牛、豚、鶏、どれか一つ食べられなくなるとしたら?

悟りの定義とは何だと思いますか 色々なケースがあってわからなすぎです

修行しても肉体の痛み
病気などは避けることができず
無意味なのかなと思ってしまいます

_______________

ジェミニの回答

悟り、深いですね。確かに、一口に「悟り」と言っても、仏教、禅宗、ヒンドゥー教など、宗教や思想によって捉え方が異なり、さらに個人個人の経験によっても様々な解釈がありますので、理解するのが難しいですよね。

そこで、今回は、仏教における「悟り」の一般的な定義と、段階的な理解、そして悟りを目指すための方法について、分かりやすくご説明させていただきます。

1. 仏教における「悟り」の一般的な定義

仏教における「悟り」とは、「四苦八苦」と呼ばれる全ての苦しみから解放され、真の幸福な状態に到達することです。

具体的には、以下の3つの要素が重要です。

無知: 自分が無知であることを自覚すること。
苦しみ: 自身が抱えている苦しみを全て理解すること。
解脱: 苦しみの原因を断ち切り、真の幸福な状態に至ること。
これらの要素を踏まえ、「悟り」は単なる知識や理解ではなく、苦しみから完全に解放された実践的な境地であると言えます。

2. 悟りの段階的な理解

悟りは、突然訪れるものではなく、一般的には以下の段階を経て深まっていくと考えられています。

初地: 仏教の教えに興味を持ち始め、修行に取り組む段階。
三果: 無常、苦、無我の真理を理解し、自我から離れる段階。
四果: 阿羅漢となり、輪廻から完全に解脱する段階。
このように、悟りは段階的に深まっていくものであり、一生をかけて目指す道と言えるでしょう。

3. 悟りを目指すための方法

悟りを目指すためには、様々な方法があります。代表的なものは以下の通りです。

修行: 坐禅、瞑想、読経などを通して、心を落ち着かせ、真理を探求すること。
戒律: 不殺生、不盗、不邪淫、不妄語、不飲酒などの戒律を守り、清らかな生活を送ること。
布施: 自分の持ち物を施し、利他的な行いをすること。



禅宗では、「悟り」を**「本来の自分」に目覚めること**と捉えます。坐禅を通して、思考や感情に囚われず、ありのままの自分を受け入れることで、「悟り」に至ると考えられています。

ヒンドゥー教では、「悟り」を**「アートマン(真我)」と「ブラフマン(梵)」の一体化**と捉えます。瞑想やヨーガを通して、自身の魂である「アートマン」が宇宙の根源である「ブラフマン」と一つになることで、「悟り」に至ると考えられています。


仏教
宗教
悟り

質問者からの補足コメント

  • うーん・・・

    自分はヒマラヤの聖者に

    心と体を超えたものが本当の自分で
    それが理解できていると

    苦しみはなくならないが減る

    ということを教わりましたが

    アートマン=ブラフマンと同じことですかね?

      補足日時:2024/07/04 20:34
  • うーん・・・

    紹介された女性のことは知っています

    結局さとりと言っても
    無意識の潜在意識のことが深まるというか

    脳の問題だということですか?

    No.8の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2024/07/06 23:12

A 回答 (10件)

仏教においては、悟りとは輪廻からの解脱、苦の滅尽を意味します。

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意識下での体験です、意識する以前での体験と云った意味です。

他の言葉で云うなら『無意識にも意識があった』という事を体で知るという意味です。

脳内に自我意識の他にもう一つ意識があった事を知る体験ですが、その意識には永遠の命が備わっていた事をはっきりと分かると云った体験です。

死の恐怖に怯えていた場合では、自分には永遠の命が既に備わっていた事を自覚できる体験です。従ってその瞬間に死の恐怖から解放されるという体験となります。神経症の完治という意味です。

生にも死にも囚われる事が無くなるという体験です。

禅では生死の問題が解決したと表現します。死の恐怖に怯えていた場合では『全身から力が抜け落ちる体験です。』それほどに全身に絶えず力を入れて生きていた事を意味します。

他の言葉で表現するなら『身心脱落、脱落心身』という体験の事です。
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悟りは、悟った後では分かります。

それは言葉では表現出来ないと云われています。

簡単に云うなら。自分の心が二つの要素から成り立っている事が原因ですが、人間は毎日意識する自分と、無意識の自分が絶えず入れ替わりながらが『健常者の暮らしとして成り立っています。』

処がこの二つの意識が『交替出来なくなる場合があります。』これが神経症になった世界です。

云い方を替えるなら『一切皆苦』を体現した世界です。死にたくないと意識して苦しむ世界です。或いは眠れないと云って苦しむ世界です、或いは吃音で苦しんだり、字が書けなくなって苦しむ世界(書痙)です。

又強迫観念とか強迫行為で苦しむ世界も同じ原因です。その原因を釈迦は『無明の故』と喝破しています。

自分が苦しんでいる原因が自分の中に在る事が分からないでいる事を指し示した言葉です。そうしてそう云った苦しみからの解放を悟と表現しています。

道元は『仏性は誰でも持っているというのに、如何して修行しなければ分からないのか?』と云った疑問が仏門に入るきっかけだと云われています。

そこで仏性の簡単な説明です、『一切衆生悉有仏性』は大抵の人が知っている言葉ですが、この意味は命ある者は全てのものが仏性を持っているという意味ですが、人間で説明するなら『命を授かった瞬間から働きだす”者”を持っている。』という意味です。

