳なんてありませんからね。そう思っている人は必ず不幸に成ります。

「自分に余裕がある時は他人を思いやるのもありだ。し
 かし不用意に善意を見せると悪人を呼び寄せる事もあ
 るので愚かである。善意を施す相手は慎重に選ぶべし」

と言うのが(当たり前に)昔から教えられていた事です。

この発想から「友人と言う存在」が(成功者には)必要になるという分けです。友人は自分の「善行を果たしたい欲求」を安全に捨てる場所であって、そういうトイレ的なものを美化してはいけないんです。

以上、ご参考になれば。
    • good
    • 2

追伸 ちなみに私は心許して何でも話せる友人は一人です。

親友は一人でいいと思っています。
    • good
    • 0

深く狭くお付き合いができる人が3人。

いいじゃないですか?

浅く広くもいいでしょう。
私はどちらもいいと思います。深く狭くは深いところまでかかわり、今後あなたが困ったり悩んだりするたびに助けてくれるでしょう。

浅く広くは日頃差し障りのない程度に楽しくお付き合いし、みんなでワイワイする。それもいいですね。

でもあなたはあなた。
あなたは狭く深くのお付き合いしかできないと言いますが、反対に浅く広くしかお付き合いができない人から見れば、あなたのことが羨ましいと思いますよ。

今の日常で満足しているんでしょう。彼氏もいて、何でも話せる友達も3人もいる。十分じゃないですか。

あなたはただ無い物ねだりをしているだけ。自分にないものを持っている人を羨ましがるのではなく、自分が持っているものを大切にしましょう。
    • good
    • 1

自分が開かないのに相手が開くわけありません


もともと人と知り合って その人の人生を受け止めてまで付き合おうなんて人はいません
3人いるのなら十分です
モット増やしたいのですか
その3人じゃ不満なのですか
相手からしたら私だけに心を開いてくれていると思っていたのに 不満だったんだと 悲しくなって去っていきます
自己中
貴方の思う友達とは
貴方の妄想の中にいる人
困った時は優しい言葉をかけてくれて
私が望むときに望むことをしてくれる便利屋のゴマすり
だから つらいのと言えば慰めてくれると思っていたら慰めてくれなかった
欲しいと言ったのにくれなかった
裏切られたと思って
わたしを傷つけたあなたは許せないから謝ってと不満を漏らしてきた
から3人しかいない
のだと思います。
人は自分の事でいっぱいで生きています
構ってくれるだけでありがたい
と思って3人を大切にしましょう
    • good
    • 1

性格とかタイプがあるから仕方がないものの悩んでしまう気持ちわかります。

でも人と比較してしまうといいことはありませんし、人は人私は私って考えるようにするのが一番自分に優しいと思います。自分に優しくね。
    • good
    • 1

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A