プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

20代半ばになるプログラマです。
そこで悩んでいます。。

PGをしている人は、SEへのステップアップします。
それが一般的だと思います。

しかし、ほかに何か進むべき道、違う業界へ無いのでしょうか。
また、ほかに欲しいとする世界は無いんでしょうか?

このパソコンの業界に入ったら、ずっとこの世界で生きていくべきなの
でしょうか。
未経験の他人からすれば、もったいない、といわれます。
知識も技術もあるのにと。。

30代を目前として、漠然と悩みはじめました。
年齢的にも、あるだろうし。このまま骨を埋めるべきか。

最終的には、自分の次第だと思っています。
真剣に見つめて直そうと考えています。

他業界で特技を生かして活躍されている方もいらっしゃると思います。
また、この世界でバリバリに活躍されている方も当然、いらっしゃると思います。

先輩方の声にも耳を傾けるのも、よい方法かと思いました。
私のこれからの指針になるような、アドバイス、叱咤、激励を待っています。

開発で、地獄も経験いたしました。入社直後の会社が倒産し、
すぐ他社に拾っていただいた経歴があります。

きっと、こうやって心が揺らいでいるというのは、
良くないんでしょうね。将来へのスッテプアップを考えるのに、いい時期だと
考えています。

A 回答 (3件)

 30代に乗っても現役でSE兼PG兼サポートやって、もう12年目です。



 ウチのお客さんの所でも結構大手の所で多いんですが元オフコンのPGで現在事務職って人がいます。
 他所はどうかわかりませんが、一般の人よりPCに詳しいし、PG時代の経験から事務の仕事にも精通しているので重宝されているみたいです。
 導入システムの打ち合わせしてもそういう人がいてくれるとある程度社内でまとめてくれるので、こちらも楽でいいですね。

 あと高校時代の担任の先生も、元PGだったそうで、やはり地獄を体験し「こんな事やってたら体を壊す」と思い、もう一度勉強やり直して教員免許を取たそうです。

 knoknoさんくらいの年齢の時に、自分も仕事で行き詰まった事もあり悩んだ経験がありますが、ちょうどその頃に今の会社の社長に引き抜かれてこの仕事を続けていますが、それから数年、この仕事やってきてよかったと思いますよ。給料があがるっていうのもすごく大事な事ですし、いいシステムを作ってお客さんに喜んでもらえるっていうのが一番の励みになりました。また今の会社に移ってから、社内の開発体制を任された事もあり、責任と同時に自信もつきましたね。

 大して年齢も変わらないのに偉そうな事いうようですが、このまま続けるにしても、他の業種に転職するにしても、どちらも同じくらい大変な事だと思います。頑張って下さい。
 
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knoknoさん、こんばんわ。


内容を拝見させて頂きました、非常に理解でき、私も経験してきました。
>他業界で特技を生かして活躍されている方もいらっしゃると思います。
>また、この世界でバリバリに活躍されている方も当然、いらっしゃると思います。

仰っている内容とは、チト疑問が生じますが、年寄りの戯言を聞いて下さい。

私も、貴方と同じようにプログラマからの人間です。
但し、ちょっと(ほんの少しだけ)時代が違うと思いますが、‥(笑)
汎用機(COBOL)から始まり、
(この頃は、紙テープなるものもあり、それが読める事が自慢でした(笑))
次は、UNIX(C言語及びRMCOBOL)に入り、
(マニュアルが英語で届き、それを自分なりに訳したら、ちんぷんかんぷん。
 マニュアルの冒頭の言葉のみが理解できました。
 沈黙は金である。??????なんじゃ、これは!)
それがやっと何とかなるかと思いきや
オープン系です(VBやVC)
これには、苦労させられました、イベント処理が七面倒臭いと感じること
山のごとし。
ちょうど、COBOLの衰微していく頃、幾つかのプロジェクトを任されるように
なっていました。
(さあ、今度は、大変でした。 今までは、スペックをみて、それに準じる
 アプリを作っていけば良かったのですが、次からは、クライアントが
 欲している内容を調査分析し、それを改善する為に、クライアントと
 会議を行い、纏めていく事が必要になってきました。 
 その時には、業務知識が必要でした)

多分、貴方も今がその時期でしょうか?。

工数算定、大日程、小日程、必要なリソース集め、に日々追われ続け、また、
次の日にはクライアントと会議を行えるだけの業務知識が必要な為、
一心不乱に勉強しました。
(今は、その勉強の一部しか頭に残っていませんが‥(笑))
しかし、現場を離れる事に抵抗があった為、面白そうなアプリは、自分が
作成しました。

(しかし、時の経過とともに、そのスピードは大変落ちていきます。)
こういった経過がUNIX、オープン系と続いていったのですが、その途中で
ふと気がつきました。

自分の作ったアプリ(どのような開発言語)がどのようなものでも、作って
いるものは一緒だという事にです。

お分かりにくいかも知れませんが、例えば経理システムをCOBOLで
作ろうが、Cで作ろうが、VBで作ろうが、その基本は一緒という事です。
長い年月をかけて、やっとこれだけを分かったのです。
それからです。  私が変わろうと思ったのは。
企業にとって、人にとって、必要なモノとはなにかという本質に近いもの
そして、自分の歳と共に落ちていく開発能力と見合わせたときに、
私の方向性がはっきりとわかりました。
それからは、今まで経験させて貰った業務知識を深耕させ、クライアントの
求める以上の内容を(クライアントが気づかない点まで)提示できるように
なろうとしたのです。