命を授かった瞬間から働きだす者という意味は。細胞分裂をする順番を知っていて、その順番を間違いなく果たす事が出きる者という意味です。この者が仏性という意味です。

生れてからは、心臓でも呼吸でも消化活動でも、ホルモンの分泌でも生命維持活動の全てを取り仕切っている”者”という意味です。

その者の心的な働きは、高い処にいる場合では瞬時にその高さの情報を自意識に教えている事です。狭い処でもその情報を教えています。こう云った情報を極端に嫌う場合を高所恐怖症とか、閉所恐怖症という様です。つまり神経症の症状の事です。

話が長くなりそうですので、科学的な説明ですウイキぺデアからです。

是はてんかんの治療のために左脳と右脳を繋いでいる脳梁の切断を一つの治療の方法として行っていた時代の話です、沢山の脳梁が切断された人が存在していた時代の研究成果の一つです。

”ロジャースペリー 分離脳
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究

ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球がそれぞれ独立した意識を持っていることを実証した。



この状態を自らが脳卒中になったために、体験として語っている動画を載せてみます。


脳科学者である女史が脳卒中になってしまって、右脳の自分と左脳の自分を体験として語っているものです。






脳梁の中で、稀に切り替わりの瞬間に出会う事がある様です、この事を『悟り』と表現していますが、その出会いの事を禅の本などを読むと『今更お前は誰かと聞く訊く必要さえも無かった、と書いています。

もう既に知っていた存在と書いています。

聞きたい事があるなら聞いて下さい。
この回答への補足あり
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その答を出すことを諦めること。


「人間には無理」と思って諦めるとスッキリする。
はい、これが悟り♪

こんなにも時代が変わったのに、昔から人間は変わっていないし。
これからも変わらないと思うんだよね。
なんてったって細胞が同じだから思考にも限界があるんだろうね。

まぁ、あれこれ悩むのも楽しみのひとつだけどね!
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悟りの定義とは何だと思いますか 


 ↑
人間とは何かを知ること。
人生の意味を知ること。
納得すること。



色々なケースがあってわからなすぎです
 ↑
お釈迦様は、自我を捨て去ること
なんて言っているようです。

西洋哲学と異なり、東洋のこう言うのは
理論で説明しません。
直観みたいのが多いです。
だから、悟った本人しか判りません。



修行しても肉体の痛み
病気などは避けることができず
無意味なのかなと思ってしまいます
 ↑
自我を捨てる、なんて人間には
無理です。
だから、悟った人の衣を触れば
とか
悟った人について行け
なんて教えが広まるのです。

自分が納得出来るものであれば
何でも良いと思います。
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「悟り」というと、全ての苦しみから解放とか、前世がわかるとか、未来世が見えるとか、何か神秘的なことを思い浮かべるようだが、決してそうではない。

そんなことを軽々しく言う人は、まやかしと思って間違いない。

「自分の一念が変われば一切が変わる」ことをつかんだ人は一念三千です。これが「悟り」です。
「自身法性の大地を生死生死と転めぐり行くなり」これが悟りです
寿量品に「是好良薬」とあります。法のため、友のために、くる日もくる日も、心を使い、体を使いきって「是好良薬」を説く人が、慈悲の体現者であり、小我から大我を悟った人と言えます。
「是好良薬」が何かが分からない人が、悟れるわけがない

釈尊の到達した悟り、仏の智慧とは何だったのか。それは、. すべての衆生の中に仏性があり、万人が仏であるとの思想であり、すべての人間に内在する永遠の生命を貫く本源的な蘇生の力を示す事なのです。
それは「仏とは生命なり」 との悟りと一致するものだと思います。
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360度どんな角度でも


心が理解できる状態の事じゃないでしょうか。

内観し悟る事で他人の心も知ることに繋がると思います。
まず、己の事を知ることからだと思います。
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悟りとは、心が(宇宙を貫く)真理を深く感じ取る事を言います


真理にも色々あるので、シングルヒット級の悟りから、満塁ホームラン級の悟りまで異るレベルの悟りがあります
その中のひとつ、真の自分とは心でもなく、まして体でもない
真の自分とは命そのものだ(俗な言い方をすれば自己本体は霊魂だ)という悟りはホームラン級以上の悟りだといえます
この悟りがないと、
自分の本体=心身
ですから、病気があれば、すなわちそれは自分の本体が病んでいる
というように受け止めることになり
不安になったり、悲観したり
してしまうことになります
でも、自己本体=命そのもの
という悟り(強い強い信念)があれば
たとえ身に病があっても、それは自己の道具とでも言える体が故障してるだけであって、本体はなんともないという受け止めになり
それはそれは、安心に満ちた人生を歩んで行けることになるわけです
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人間が、なかなか悟りを開けずまた悟れないのは、単に寿命が短いからで、機会があまり巡ってこないからだけと近頃は思いだした。

かりに人間の寿命が古代の天皇みたいに、1万年あれば似たシチュエーションが何回も何百回も表れるのでバカでもない限りいい加減気づくし出来事に対する対応の仕方も変わってくる。高々100年くらいの寿命では何も気づかない。何か分からない力が働いているのであればわざと悟れない寿命設定をされているのでは?と思う。人類で輪廻の輪から外れ悟れた人はお釈迦様しかいない。一見とても難しく思えるが案外寿命が長いなら、簡単なのでは?とは思う。おっさんは不老不死には反対派だが、若返りの長寿命化は賛成。人が500歳まで健康で生きれば必ず見える世界は変わると思う。
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コトバには還元できない境地なので「定義」という言葉を使ってしまう時点で、悟りは遙か彼方でございましょう。

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