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岡本太郎が、司馬遼太郎との対談の中で、次のように語っています
引用文は順序を変えています。

<やはり自分の力で自然の神秘に挑むという孤独な生き甲斐を土台としたのが狩猟社会、>
<狩猟時代では、まだ人間は宇宙と一体の面があった、宇宙に挑み、運命に挑むから・・・・。>

<その文化であって、農耕になると、お願いします、雨を降らしてください、雨があまりに降りすぎると、天気にしてくださいと頭を下げて祈る。つまり逆に宇宙との分裂がはじまるんだ。>

質問は、「狩猟時代は、人は宇宙と一体の面があったが、農耕時代に入ると、宇宙との分裂がはじまる」、ということに皆様は同感されますか?

A 回答 (9件)

多分、岡本太郎さんの中にそういう偏見に近い思い込みがあって、そんな言葉になったのだと思います。


 例えば、
 近代の記録が残る頃でも、南米などで狩猟で生きる民族が気候変動によって獲物が減った、何とかしてくれと、神や祖先の霊に祈る学術的な記録があったり、
 もっと古代に、狩猟生活で生きていた古代人が神に捧げ物をする祭壇などの遺構が見つかっていたりしますね。

 一方、農耕民族の場合、収穫が天候に左右されて神頼みの面があるのは事実ですけど、農業のための灌漑の技術。どんな方法で栽培するのが効率的かという経験の積み重ね。長雨になるとか、干ばつになるとか自然の変化をふとしたことで予測して対策ができる事には対策を立てるなど、神頼みだけでは無く自然の摂理とうまく付き合っていたりもします。
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この回答へのお礼

早速のごご回答ありがとうございました。
<狩猟生活>では<神に捧げ物をする>んおですね。
一方、<農耕民族の場合><自然の摂理とうまく付き合っていた>のですね。


じつは、私がこの投稿をしたのは、狩猟時代について、岡本と感じが合わなかったからです。
狩猟時代は、人は<宇宙と一体の面があった>とは思えないのです。人は宇宙に対して服従していたような気がします。狩りにしろ気候にしろ、宇宙のやることに平伏していたような思いがします。

お礼日時:2024/05/21 16:40

岡本太郎は縄文土器を見て衝撃を受け、その縄文的な特徴をモチーフにした芸術作品を作り出しています。

1970年の大阪万国博覧会で展示された「太陽の塔」に描かれている顔は縄文土器に触発されたものです。岡本太郎は「顔は宇宙だ。 眼は存在が宇宙と合体する穴だ」と述べています。岡本太郎の作品が顔を重視しているのは、こうした考え方から来ているのでしょう。「太陽の塔」に顔が4つあるのも、岡本太郎が顔を重視していたためです。

対談が行われた当時の常識では、縄文時代=狩猟・採集の時代、弥生時代=農耕の時代であり、岡本太郎は縄文土器に感銘を受け、縄文土器が作られた時代を宇宙と一体の面があった時代として理想化しています。弥生時代の土偶は縄文時代の土偶とは特徴が異なっており、農耕文化がそうした変化をもたらしたと考えていたのでしょう。

但し、現在では縄文時代にも農耕が行われていたという説が主流になっています。また、縄文土偶は植物を描いたものであるという説が出てきています。
『土偶を読む』
https://www.shobunsha.co.jp/?p=6333
この説は、かなり信憑性が高いと考えています。従って、縄文土偶は、縄文人が食糧として採集していた木の実などの植物がもっと採れますようにという願掛け、まじないを目的として作られたものと考えるのが自然であり、農耕社会における雨乞いと全く変わらない発想で作られたものと言えます。
つまり、古代の日本人の生活は飢えとの戦いであり、食糧を得ることが重大な問題であったということを意味しています。

従って、岡本太郎の考え方は、あくまで昭和当時の知見に基づいた独自の考え方に過ぎないでしょう。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
縄文土偶は良い収穫を願い
<農耕社会における雨乞いと全く変わらない発想で作られたものと言えます。>
ですね。

お礼日時:2024/05/31 14:19

同感します。



この場合の、宇宙というのは、自然、神
のようなモノだと思います。

狩猟時代、人間は自然の一部であった。

農耕時代に入ると、人間は自然と
分離するようになった。


神の概念にしてもです。

キリスト教では、神と人間は
対立的です。

しかし、東洋では、人間と神は
共存します。
日本の、神道などがその例です。

神道には教義も経典らしきモノも
ありません。
あるのは、先祖と自然に対する畏敬
です。

神道では、万物に霊魂が宿ります。

これがアフリカになると
神も人間も一体化します。
人間は自然の一部になります。

人間の魂は、転移して、動物の
魂になったりします。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
同感ですね。

お礼日時:2024/05/22 10:00

ヒトは、狩猟採集時代は自然と一体化していたが、農耕文明時代に入ると自然を管理するようになった。


多くの社会学者は以上のように考えているようです。

岡本太郎の宇宙との一体化と分裂は、社会学的に云いかえると、一体化は同じですが、分裂は管理という言葉になっています。
分裂と管理では本来の意味は違いますが、ニュアンスとしては岡本説も自然にお願いしていることを分裂と云っているわけですから、「お願い=管理したがっていること」という図式が成立して同じことだと言えそうに思います。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<一体化と分裂>とは<一体化と管理>と読み取るのですね。

お礼日時:2024/05/21 16:26

面白い解釈・表現だなあ、と思いますが同感はしません。

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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。

お礼日時:2024/05/21 12:24

同感しません。

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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。

お礼日時:2024/05/21 12:23

昔の人には「自然(しぜん)」という概念がなかったから。

(一方、「宇宙」という概念はあった)

※言葉ではありません。概念です。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。

お礼日時:2024/05/21 12:23

>宇宙という大それたものでなく、自然という言葉なら、素直に理解できますね。



今なら「自然」という言葉を使う方が一般的だと思います。

ただ、この対談1960年代~70年代に行われたものだとすると「宇宙」という言葉を使うのは理解できます。(いつの時代の対談かは調べてないので、的外れだったごめんなさい)

1961年、ガガーリンが初めて宇宙飛行を行い「地球は青かった」と伝えました。

実はこれ以前、人類は地球を外から眺めたことがなく、この言葉と70年代のアポロ計画による「地球の日の出」写真で「宇宙船地球号」という言葉が広く認識されるようになります。環境公害問題も認知され始めたのがこの頃です。

つまりこの時代「宇宙」という言葉は「地球環境=自然」と同義語として使われた一種の流行り言葉だったのです。

その背景がある、という前提で当時の雰囲気を踏まえれば同感できると思います。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
対談は1973年の末に行われました。
当時は、<宇宙」という言葉は「地球環境=自然」と同義語として使われた一種の流行り言葉だった>のですね。
<当時の雰囲気を踏まえれば同感>ですね。

お礼日時:2024/05/21 12:22

精神的観念的に「宇宙」という単語を使用しているのであり、物理的な意味での宇宙とは何の関係もありません


神と同じですね
神は物ではない、心の中にだけいる
もしこの文章の「宇宙」を「自然」という単語で語れば、それは同意できる面もあると感じます
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<もしこの文章の「宇宙」を「自然」という単語で語れば、それは同意>ですね。
宇宙という大それたものでなく、自然という言葉なら、素直に理解できますね。

お礼日時:2024/05/21 09:39

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