これは、功を奏しました。
そして、私は天狗になりました。
そして、クライアントから引っ張りだこになりました。

しかし、ある日、突然に、(まるで唄のようですが‥)打ち破られました。

鳴り物入りで、半強制的に参画させられた某企業の提案にて
(心の中では、すこし鼻が高かった事は事実です。)、私は
調査分析を行い、自分が持てる全てを込めおよそ100ページもの
企画書をつくったのです。

しかし、あえなく失敗です。
私はどうしても納得がいかず、(心で他社に負けていない自負がありました)
クライアントに問い質しにいったのです。(今考えると、なんと無謀な事を‥)

クライアントは、非常に良い方でした。
私の気持ちを察して下さったのでしょう、一冊(たった10ページ)の冊子を
だまって渡して下さいました。

そこには、私の100ページの中にちりばめられていた内容の数倍の内容が
盛り込んであり、更に、それらに対して、税法上、商法上の裏打ちがなされて
いたのです。
完全な敗北でした。

そして、ある夜、そのクライアントから電話がかかってきました。
「すぐに来い」と。
暗い気持ちで出向くと、そこに一人のしょぼくれた爺様がいました。
そうです。 私は、この人に負けたのです。
その人は、コンサルタントをされていました。

その人が、私の心の師であり、競争相手であり、イヤな奴なのです。
出会った最初の言葉に更に打ちのめされましたが、その一言で
私は、次回彼と決戦をする時には、必ずや打ち負かしてやろうと
考えました。

そして、何年後に、やっと一回のみ打ち負かす事が出来ましたが、
その何年間の間に自分は、いつのまにか変わっていました。
今は、その愛すべき爺様は他界されていますが、今度は、私が
その爺様になっていました。
人との出会い、とは面白いものであり、人の好奇心ほどまた、それを
高めるものはありません。
その方とは、出張の度にお会いし、長くお付き合いさせて頂きましたが
最後に会った一言を貴方にも渡したいと思います。
「人生に、”これが1等賞だ”なんて呼べるものはない。 今ある自分が
どうしたいか、どうなりたいか、だけだ。 人は、自分がなりたいモノに
なれるんだ」と。
長くなって非常に申し訳なく思います。 とっても熱くなってしまった爺様が
いるとご容赦下さい。
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knoknoさん、こんばんはです。


論点がずれているとは思いますが、読んでやってください。

私は8月までソフト会社にいました。神経をやられてしまって退職しました。

営業ベースで仕事が進んでいき、クライアントとの調整、また内部的な事情はバカ上司しか知らず、月初にくまれるスケジュールどおりに仕事をさせてもらえたことがありませんでした。
バカ上司は私に興味があるようでしたが、ストレートに私の気持ちを聞かれたので私は興味がないことを告げると徹底的ないじめにあいました・・・。これがやめた原因。
と、ここまで書くとなんだか前職の悪口大会みたいですが(笑)。

そんな会社ですが、会社を通しての人間関係には大変恵まれました。
賃貸管理のソフト(担当でした)を作っていると不動産関連の知識はやたら増えるので、クライアントの不動産会社に転職した同僚もいました。
また、パソコンスクールに転職した友人もいました。
接客好きでホテルへ転職した友人もいます。(給与は大幅に下がったみたいだけど、すごく楽しそう)

私は決まった相手がいましたので結婚等の事も含め、在宅で個人事業としてやって行きたいと思い、退職しました。

knoknoさんは今しあわせですか?

私はPG一筋でやってきたわけではなく、お嬢様系女子大(文系)休学中に他の大学行ったり、その大学やめて元の大学に復学するまでの間大好きなお店でアルバイトをしたり、大学行きながらパチンコ屋さんで接客No.1のお店を目指してアルバイトしてるうちに社員になっちゃって大学辞めたり、パチンコ屋さんで働いてるうちに会社で使ってるソフトに興味持って独学からプログラマーになったり(笑)。

どんな道を選んだときも、私は楽しくて、そして幸せでした。

社会的には普通の家庭の普通の娘でそんな破天荒なことを許す親ではないんですが、全ては事後報告でここまでやってきてしまいました。
最近ではようやく親のことを心配したりするようになりましたが(笑)。

私の両親はかなりお堅い人ですが、ずっと
「あなたの幸せが私達の幸せ。人を不幸にしてはいけない。あなたが幸せになるようにがんばりなさい。」と言って私を応援してくれました。

wa_jiroさんの回答の中に「人は、自分がなりたいモノになれるんだ」とありましたが、私もずっと
「I'm free to be whwtever I Whatever I choose And I'll sing the blues if I Want」と心で歌ってここまできました。
この歌は英のオアシスと言うバンドの「WHATEVER」という歌です。
「俺は思いのままになれるんだ 何だろうと自分が選んだものに その気になればブルースだって歌ってやる」
この歌を高校生の時に聞いてから、ずっとそう歌ってやってきました。

30を前にしてだなんて言ってないで、ほんとknoknoさん次第だから!
今の自分が望んでいることをかなえてあげることから、少しづつ探していかれてはいかがでしょうか?

今こういった時期をきちんと悩んで乗り越える経験をされたknoknoさんなら、今の業界のままでも、他の業界に行っても、人間的にステップアップできると思いますよ!
がんばって!
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