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日本鉄道名所で、長野電鉄が掲載された、
第5巻が刊行された、1986年10月当時、輸送密度上は、屋代線のほうが悪かったと聞きます。
しかし、なぜ、木島線が最初に廃止になったのでしょうか。
それとも廃止議論は、輸送密度に比例しないということなのでしょうか。
理由も併せてお答えください。

質問者からの補足コメント

  • どう思う?

    もし、90年代後半に現在のような再構築協議会が設立されていれば、
    屋代線は残せられなくとも、木島線だけは残されたかもしれませんね。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2024/07/08 07:33
  • プンプン

    その飯山線も戸狩野沢温泉まででも、2000を割り込み、
    戸狩野沢温泉から先はさらに悪く、500を下回っていますよ。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2024/07/10 08:06

A 回答 (3件)

こんばんは。



【回答】
どちらも過疎地を走り、それぞれ廃線に至る理由があったのですが、木島線の方が施設の老朽化が酷く機器更新するにも費用捻出できなかったので、屋代線より先に廃線となりました。
この回答への補足あり
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こんにちは、No.1です。



もし、90年代後半に現在のような再構築協議会が設立されていれば、屋代線は残せられなくとも、木島線だけは残されたかもしれませんね。

【回答】
タラレバ話なので、どうとでも言えそうですが、

▪木島線は、対岸の飯山線の方が長野駅まで速くて安かったので、どうにも不利であった。
▪屋代線は、長野中心部へは長電バスもあり、やはり不利であった。

従って、再構築評議会が作られる以前です。

昭和30年代、野沢温泉や志賀高原、湯田中・渋温泉の開発がもっと進んでいたのならば、廃線に至らなかった可能性はありますが、コレも今さら口にするような事でもありませんね。

昔と比べてスキーをする人も多くありませんし、多くないからこそ、国鉄直通急行やスキー多客向けの臨時列車も無くなったのですから。
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飯山から先は日本でも有数の豪雪地帯なので、利用者が多くなければ私鉄による路線維持は無理でしょう。

この回答への補足あり
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